Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

イランの旅 15 ヤズド~イスファハン

2014-07-10 15:40:20 | 中近東/北アフリカ
5月1日 続き

ヤズドを離れる前に昼食、ということでハマムを改装したレストランに入る。
 
内部は雰囲気があって、これはいい、と喜んでいたら、なんと今日は料理を近くのホテルのビュッフェに出しているのでここでは食べられないと言う。

がっかりしつつ、それでは、とそのホテルのダイニングを覗くとツーリストでいっぱい。
料理も昨晩と同じようなものなので、もっとローカルなところに行きたいと車を走らせ、目に留まったこのコックさんの店へ。
  
ほとんどファーストフード店のような店構えだが、奥には広くてピカピカの厨房があり、しばらく待つうちに出てきたケバブは
 ボリュームたっぷりでジューシー。イランで食べたケバブの中で一番おいしかったが、この一皿がなんとたったの100円!
しかも料理ができあがるまで隣の八百屋を覗いて遊んでいたら、そこからこんな差し入れが。
 
おじさん、おいしいメロン、ありがとう。
やっぱりこういうローカル・レストランが性に合う。

ヤズドを出て1時間ほど行ったところで、ガイドさんが寄り道をしようと提案してくれた。
アルダカンという町に元大統領のハタミさんの生家があり、内部の見学ができると言う。
我々がヤズドで伝統家屋に興味を示したので気を利かせてくれたらしい。

車を降りて住宅地の中に入って行くと
  
 
ヤズド同様、バードギールやカナートがいっぱい。崩れかけた建物も多いが、修復作業中のところもたくさんある。
  台の上に上って立ったままおじさんが織っているのはサドルバッグ。 
 昔はロバの背中にかけたのだろうが、今は自転車で活躍中。
それにしてもこんな織り方、初めて見た。

 結局迷いながらたどり着いたハタミさんの家は閉まっていて中を見られなかったのだが、観光地ではない生きた旧市街が見られてとてもよかった。
どうも我らが若いガイドさんは改革派のハタミさんの支持者だったようだ。

アルダカンからまた1時間でナインと言う町。
ヤズドとイスファハンのちょうど中間地点で、ツーリストの車の休憩地となっているようだが
 
ここも日干し煉瓦でできた砂漠型のいい感じの街並み。

 
高いミナレットが目立つこの町のマスジェデ・ジャーメは8世紀から10世紀ごろまでに作られたイランでも最古のモスクの一つだそうで、ドームも色鮮やかなタイル装飾もないが
   
レンガ組みや細かい漆喰装飾が渋くていい。

このモスクのはす向かいにあるのはサファヴィー朝(16~18世紀)に建てられたお屋敷。
 今は民族学博物館になっている。
  
入口を入るときれいなドーム屋根の部屋があり、そこを抜けると中庭の周りをたくさんの部屋が取り囲む構造。
 中には昔の生活の様子を見せる展示も少しあるが、見るべきは屋敷そのもの。
  
  
鮮やかだったろう彩色こそ褪せてしまっているが、細かな装飾はむしろこうなってこそ日本人好み。

さらにマスジェデ・ジャーメの隣には高いドームの建物があるが、ここもモスクだったのだろうか。
 
 中では地元の写真家が絵葉書を売り、観光案内をしている。

ただの休憩地にしてはもったいないようなナインから2時間、21時にようやくイスファハンに到着。
広くて混雑した街中をさらに30分かかり、ジョルファ地区のホテルにチェックイン。
  
通された部屋はキッチン付きで、その奥に大きなベッドがもう一つ、バスルームも2つあって、イスファハンには3泊するのでこれはうれしい。

夜も遅いのですぐに食事を、とホテルの1階のレストランに行くと、10時過ぎなのに家族連れでいっぱい。
それも食べてみれば納得で
 
サラダ・ビュッフェは充実しているし、そら豆のポロウ(ピラフ)は中から大きな鶏ももが出現。
味はいいし、値段は安く、インド人マネージャ-の指揮するサービスもいい。

イスファハンのジョルファ・ホテルは食事におすすめ。


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泥縄 鄭成功

2014-07-08 17:18:40 | 東アジア
ここ3年近く、大好きな台湾に行っていない。
そこで以前ライチー狩りに行った友人たちと今度はマンゴー狩りに行こうと思いついた。

マンゴーと言えば台南、台南と言えば鄭成功。
と言うわけでほとんど名前しか知らなかったので、出発直前になってアマゾンで鄭成功の本を取り寄せた。
 

台湾行きの機内でなんとか読み終わったが、これは正直に言って大いに期待外れ。
それと言うのも鄭成功の38年の生涯のうち、台湾と関わったのは最後の2年だけで、この小説もほとんどは大陸での戦いの話。台湾のオランダ東インド会社を負かしたところで終わり、その後の鄭家と台湾については何も触れられていない。

