新聞の記事を見て興味を持ち、神保町の岩波ホールへ足を運んだ。
「大いなる沈黙へ―グランド・シャルトルーズ修道院」 Die Grosse Stille
フランス・アルプス山中にある修道院の生活を追ったドキュメンタリーで上映時間2時間50分。音楽もナレーションも一切ない映画ということなのでどうせガラガラだろう、と行ってみてびっくり。
月曜の午前中というのに上映開始30分前のチケット売り場に行列。「席はもう前の方しかありません」、とあとちょっと遅かったら定員制の映画館なので午後の回に回されるところだった。
お客さんの90%はシニアの皆さん。そのパワー、すごいな。
この映画の監督はドイツ人で、修道院に撮影許可を申請したのが1984年、それから16年して突然撮影OKとなり、6か月間修道院に泊まりこんで、映画が完成したのがそれから5年後というから、修道院内の時間の流れがそのまま映画製作にも反映しているかのようだ。
映画そのものもひたすら修道院での生活と周囲の景観を追いかけ、修道僧のたてる物音と讃美歌以外にほとんど音はない。照明も使っていないので暗い場面が多く、画質が荒い場面も多いのはハンディビデオでも使ったのかと思うが、明るい野外でも荒い画面があるのは演出かもしれない。
いささか冗長に思える部分もあって、刈り込めば2時間ぐらいにはなると思うのだが、見終わるとこの冗長さも修道院での生活の追体験として必要なのかもしれないと思う。
舞台となっている修道院はカルトジオ会というカソリックの中でもマイナーな一派で、特に厳格な戒律を守っているとのこと。映画を見ていると、おお、「修道士カドフェル」や「大聖堂」の世界そのままだ(自分の修道院に関する知識は所詮その程度)と思うが、日曜の昼以外は食事も個室で各々摂るし、日曜の午後以外は会話も禁止というから確かに厳しい。
特に食事は各個室の小窓からインドの弁当箱のような容器に入れて配られて、まるで刑務所の独房のよう。
その個室は4畳半ほどの広さで、中には藁布団のベッドと机が一つ、あとは祈りのためのベンチがあるだけで、一日3回の礼拝堂での祈祷と日常の労働の他は、ほとんどの時間をここで一人で過ごすのだそうだ。
修道僧の数は20人ちょっと、ほとんどは老人だが、中には20代か30代前半と思しき人もいて、映画の最初の方で新人も二人入会する。ひたすら黙祷を続けるこの人たちが何を思って修道院に入ったのか、この映画では一切の説明がないがそれがいい。
禁欲とは全く無縁の生活をしているくせに、あるいはそのせいか、こういった修道会や禅寺のような生活にはちょっと憧れを感じてしまう。余計なことを考えないシンプルな生活ってすてき、てなところだが、実際には神や仏への信心がなければ耐えられない生活だろうか。
一方では自分一人の解脱に何の意味があるのか、衆生を救ってこその宗教じゃないのか、とも思うし。
ともかく2時間50分、ゆったりと修道院の空気に浸り、ドイツ人らしいくそまじめな描写に退屈するかと思ったが以外にも眠くもならなかった。
得難い経験ができた2時間50分と言うべきか。
そんな映画を見ながらもやはり禁欲的にはならなくて、映画館から出た途端に
新世界菜館でワンタンメンをいただいて
さらに白山通りからこの看板の所でまがって
「なごかふぇ」へ。
本来は沖縄料理の店だが、夏のカフェタイムは看板の通りかき氷があると言うことなので
アボカドぜんざい、700円。
かき氷にアボカドってどうよ、といささか疑問に思いつつも面白いので頼んでみたが、砂糖を加えて練られた思しきアボカドはカスタードクリームのようで、思いのほかフルーティーさもあっておいしい。さらに氷を掘り進むと黒糖シロップが現れ、底には甘い金時豆と白玉。沖縄のぜんざいは小豆ではなく金時豆なのだそうだが、これも甘すぎずにたいへん結構。
神保町の楽しみがまた増えたかも。
