15日午前6時、滋賀県北部には大雨警報が出されていた。前日から、リュックは、雨具ばかりが大半でふくらんでいた。カッパにリュックのカバー、足元へのスパッツや折り畳み傘…と詰めて、タオルもいつもより2枚余計に持った。きっといつものようにたいして使わないですむだろう…、などと心のどこかで思いながら。今回は、帰途にスーパー銭湯に立ち寄るとあって、着替えも一式含めてある。
途中参加して3回目の行程は菅浦から大浦園地までの10.5kmとあるが、葛籠尾崎展望台でお昼を済ませてからの出発である。すでに山の上。さらにそこからゆるやかな登り道を行くと、竹生島を眼下にする展望所に出た。
「遠くから眺めるとその形には古墳の手本となったものがある」「前方後円墳そのままである」と書かれた白洲正子さん。(「かくれ里」) 大正天皇は「青いタニシ」と讃えられたとか。そんな竹生島へ、子供たちを連れて彦根港から渡ったのは、彼らが小学生だった頃の事だ。船の中でお弁当を食べることを、ひどく喜んだ息子を思い出す。竹生島の形をし、小さな穴を覗くと弁財天が描かれている赤い根付けは未だに手元にある。
葛籠尾崎のある琵琶湖に長く突き出たこの半島は、手入れがなされてなくて荒れ放題だった。見事な大木が折れて頭上の木々に橋を架け、足元は枝を張ったままの倒木が道を塞いでいる。またいだりくぐったりを繰り返す、難儀な道だった。が、本当の危険個所は、このあと。一気に下る斜面に、丸太で作った苔むした階段は足を乗せると滑る。落ち葉の下にかくれた石も、雨で濡れた落ち葉でさえもが危険だった。小さな悲鳴に「大丈夫ですかー」と、前を向いたまま声だけをかけていたガイドさんが、いきなりスッテン、尻もち!! 菅浦集落の東よりに出た。
背後に山を背負い南は琵琶湖という集落は、東西に二つの四足門を設けてある。この村を通過する時は一列で、と記した立て看板があった。
休憩を繰り返しながら、大浦園地まではひたすら湖畔沿いの道を進むだけ。ガイドさんの説明はない。速いテンポでさっさと進んでいく。ガイド氏がだ。「ガイドさん、おさきにどーぞ」と言ってみたくもなるというものだ。実際そう言いながら、この湖面の美しさが心を捉えるものだから、写真を撮ったり振り返ったりと自由に楽しみながら歩かせてもらった。ではあっても、適度に遅れすぎないように続くのだから、出来のいい一団だったはずだ。
この先も湖岸を歩くことになるが、さて次回はどうしようか…。予定通り、午後3時30分、ゴール・イン!
途中参加して3回目の行程は菅浦から大浦園地までの10.5kmとあるが、葛籠尾崎展望台でお昼を済ませてからの出発である。すでに山の上。さらにそこからゆるやかな登り道を行くと、竹生島を眼下にする展望所に出た。
「遠くから眺めるとその形には古墳の手本となったものがある」「前方後円墳そのままである」と書かれた白洲正子さん。(「かくれ里」) 大正天皇は「青いタニシ」と讃えられたとか。そんな竹生島へ、子供たちを連れて彦根港から渡ったのは、彼らが小学生だった頃の事だ。船の中でお弁当を食べることを、ひどく喜んだ息子を思い出す。竹生島の形をし、小さな穴を覗くと弁財天が描かれている赤い根付けは未だに手元にある。
葛籠尾崎のある琵琶湖に長く突き出たこの半島は、手入れがなされてなくて荒れ放題だった。見事な大木が折れて頭上の木々に橋を架け、足元は枝を張ったままの倒木が道を塞いでいる。またいだりくぐったりを繰り返す、難儀な道だった。が、本当の危険個所は、このあと。一気に下る斜面に、丸太で作った苔むした階段は足を乗せると滑る。落ち葉の下にかくれた石も、雨で濡れた落ち葉でさえもが危険だった。小さな悲鳴に「大丈夫ですかー」と、前を向いたまま声だけをかけていたガイドさんが、いきなりスッテン、尻もち!! 菅浦集落の東よりに出た。
背後に山を背負い南は琵琶湖という集落は、東西に二つの四足門を設けてある。この村を通過する時は一列で、と記した立て看板があった。
休憩を繰り返しながら、大浦園地まではひたすら湖畔沿いの道を進むだけ。ガイドさんの説明はない。速いテンポでさっさと進んでいく。ガイド氏がだ。「ガイドさん、おさきにどーぞ」と言ってみたくもなるというものだ。実際そう言いながら、この湖面の美しさが心を捉えるものだから、写真を撮ったり振り返ったりと自由に楽しみながら歩かせてもらった。ではあっても、適度に遅れすぎないように続くのだから、出来のいい一団だったはずだ。
この先も湖岸を歩くことになるが、さて次回はどうしようか…。予定通り、午後3時30分、ゴール・イン!
