夢枕獏さんの『おにのさうし』を読んで臨んだものの、お話は玄奘三蔵の旅をメインにしたものでした。玄奘がどの道を利用したかは未だに特定されていないとか。ご自身が最有力と考える氷河古道コースを歩いたときの写真を示されながら、旅の話を。そして、人はなぜ物語を必要とするかに及ぶのですが、…。肝心なところはどういうわけか記憶に残らずじまい。夜、宿坊で4人の相部屋の人に、今日のお話はどういうことだったのかと尋ねましたところ、「玄奘三蔵の後を追って旅をした、という話やない?」と一人が。単調な話しぶり、眠気との闘いでした。
日本の妖怪文化を研究される小松和彦さん。「本来は見えないはずの妖怪を、絵にしようとした努力から日本の妖怪文化の豊かさが生まれた」と説かれます。『おにのさうし』を読んだ私には多少なりとも関心が持てましたが、「人間の想像力が生み出した文化の中で、最も優れた傑作」も、何かしっくりこない妖怪文化と文学ではありました。『化け物の進化』という寺田虎彦のエッセイ(岩波文庫)を知る。
人と違う独自の考えを持つことが周囲と相容れなくて、人には自分を語らない、見せないで過ごした、引きこもった日々があったことを語り出された宮本亜門さん。交通事故で大怪我を負ったこと、母親の死、そうした体験がやがて人生観を変えた。あらゆるいのちを受け入れ、和の文化を好むようになっていく中で、世界に向けて「ニッポンを演出する」ことに工夫を凝らし活動する今を、お話に。生きよう! と声は弾み、さすがに人を引き付け飽きさせない時間でした。
大地真央さんは、今までの女優生活での出会いや経験、これからの更なる挑戦など。問われたことに応じる形での講演形式に期待は裏切られた。せめて一曲? ほんのさわりだけでも歌声を聞かせてほしかった。
プロ野球中日に入団後、初ヒットは3年後、初ホームランは5年後とか。本能のまま、人の言うことには一切耳を貸さずに来て、挫折も自暴自棄も味わうという山あり谷ありの野球人生。星野、野村監督との出会いなど振り返って、「三度のクビから現役27年間」の演題で山崎武司さん。面白く、聞き入った。
3歳年長の山本昌投手に一緒に野球をやめようと持ち掛けたとき、「自分にはまだ伸びしろがある」という言葉が返ってきたという。自分にはその思いがなかったと明かされた。それはそれとして、この昌投手の言葉が、私には今回のすべてを通して最も印象深く心に残った気がする。
「宗派を問わず、仏教の根幹は縁起による」と高野山真言宗教学部長さんのお話にもあった。無量無数の因縁によって私が成り立っている。人との出会いも、ひとつの出逢いが他の出逢いを呼び、また他の出逢いが追ってくる。巡り合い響き合い、重なり合う、ちょうど寂聴さんが聴かれたあの風鐸の連鎖する「妙音」のようか…。また、遺言を残そうとする人は多いが、この世に残していけるのは心だけです、ともお話に。
毎夜、同室の人と高野の空に火星と金星を見上げて一日を終えていた。
学んでときにこれを習う、という。聴きっぱなしで終わるのか、血肉としていけるのか。「まだ伸びしろはある」に励まされる思いがします。
日本の妖怪文化を研究される小松和彦さん。「本来は見えないはずの妖怪を、絵にしようとした努力から日本の妖怪文化の豊かさが生まれた」と説かれます。『おにのさうし』を読んだ私には多少なりとも関心が持てましたが、「人間の想像力が生み出した文化の中で、最も優れた傑作」も、何かしっくりこない妖怪文化と文学ではありました。『化け物の進化』という寺田虎彦のエッセイ(岩波文庫)を知る。
人と違う独自の考えを持つことが周囲と相容れなくて、人には自分を語らない、見せないで過ごした、引きこもった日々があったことを語り出された宮本亜門さん。交通事故で大怪我を負ったこと、母親の死、そうした体験がやがて人生観を変えた。あらゆるいのちを受け入れ、和の文化を好むようになっていく中で、世界に向けて「ニッポンを演出する」ことに工夫を凝らし活動する今を、お話に。生きよう! と声は弾み、さすがに人を引き付け飽きさせない時間でした。
大地真央さんは、今までの女優生活での出会いや経験、これからの更なる挑戦など。問われたことに応じる形での講演形式に期待は裏切られた。せめて一曲? ほんのさわりだけでも歌声を聞かせてほしかった。
プロ野球中日に入団後、初ヒットは3年後、初ホームランは5年後とか。本能のまま、人の言うことには一切耳を貸さずに来て、挫折も自暴自棄も味わうという山あり谷ありの野球人生。星野、野村監督との出会いなど振り返って、「三度のクビから現役27年間」の演題で山崎武司さん。面白く、聞き入った。
3歳年長の山本昌投手に一緒に野球をやめようと持ち掛けたとき、「自分にはまだ伸びしろがある」という言葉が返ってきたという。自分にはその思いがなかったと明かされた。それはそれとして、この昌投手の言葉が、私には今回のすべてを通して最も印象深く心に残った気がする。
「宗派を問わず、仏教の根幹は縁起による」と高野山真言宗教学部長さんのお話にもあった。無量無数の因縁によって私が成り立っている。人との出会いも、ひとつの出逢いが他の出逢いを呼び、また他の出逢いが追ってくる。巡り合い響き合い、重なり合う、ちょうど寂聴さんが聴かれたあの風鐸の連鎖する「妙音」のようか…。また、遺言を残そうとする人は多いが、この世に残していけるのは心だけです、ともお話に。
毎夜、同室の人と高野の空に火星と金星を見上げて一日を終えていた。
学んでときにこれを習う、という。聴きっぱなしで終わるのか、血肉としていけるのか。「まだ伸びしろはある」に励まされる思いがします。