マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

EF641000番台牽引:旧客「能登」

2007-09-23 19:45:03 | 国鉄・JR機関車(直流型)
こんばんわ。

今日もまた懐かしネタの登場で、旧型客車を使用していた頃の「能登」です。
過去ログでもお話させていただいておりますが、念押しの意味もこめて、私の知っている限りの経緯をお話させていただきます。

能登の前身は、上野~金沢を結んでいた急行「北陸」に始まります。
「北陸」は2往復が設定されており、寝台・座席混合の編成である「北陸1号」と、A・B寝台車のみで編成されていた「北陸2号」がありました。
昭和50年3月のダイヤ改正において、「北陸2号」は「はやぶさ」「富士」「出雲」の24系化による余剰車両を利用して上野~盛岡間を結ぶ急行「北星」とともに20系化され、同時に寝台特急列車に格上げとなりました。

一方、「北陸」の名称を特急に取られてしまった「北陸1号」は、「能登」の愛称を与えられ急行列車のまま存置されました。

昭和57年11月の上越新幹線の開業時において、信越本線経由の「越前」の運転区間を短縮し、「能登」の名称を継承しましたが、さらに北陸新幹線の開業に伴う碓氷峠の廃止により運転線路を失った「能登」は、碓氷峠の廃止により余剰となった489系を使用した電車夜行急行として再び上越線経由で返り咲き、現在に至ります。

当初は、オロネ10、スハネ16、スロ62、スハ43系といった旧型客車で運転されており、のちに特急列車から余剰で捻出された14系寝台車・座席車に変わっています。
14系客車時代に一時七尾線にも乗り入れを実施していましたが、あまり長続きせずに解消しています。

今回ご覧いただきます写真は、EF641000番台が配置されて間もない頃の「能登」です。


昭和55年10月 東北本線 蕨~西川口間にて EF641000番台牽引の上り「能登」

客車時代の急行「能登」ですが、「北陸」時代からEF58が担当していました。水上~石打まではEF16の前補機により上越国境を越えています。
昭和55年当初、EF641000番台がEF16を置き換えるために水上区に配置され、これが完了すると長岡区のEF58をすべて淘汰し、この時点において「能登」の牽引機もEF641000番台に変わっています。
折りしも、客車は旧客のまま残っていたため、最新鋭でヨーロピアンスタイルのEF641000番台が全車旧型客車の編成を牽くという、この写真のとおり、非常にギャップの激しい時代の1コマです。

その後、上越新幹線開業の影響で信越本線経由となった「能登」は、定番のとおりEF62の牽引に移行されています。

今でさえボンネット型の特急車両を使用し、ヘッドマークまで掲示された人気の「能登」ですが、その昔は、全国に走っていた旧態然とした旧客夜行急行列車の一つに過ぎなかったのです。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする