京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

アサガオの種に奉るの辞?

2018年06月14日 | 日々の暮らしの中で

アサガオの種に奉るの辞、なんておかしいのかな?  

待てど暮らせど芽を出さないアサガオの種。もうこうなったらと、まずはプランターの土の表面を鎌の先で軽くカイカイっと土を混ぜ返しまして、先日はもう少し大きく、そっとですが土を掘り起こすようにまぜまぜ。あああ、どう気持ちの整理をつけよう。駄目なものはダメ、なんですがね。

17歳のとき、塊打無鉄のペンネームで弟は「無限地獄」というタイトルで詩を書いた。友人と二人で作ったガリ版刷りの同人誌を神田のU書房に置かせてもらい、百部すべて売れたとか。鮎川信夫と吉本隆明の詩集ばかりを好んで読む、老成した、おかしな十七歳だった、
とは友人の談。そして、高校生でありながら学生運動に加わりだして大学にも出入りします。

やがてゲバ棒はペンに持ち替えて仕事をするようになるのですが…。
「26歳で心朽ちたりの実感が似つかわしい」けど、「今年は時節を踏み迷った徒花でも咲かせてみようか」などと繰り言めいたことを綴った手紙が私の手元に残されている。挫折、断念といった体験もしただろうし、語り切れないものを抱えて生きていただろうとも思う。
亡くなった日の10日後のカレンダーの欄に、2件の原稿締め切りがメモされていました。麦藁帽子を背に、涼し気なシャツを着て、ちょっと照れたような笑みを浮かべた遺影でした。もっとキチンとしたものを、という人たちの声を押し切って、義妹が選んだ写真でした。穏やかな、よい笑顔を私に残してくれました。家族の中では言葉を荒げた姿を一度も見たことのない弟でした。
そんな弟の忌明け法要の日に、庭からもらい受けたアサガオの種でした。10代目になっていましたのに。

「花や何、人それぞれの涙のしずくに洗われて咲き出づるなり 花や何やまた何 亡き人を偲ぶよすがを探さんとするに 声に出せぬ胸の想いあり」
とは、石牟礼道子さんが熊本無量山真宗寺御遠忌のために述べられた辞の一部。

気持ちを入れ過ぎぬようできるだけ抑えて、淡々と、2000字ほどの文章にしてみました。


コメント (12)
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