今日は何かマッタリした日を送っています。これで涼しくて過ごしやすければもっと良かったのですが、なかなか秋の気配という気温ではありませんね。
今後アップするブルトレの写真を漁っていたら、懐かしい珍しい写真が出てきましたのでご紹介したいと思います。
昭和59年頃 東北本線 与野駅付近にて EF651000番台牽引の配給列車
EF651000番台+ワム80000配給者代用×2+オハネ25100+マニ36
この列車、おそらく列車番号は「配○○○○レ」という大宮工場へ入場するための配給列車だと思いますので、厳密には「混合列車」の扱いにはなっていないはずです。
その頃の経緯は良く分からないのですが、昭和59年2月のダイヤ改正以前には、品川客車区や尾久客車区からそれぞれEF58型が数両の客車を従え、検査のための工場入場車や廃車回送を行うための筋として定期的に設定されていたものでした。
そして、同改正あたりから牽引機がEF651000番台となり、従来は「貨物列車」として運用されていた配給貨車が、客車の回送に混結されるようになったのです。
ですので、厳密には配給列車ですが、外見的には間違いのない「混合列車」の様相を呈していました。
本来、混合列車は、地方線区において貨物営業はしているが貨物輸送量が少なく、さらに客車列車が設定されていて牽引定数や線路有効長に支障のない線区でしか設定されません。
また、混合列車に連結される客車への暖房供給の関係から、暖房装置を持たない機関車の牽引は通常はありえません。(例外として、清水港線のような短い区間では、暖房を使用しないことを前提として、DD13など暖房装置を持たない機関車を運用に充てていたケースは存在しました。)
ですから、暖房装置を持たないEF65が旧型客車を牽引すること自体が本来はないことであり、まして「混合列車」の形態で運転するなんてことは、過去の常識からは考えられないことでした。
じゃ、何でそんな列車を設定することができたのか・・・説明が長すぎたので、また次の機会に。
今後アップするブルトレの写真を漁っていたら、懐かしい珍しい写真が出てきましたのでご紹介したいと思います。
昭和59年頃 東北本線 与野駅付近にて EF651000番台牽引の配給列車
EF651000番台+ワム80000配給者代用×2+オハネ25100+マニ36
この列車、おそらく列車番号は「配○○○○レ」という大宮工場へ入場するための配給列車だと思いますので、厳密には「混合列車」の扱いにはなっていないはずです。
その頃の経緯は良く分からないのですが、昭和59年2月のダイヤ改正以前には、品川客車区や尾久客車区からそれぞれEF58型が数両の客車を従え、検査のための工場入場車や廃車回送を行うための筋として定期的に設定されていたものでした。
そして、同改正あたりから牽引機がEF651000番台となり、従来は「貨物列車」として運用されていた配給貨車が、客車の回送に混結されるようになったのです。
ですので、厳密には配給列車ですが、外見的には間違いのない「混合列車」の様相を呈していました。
本来、混合列車は、地方線区において貨物営業はしているが貨物輸送量が少なく、さらに客車列車が設定されていて牽引定数や線路有効長に支障のない線区でしか設定されません。
また、混合列車に連結される客車への暖房供給の関係から、暖房装置を持たない機関車の牽引は通常はありえません。(例外として、清水港線のような短い区間では、暖房を使用しないことを前提として、DD13など暖房装置を持たない機関車を運用に充てていたケースは存在しました。)
ですから、暖房装置を持たないEF65が旧型客車を牽引すること自体が本来はないことであり、まして「混合列車」の形態で運転するなんてことは、過去の常識からは考えられないことでした。
じゃ、何でそんな列車を設定することができたのか・・・説明が長すぎたので、また次の機会に。