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「大いなる沈黙へ―グランド・シャルトルーズ修道院」 Die Grosse Stille
フランス・アルプス山中にある修道院の生活を追ったドキュメンタリーで上映時間2時間50分。音楽もナレーションも一切ない映画ということなのでどうせガラガラだろう、と行ってみてびっくり。
月曜の午前中というのに上映開始30分前のチケット売り場に行列。「席はもう前の方しかありません」、とあとちょっと遅かったら定員制の映画館なので午後の回に回されるところだった。
お客さんの90%はシニアの皆さん。そのパワー、すごいな。
この映画の監督はドイツ人で、修道院に撮影許可を申請したのが1984年、それから16年して突然撮影OKとなり、6か月間修道院に泊まりこんで、映画が完成したのがそれから5年後というから、修道院内の時間の流れがそのまま映画製作にも反映しているかのようだ。
映画そのものもひたすら修道院での生活と周囲の景観を追いかけ、修道僧のたてる物音と讃美歌以外にほとんど音はない。照明も使っていないので暗い場面が多く、画質が荒い場面も多いのはハンディビデオでも使ったのかと思うが、明るい野外でも荒い画面があるのは演出かもしれない。
いささか冗長に思える部分もあって、刈り込めば2時間ぐらいにはなると思うのだが、見終わるとこの冗長さも修道院での生活の追体験として必要なのかもしれないと思う。
舞台となっている修道院はカルトジオ会というカソリックの中でもマイナーな一派で、特に厳格な戒律を守っているとのこと。映画を見ていると、おお、「修道士カドフェル」や「大聖堂」の世界そのままだ(自分の修道院に関する知識は所詮その程度)と思うが、日曜の昼以外は食事も個室で各々摂るし、日曜の午後以外は会話も禁止というから確かに厳しい。
特に食事は各個室の小窓からインドの弁当箱のような容器に入れて配られて、まるで刑務所の独房のよう。
その個室は4畳半ほどの広さで、中には藁布団のベッドと机が一つ、あとは祈りのためのベンチがあるだけで、一日3回の礼拝堂での祈祷と日常の労働の他は、ほとんどの時間をここで一人で過ごすのだそうだ。
修道僧の数は20人ちょっと、ほとんどは老人だが、中には20代か30代前半と思しき人もいて、映画の最初の方で新人も二人入会する。ひたすら黙祷を続けるこの人たちが何を思って修道院に入ったのか、この映画では一切の説明がないがそれがいい。
禁欲とは全く無縁の生活をしているくせに、あるいはそのせいか、こういった修道会や禅寺のような生活にはちょっと憧れを感じてしまう。余計なことを考えないシンプルな生活ってすてき、てなところだが、実際には神や仏への信心がなければ耐えられない生活だろうか。
一方では自分一人の解脱に何の意味があるのか、衆生を救ってこその宗教じゃないのか、とも思うし。
ともかく2時間50分、ゆったりと修道院の空気に浸り、ドイツ人らしいくそまじめな描写に退屈するかと思ったが以外にも眠くもならなかった。
得難い経験ができた2時間50分と言うべきか。
そんな映画を見ながらもやはり禁欲的にはならなくて、映画館から出た途端に
新世界菜館でワンタンメンをいただいて
さらに白山通りからこの看板の所でまがって
「なごかふぇ」へ。
本来は沖縄料理の店だが、夏のカフェタイムは看板の通りかき氷があると言うことなので
アボカドぜんざい、700円。
かき氷にアボカドってどうよ、といささか疑問に思いつつも面白いので頼んでみたが、砂糖を加えて練られた思しきアボカドはカスタードクリームのようで、思いのほかフルーティーさもあっておいしい。さらに氷を掘り進むと黒糖シロップが現れ、底には甘い金時豆と白玉。沖縄のぜんざいは小豆ではなく金時豆なのだそうだが、これも甘すぎずにたいへん結構。
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