Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

泥縄 鄭成功

2014-07-08 17:18:40 | 東アジア
ここ3年近く、大好きな台湾に行っていない。
そこで以前ライチー狩りに行った友人たちと今度はマンゴー狩りに行こうと思いついた。

マンゴーと言えば台南、台南と言えば鄭成功。
と言うわけでほとんど名前しか知らなかったので、出発直前になってアマゾンで鄭成功の本を取り寄せた。
 

台湾行きの機内でなんとか読み終わったが、これは正直に言って大いに期待外れ。
それと言うのも鄭成功の38年の生涯のうち、台湾と関わったのは最後の2年だけで、この小説もほとんどは大陸での戦いの話。台湾のオランダ東インド会社を負かしたところで終わり、その後の鄭家と台湾については何も触れられていない。

しかし鄭成功の台湾との関わりが意外に少なかったのは歴史的事実なのでこれは仕方がない。
がっかりしたのは小説の中の鄭成功に魅力を感じられなかったこと。

鄭成功は明と日本との貿易商だった福建人の父親と日本人の母親との間に生まれ、明でエリート教育を受けていたが明の滅亡とともに父親の家業を引き継ぎ、清を倒して明王朝の復興を目指して戦いを始める。
と言ってもこの頃の「貿易商」はほぼ海賊と同義語。鄭成功も10万人規模の軍団を維持するために日本との貿易を続け、さらに沿岸の町を襲っては食料や軍資金を調達する。
鄭成功軍の規律は厳しく、占領した街での殺人や強姦、盗みは死刑だったと言うが、清に支配された上に海賊に食料や金を持って行かれる沿岸の住民はたまったものではないだろう。

なによりこういった行為を「私欲のためではなく、大義のため」と言いながら、担ぐべき明王朝の末裔は単に血脈というだけだし、なんのために明王朝復興を目指したのかが理解できない。
小説の中にも古い知人にそれを指摘される場面があるが、どうも鄭成功を英雄として描きたいのか、批判的に描きたいのかがはっきりしなくて読んでいていらいらする。
海賊行為を続けながらも、大敗したとは言え南京を攻めたのだから鄭成功なりの「大義」はあったのだろうし、なにより父親ともどもすごい美男でカリスマ性があったというのだから、どうせならもっとすっきりした英雄譚が読みたかった。

そんなことを思いつつ初めて訪れた台南。
しかし結局は食に走って、鄭成功ゆかりの史跡などほとんど見なかったというお粗末。
その顛末はイラン旅行記の後で、っていったいいつになることやら。


にほんブログ村 旅行ブログへ  ←人気ブログランキングへ一票、お願いします。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする