京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 持仏のように

2014年03月16日 | 日々の暮らしの中で

高さ14.5cm、私がこの木製の観音像(こけし)と出会ったのは昭和46年8月。
当時宮城県の古川市に住んでいた叔父を訪ねて過ごした夏休みの一日、平泉を訪れたおみやげにこれを求めていた。旅行ガイドブックで紹介されていたのを覚えている。

阿修羅像のように神秘な表情を浮かべているわけではないから、みる人の感覚でその面立ちを様々に受け入れるといったものでもない。それがまたいい。極めてシンプルな造形に、細く、やわらかにカーブした木目が見える。つやつやとした光沢があるが、少しづつ「中尊寺」と書かれた一部が薄れかかってきた。底の部分に、「高長作」と記されてある。

43年間ずっと私の身近にあって沈黙はしているが、見守っていてくれる。言葉にはしない思いも、きっと静かに聴きとられていることだろう。時には手のひらに収めてみている。

叔父はすでに亡く、仙台で娘家族と一緒に暮らしていた叔母が亡くなった。
そのせい、ではないだろうが、突然の悪寒に襲われだした午前10時過ぎ。外は春の陽気だというに、体の震えが止まらず熱も上がる。日が暮れる頃まで体調悪く臥した一日になった。

今また、語りかけたいことが一つ…。

コメント (2)
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