しかし鄭成功の台湾との関わりが意外に少なかったのは歴史的事実なのでこれは仕方がない。
がっかりしたのは小説の中の鄭成功に魅力を感じられなかったこと。

鄭成功は明と日本との貿易商だった福建人の父親と日本人の母親との間に生まれ、明でエリート教育を受けていたが明の滅亡とともに父親の家業を引き継ぎ、清を倒して明王朝の復興を目指して戦いを始める。
と言ってもこの頃の「貿易商」はほぼ海賊と同義語。鄭成功も10万人規模の軍団を維持するために日本との貿易を続け、さらに沿岸の町を襲っては食料や軍資金を調達する。
鄭成功軍の規律は厳しく、占領した街での殺人や強姦、盗みは死刑だったと言うが、清に支配された上に海賊に食料や金を持って行かれる沿岸の住民はたまったものではないだろう。

なによりこういった行為を「私欲のためではなく、大義のため」と言いながら、担ぐべき明王朝の末裔は単に血脈というだけだし、なんのために明王朝復興を目指したのかが理解できない。
小説の中にも古い知人にそれを指摘される場面があるが、どうも鄭成功を英雄として描きたいのか、批判的に描きたいのかがはっきりしなくて読んでいていらいらする。
海賊行為を続けながらも、大敗したとは言え南京を攻めたのだから鄭成功なりの「大義」はあったのだろうし、なにより父親ともどもすごい美男でカリスマ性があったというのだから、どうせならもっとすっきりした英雄譚が読みたかった。

そんなことを思いつつ初めて訪れた台南。
しかし結局は食に走って、鄭成功ゆかりの史跡などほとんど見なかったというお粗末。
その顛末はイラン旅行記の後で、っていったいいつになることやら。


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イランの旅 14 ヤズド旧市街

2014-07-02 16:46:09 | 中近東/北アフリカ
5月1日

朝食を食べてまた屋上に上がってみると、今日は雲一つない快晴。
 
町を囲む山の上には雪が残っているのが見える。

さて、ヤズドの観光と言うとツアーではゾロアスター教の神殿や沈黙の塔に連れて行かれることになっているが、ゾロアスター教には興味がないので旧市街を歩き回ることにする。

出発点はマスジェデ・ジャーメ(金曜モスク)。
  
入口にそびえるのはホテルからも見えた2本のミナレット。15世紀の創建時そのままだそうだが48メートルの高さがあってイラン一高いとか。 
 
入口の門やミフラーブには華やかな草花の紋様が見えるが、モスクの内部は砂色と青色の幾何学文様が多くてこれがきれい。
 ミフラーブの正面は少しくぼんでいて、これはシーア派独特とどこかで読んだが、ガイドさんに聞くと「え~、どこでも一緒じゃないですか」ってあまり興味もなさそう(笑)。

  
こちらの礼拝所は正面の一角がカーテンで仕切られ、華やかなステンドグラスのこの部分は女性のための礼拝場所。
 ここのミフラーブもうっとりするほど美しい。

と言うわけでマスジェデ・ジャーメのタイル装飾はこちら↓ 

このモスクのタイルはよく見ると絵付けタイルではなくすべてモザイクタイル。それであの細かい紋様を作り出すのだから気が遠くなりそうだ。

金曜モスクを出た後は旧市街の狭い路地を歩き回る。
  
強烈な日差しの中では高い塀が作ってくれる日陰がありがたく
  
 
上を見上げればたくさんのバードギール。
   
  
壁には素敵な扉がいっぱいでフェチにはたまらん。
扉のノッカーは片方は棒状、片方は丸くなっていて、棒は男性用、丸は女性用と象徴的だが、叩く音で訪問者の性別がわかるようになっているんだそうだ。

路地の中には
 
パン屋さんがいくつも。
  
こちらはバイオリン工房だが、さすがにこれはヤズドに一軒だけだとひげのマイスターがにこやかに教えてくれた。

ちょっとした広場に面しているのは通称「アレクサンダーの牢獄」。
 
深い古井戸があるのでそう呼ばれているらしいが、地下には水の周りでお茶ができるカフェがある。
    
ここで「一緒に写真撮って」と言ってきたかわいい女の子たちと話していると、男子高校生の団体がどやどやと乱入してきた。
むさくてうるさいのはどこの国も一緒、と見ていたら一人変な日本語の書かれたTシャツを着ている子がいる。面白いので写真を撮ろうとしたら気が付いて隠れてしまった。すると我らがガイドさん、近くにいる子を一人捕まえて「あの子連れてきて」と命令。
結局目当ての子は見つからなかったが、イラン人の気安さ、楽しすぎる。

牢獄を出たところにはフェルーデ屋さん。
 
ここはヤズド式とかで、シラーズのはビーフンが凍ったようにパキパキした食感だったが、こちらは糸こんにゃくかくずきりのように柔らかい。上に乗っているのはバジルシードと小さな茶色い種。この茶色い種は暑気払いに良いとされているそうで、ジュースも飲んでみたが砂糖以外の味は特にしなかった。

