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Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

プーリアの旅 3 マテーラ

2018-11-01 18:51:43 | ヨーロッパ
10月14日 続き

宿で休んだ16時、再びケイコさんが迎えに来てくれて、また車に分乗にしてマテーラへ向かう。

街を出ると周りはブドウとオリーブの畑ばかりで、夜飛行機から見た地上が真っ暗だった理由を納得。
 所々にマッセリアと呼ばれる大きな農場の建物が見えるが、昔はここに地主を始め小作人や使用人、その家族たちも集団で暮らしていたとか。

1時間ほど走った所で丘の上に白い家々が見えだして、
 それが目指すマテーラの町。
ここはプーリアから一歩出たバジリカータ州になる。

マテーラは世界遺産として有名になったが、洞窟住居で貧しく非衛生的な生活をしていた人々が古い住まいから退去させられたと聞いていたので、旧市街があるだけの小さな町だと思っていた。

ところが実際に来てみると新市街は大きくて、ブランドショップなども並ぶにぎやかな町。
しかも来年はEUの「文化の街」に選ばれたのでさらに観光誘致に邁進しているそうで、やっぱり来てみなければわからないものだ。

新市街で車を降り、まずはヴィットリオ・ベネト広場の展望台に立ってみると

目の前に広がるのは観光案内でおなじみの景色。石造りの家々が折り重なって建っているが、ここから見るとあまり洞窟住居という感じではない。

ここからケイコさんに案内されて階段を降りて行くと
 
ちょっとした土産物屋通りのような所を通って
 
サン・ピエトロ・カヴェオソ教会の前へ。ここからは町の下の渓谷が見え、崖の上の洞窟こそ初期の修道僧たちがお籠りしたところだ。

 
教会の隣には大きな岩がそびえていて、ここを見ると確かに岩がくりぬかれて住居になっている。
 
下の家の物か、突然立っている煙突もかわいい。

  
さらに広場から見えた丘の上の教会を目指して階段を上がって行くと、途中にはあちこちにホテルやB&Bの表示が。
元の住民が退去させられた後、最近になって修復が進んで洞窟ホテルになっているわけだが、車も入れないこんなところに大きなスーツケースでも持って泊まりにきた日には大変なことになる。

階段は思ったほどは大変ではなく、やがて丘の上のカテドラルの前へ。
ここから見えるのは丘の反対側のバリザーノ地区。

こちら側はカヴェオソ地区となる。

丘のてっぺんのカテドラルは13世紀に建てられたもの。
 
外見はあっさりとしたロマネスク様式だが、脇の入り口から中に入ってみると
  
内部は華やかすぎるバロック様式。
 
わずかに13世紀のマドンナのイコンと14,5世紀のフレスコ画が見られ
 
柱頭にも少しロマネスク彫刻が残っている。

ケイコさんの案内はここまで、集合時間までしばらくは自由時間ということなので、通り過ぎてきた岩窟教会の内部を見ようと来た道を戻る。

 これがサンタ・マリア・デ・イドリス教会の入り口。
もう一つ、サンタ・ルチア・アッレ・マルヴェ教会との共通入場券が5ユーロで、内部には11世紀から17世紀ごろまでのフレスコ画がある(写真撮影は禁止)。
 

トルコのカッパドキアの岩窟教会を思い出すが、内部は小さく、フレスコ画の状態もいいとは言い難い。

教会を出た所で時刻は19時近く。
 
丘の家々に明かりが灯り始めていい雰囲気だ。

最後にもう一つ、一般の洞窟住居を保存しているカサ・グロッタを見学。
18世紀初めに作られたと言うこの家に1956年まで人が住んでいたそうだが
 
この部屋に何人が生活していたのか、ベッドの脇には家畜も同居。
 
部屋の奥には堆肥置き場、排水設備はないのでトイレはオマル、と確かにこれでは衛生環境は悪かっただろう。

 
入口のすぐ脇には台所があって、こちらは狭いながらなかなか便利そう。
 そのそばにあるこの穴は水を汲む井戸だが、このサッシと呼ばれる洞窟住居地区の地下には雨水を貯めて分配するための用水路システムがあったのだそうだ。

グロッタの見学を終えて外に出ると空はもう真っ暗。
 

集合場所である出発点の広場に戻ってみると
 
観光客だろうか、大勢の人で大にぎわい。


最後にサッシの夜景を眺めてルティリアーノに戻った。


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