京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

迷っているのは先祖ではなく「私」

2018年08月13日 | 日々の暮らしの中で
「お墓は亡骸。お内仏に参ったらいいのや」
こういった意味のことを義母が口にしたことがあった。
お内仏には(仏壇には)ご本尊の阿弥陀如来が安置されている。その前で手を合わせよ、とか…。

亡き人の霊が迷わないように迎え火を炊くという風習がある。
が、迷っているのは先祖ではなく、この「私」自身。
先祖のことを考えるなら、まず自分自身の「迷い」を解決させることだ、というわけです。

先祖を偲ぶことを通して仏法に出会い、今一度私自身の姿を振り返る。それがお盆だということでしょう。
浄土真宗では、先祖を迎え供養する日ではないということ。

お墓参りを済ませ、立ち寄られるご門徒とご挨拶を。一年に一度の顔あわっせもあるわけだからこれはこれで嬉しいもの。
言葉は心を持っている。義母の言葉が持つ深い意味に心を寄せるまでになるには時間がかかった。
お内仏で、ひとえに阿弥陀さまのご恩に感謝の合掌を…。

コメント (4)
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