ふたたび路地に入りこんで、先ほどの男子高校生たちと入れ違いにこちらに入る。
  
目立たない小さな入口だが、ここはラリハ邸という19世紀に建てられたお屋敷。見取り図にある通り
 中庭の四方を部屋が取り巻いている。
裕福な商人の家だったそうだが
  
  
ステンドグラスや、天井に美女たちの絵を散らした部屋など西洋風の装飾が華やか。

さらに昨晩のバザールへ、と行きたいところだが、これからイスファハンに向かわなければならないのでここでタイムアップ。
もう一晩ここに泊まればよかった、と思うほどヤズドは気に入った。


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イランの旅 13 ヤズドの宿と夜散歩

2014-07-01 17:24:21 | 中近東/北アフリカ
4月30日 続き

ヤズドでの宿泊は旧市街の中。

イランにも古い邸宅が残っている町はいくつもあるのだが、モロッコやシリアのようにそれを改造しておしゃれなホテルにする資本がなく、ほとんどは朽ち果てるままに放置されているとか。
その中でヤズドには改造された邸宅ホテルがいくつもあり、今夜はその一つに泊まるのだ。

茶色い壁が連なる中、細い路地をくねくねと入った所にホテルはあった。
 
Mehr Traditional Hotel
正面には受付ロビーがあり、その脇の通路を入ると中庭があってその周りを部屋が取り囲む。
  中東ではおなじみのスタイルだ。

友人と二人でシェアする部屋は随分広い。
 
家族で旅行することが多いせいだろうか、イランにはベッドが3つの部屋が多くて、これは二人で使う時には荷物が置けて便利。
部屋にはテレビや冷蔵庫、湯沸しもあるが、壊れて使えなかったり、汚れていたりするのが残念。部屋やバスルームはきれいなので問題ないのだが。

建物内を探検、と屋上に上がってみると立派なバードギールと呼ばれるウィンドタワーがある。これは風を屋内に取り込む天然クーラー装置で、ドバイのバスタキヤ地区でも見たことがある。
 
まわりは一面茶色い屋根で、その向こうにポコポコといくつもモスクのドームやミナレットが見える。

一休みしたところで、行きたいお店があるのでガイドさんに案内を頼む。
 と、ホテルの目の前にはトンネル。これが実はバザールの入口で
  
 
延々とつながるお店も、レンガ造りの屋根も素敵すぎる。
 
渋い銅鍋職人がいるかと思えば、ハデハデなドレスを売っていたり、
 
ペイズリー模様の織物はこの町の特産だそうだ。

 昔ながらの屋内バザールを抜けた先もお店が立ち並んで活気のある町。
 広場の正面にはとても印象的な建物がそびえている。

しかしとりあえずの目的地はそのすぐ近くにあるこちらの店。
 
ロンプラにも載っている「ハジ・カリフェ・アリ・ラバール」はお菓子で有名なヤズドでも名店とされているそうで
  
なるほど中はこの混雑。出て行く人はみんな巨大な袋を下げている。

この店での注文方法は、まずはショーケースで買いたいものを選び、注文票に数を書き込んで店員に渡す。請求書を渡されるので出納窓口でお金を払い、領収書を見せて品物を受け取る。が、すべてペルシャ語なので、これはイラン人の助けがなければ相当難しい。

しかし我々には強い味方がある、ということで無事にゲットしたのがこちら。
 できますものほとんどを網羅した詰め合わせでぎっしり1キロぐらい入っているが、これで約300円とお安い。
蓋を開けると生姜やサフランの香りがしてエキゾチック。ココナッツやピスタチオを使ったお菓子が多いが、お味は甘い!
正直、シリアの洗練されたお菓子に比べると名店と言えどもかなり素朴。でもとりあず有名店のお菓子を買うことができて満足。

買い物を無事済ませたところで、先ほどの大きな建物を改めて見学。
 手前にはなにやら木枠を組み合わせたようなものがあるが、これはナフルと言ってお祭りの山車のようなもの。シーア派の殉教者フセインを追悼するアーシュラーの日にはこの山車に布をかぶせ、大勢で担ぐものなのだそうだ。
そして奥の大きな建物はホセイニーエと言って、そのアーシュラーの日のためだけのものとか。どのように使うのか聞いてもよくわからなかったが、儀式の観覧席なのだろうか。
  
あたりが暗くなるにつれて内部がライトアップされ、実に印象的な建物。
年に一度使うだけのためにこんなものを作ってしまうのもすごいが、マシャドと言いここと言い、シーア派のアイデンティティは殉教者なのかと考えてしまう。

まだまだバザールをうろついてみたかったが、どうも昼間から具合の悪かったらしいガイドさんがつらそうで、しかし先に帰っていいと言っても言うことを聞いてくれない。
仕方がないので一緒にホテルに帰り、中庭のレストランで夕食。
 
大きなおなかとひげが立派なコックさんは大人気で、みんなに愛想よく写真を撮られていたが
 
ビュッフェのお味はかなり残念。

イランの観光業はまだまだこれからだ。


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