京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

五山の送り火に

2018年08月16日 | 日々の暮らしの中で

五山の送り火の点火を待つ多くの人で、橋の上や京都御所の平地なども人で埋まったことだろう。

…と想像しながらテレビでの中継を見ていた。
ちょっと足を延ばせばいくつかの鑑賞地点があることは頭に置いている。平素、住宅街を歩いていても、家並みのスキマに「大」の文字を遠望する場所を発見することがある。こちらは思わぬ発見で喜んだが、駆け付けてみれば点火を待つ人たちがたむろし、浮かび上がる東山の「大」の文字とを結ぶスポット一点に頭がひしめき合うということがあった。

玄関で待機し、時間に家の前に出て東の如意ケ嶽に「大文字」を、北方向に松ヶ崎の西山に点る「妙」の送り火を見ていたのは伯父宅で過ごした夏の夜のこと。周囲に家がなかった、もう半世紀も前のことになる。

叔父はすでに亡く、94歳で介護付きの施設に急遽入ることになって、かかりつけの医師の診断書をいただくために伯母に付き添った。医師は「(そんなところにいれたら)死にますよ」と小さな声で口にした。伯母はそれを聞いていて、「死にますよ、いわはったなあ」と私の顔を見てひと言…。
毎朝隅々まで新聞に目を通し、時折赤い線が引かれたものを見ることがあった。足腰は弱ったが杖や家具を頼りに伝い歩き、住み慣れた家で一人暮らしを続けていた。もう限界と、息子の一方的判断で入居の運びとなり、納得させたのだ。
することなくベッドに腰を下ろし、悲しげな眼で私を見ていたなあ…。風邪をこじらせたとかで病院に入院、施設に帰ることはなく入居から3か月後に亡くなってしまった。

その知らせを受けたのは2007年12月8日、弟の葬儀の朝だった。叔母の通夜にも葬儀にも参列できなかった。
生前、京都の福知山市にある伯父の墓参りに連れて行ってほしいという願いを聞き入れたことがなかった。ちょっとそれが心苦しい。伯母を偲び、母親代わりによくしてもらったことを感謝しながら詫びておこう。


伝統を守り受け継ぐ人たち。「鳥居形」の火床で点火に走る炎。ここだけは一人一人が火をつけた松明を持って走り、受け皿に立てて燃やしている。

今日は朝から雨が降ったり止んだりの一日だった。鎮魂の祈りを。

                                (小林良正さんの「ほほ笑み地蔵」)

コメント (4)
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