平日だったが先日の梅雨の晴れ間をねらって尼講さんが寄り合い、お講さんを炊いた。
5月は毎年お休みとなるために、月に一度皆さん楽しみに寄る日を待たれる。
当番さんでお汁を炊いて(そのための具材を切りそろえなくてはならないが)、家から持ち寄られた漬け物や煮豆を器に分けて、昼の膳を共にした。いたって質素な献立は知る限り何十年と変わらない。
食事の前には住職による法話もある。法話と言えば…。
「加賀の三羽烏」と言われたお一人の大船師は法話中に居眠りをしているお婆さんを見つけると、「そこのババア、眠るなら出ていけ!」と一喝されたとか。暁烏敏師は法話がお上手で眠る人などいなかったという。藤原鉄乗師は「仏法は眠っておっても毛穴から入るもんじゃ」、と淡々と法話を続けられたのだそうな。三者三様、はてこの日は…。
お参りは尼講だけに女性ばかり。
「男の老人はおおむねせっかちだ」と津野海太郎氏が何かに書いておられた。そして森毅氏が、過去にこだわらず、ゆったり生きるおばあさんに感心して「もう自分が男であることにこだわる必要があまりないのだから、おばあさんのように生きよう」言われていた。
愉快なことだと時々思い出す。
〈女が弱いとは、多分、もう誰も思わないですよね。死と向き合っても、強いです。なので男は年の取り方を考えなきゃいけない。おばあさんならこうする、というふうに生きていこうと、僕は思っています。変に頑張らない。〉
これは永六輔さんが「わたし、おじいさんやめます」、と『男のおばあさん』の中で記していた。「のどかに、ゆっくり、…転ばないように」とも。
あらあら。やっぱり“おおむね”女性の方がおおらかに生きるパワーを秘めているということなのですかねぇ…。「そりゃあ~」って尼講さんの意見はまとまりました。
いくつになっても、いつの代でも、女の集まりは朗らかです。
天候を見ながらいつもより1時間早く、3時には家路についていただいた。
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