京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

「心は汲める」

2018年06月21日 | 日々の暮らしの中で

街路樹に垣根状にクチナシの花が植えられているのに気づいた。運転席からは少し離れるが、あちこちで白い花が咲いているのが見える。おそらく八重の花。八重はちょっと大味?

神棚が落ちてきた、という知人宅。家具がみな少しだけ前にずれ動いていた。食器棚の中のものを後方に押しやって戻した。落ちて破損、ひびが入った食器。等々、食器棚が前後にぐらぐらと揺れるなんて初めて見たと言った人がいたが、それは私も同じ体験だった。
西京区に住む人が多かったせいで、先日の地震の話題があいさつ代わり。「怖かったー」。受けた被害に差異はあっても、充分に思いやることはできる。心は汲むことができるのだ。つかめなくても。

家にいて、いつ来るかもわからない余震のことを考えていたら気が滅入りそうだった。そうかといって映画を観たい気分にはなれなかった。延期しない?と言いたくもあったが、連絡待ちを決めた。音沙汰なし、は予定通りということ…。

     で昨日、「空飛ぶタイヤ」(原作は池井戸潤の同名小説)を観てきた。
トレーラーの脱輪事故で死者が出る。整備不良が問題ではなく、大企業のリコール隠しが潜んでいることを突き止めていく。大企業を相手に一個人が立ち向かう。そこに、それぞれの立場で不正に向き合う人物たちが絡んだ「大逆転劇」。

現実に戻れば、やっぱり「余震」が頭を離れない。不気味だ…。

コメント (6)
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