そんな素晴らしい光景を眼下に眺める、整備されていない難儀な道を、この暑さの中よくぞクリアー!という思いです。
お疲れ様。でもこうして思い出多きウオーキングをクリアーされるたびに、自信が湧き、さらなる次へ意欲が湧いてくるのでしょうね。
そのためにも是非、早目にお疲れを取り除くことが望まれますね。お大事に。
平坦な道よりちょっと怖い感じ、厳しい場所は心に残りますね。お疲れでしたでしょうけど充実した一日だったんでしょうね。お若い方はうらやましいです。
菅浦の地で少しゆっくり時間がありました。
寺の大屋根が見えましたが、阿弥陀寺だと思います。
本尊は秘仏だそうですが、ロンドン大英博物館で展示されたとか。
念願だった琵琶湖の北部を訪れることができて、とても嬉しいです。
次回のコースには桜の名所、海津大崎も入ります。けど、どうしようか、まだ決められません。
それでも用意だけは周到に、リュックの中身はいつも雨具ぐらいなものなのです。
準備する時も楽しいですよね。雨具しかないのですけど(笑)
帽子に手袋、歩数計、バンドエイドなども入れて、山中の時は杖もです。
湖岸を歩く時間の長いこと、さほど変わり映えしませんし、かえっておっしゃるように厳しい山道などが記憶に残ります。
ちなみに今回は、16789歩でした。行ってみたくてたまらなかった奥琵琶湖への夢がかなって、嬉しく思っています。
今日の写真拝見して、小説の中の奥琵琶湖の神秘の色の描写を思い浮かべました。
黒い被布をかけたようなとか。
また縹色も知りました。
竹生島を眼下にする・・・>素晴らしいです。
先回のブログで菅浦の歴史を教えていただきましたね。
雨模様の一日だったようですが、涼しくてよかったのではありませんか?
まずはお元気でクリアされておめでとうございました!
染色の知識もなくわかりかねることでしたが、知ることも多くありました。
エメラルドグリーンが一瞬のうちに縹色に変わるとか、色のかけ合いの不思議さ。色素を出すという貝の話も
ありました。
色彩に関する描写は、琵琶湖に関しても豊かですね。
須賀神社だけではなく、小さな集落の中にひときわ大きな屋根が目に入りました。
たくさんの寺があるようです。寺の中に集落があるようだと、どなたかが。
釣り人がいました。水遊びの家族連れもいましたが、大阪や岐阜ナンバーの車が止まっていました。
やはり日本一広い湖ですね。言ったことがありません。「琵琶湖周航の歌」にでてくる地名だけしか覚えていません。
「歩く」ってやっぱりいいですね。車だと美しさに浸ってなんていられませんものね。
keiさんの健脚には脱帽です。
いつか奥寺の十一面観音様を訪ねるのが夢です。
団体行動での撮影は難しい時があります。
素晴らしい写真を見せていただいて、多少の自由時間も有ったようでラッキーでしたね。
足場の悪い山道を歩くのは足の疲れも大です、くれぐれもご自愛されて、桜の季節を歩く・・・ぜひ参加されては?
十一面観音巡りが多く語られた『星と祭』でした。
竹生島付近までボートを出した満月の夜。
湖上を月光が照らし、周辺にたくさんの十一面観音像がたくさんお立ちになります。…
琵琶湖周航、船で巡るコースもいくつかのパターンで催されています。
例えば「琵琶湖汽船」でも。
夢をぜひかなえてくださいませ。
夢中で参加しますが、なかなか疲れがとれません。
チャンスが活かせ嬉しいことです。
歩きながら、写真は一瞬のチャンスを捉えて撮っています。たまにピンボケです。
海津大崎は、湖岸にみごとな桜並木で知られています。
桜王、笹部新太郎が植えた桜。
彼をモデルにした人物が登場する『櫻守』、その中で主人公は、死んだら海津の清水の墓へ埋めてくれと遺言します。
作品と縁のある地を歩く次回9月なのですが、決めかねています、