蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

学歴偏重

2012-08-07 | 人生

わたしは、子供に、「勉強しなさい」と言った記憶がない。
わたしは、親にも「勉強しなさい」と言われた記憶がない。

学期末の通知簿やテストも、親は見ていない。
親は忙しくて、それどころではなかったのだろう。

ただ、母は、突然、「あんたは、学校で、いったい、なにを習っているんや?」
と、わたしが今、書きかけの小説の中に出てくる、主人公の鬼の母親みたいな、
憎たらしい、頭ごなしの反語っぽい否定から始まる凶暴な言葉で、わたしを傷つける。

勉強しろとは、決して言わないし、学歴偏重志向の父とは、意見が正反対の母だった。
(だが、たまたま、知人から耳にした、親が手抜きできる学校に、子供を放り込んだ)

父は、いつも、わたしに、「こんなことも、知らんのか」と頭ごなしに言い、
わたしは「学校で習ってないもん」と異議申し立てをする。

ふたりとも、わたしには勉強をしろとは、一言も言わなかったし、そのまま、わたしは、のんびり育った。
ある日、わたしは、のんびりすぎる、困った結果を抱え、
学校の勉強がわからないので、家庭教師をつけてほしい、と母に頼んだが、
「そんなもん、必要ない。どうせ、あんたは勉強なんかせんやろ」と、けんも、ほろろ。

このままでは、わたしは、社会の星クズになってしまうのでは・・・と、危機感に駆られ、
とりあえずは、中学のとき、英語塾に入ることにした。
親は、すんなり承諾した。
(といっても、姉と同じ塾だけど)

中学では、脳が溶けそうな化学をはじめ、苦手科目は深刻さを増していた。
気合と根性だけで、意味もわからず丸暗記、高校だけは・・・と、志望校をめざした。
高校の時、拍車をかけ、理数系は、まるで、ちんぷんかんぷん。
塾以前の問題だった。

学校のシステムはちょっと不思議で、わたしは数学は、からっきしデキなくて、ついていけなかったが、、
高校3年の時に進んだ文系女子のクラスでは、教科書に応じた内容の中間・期末テストは、高得点だった。
つまり、理数系に進む気のない生徒、しかも女子には、授業は教科書の内容、テストも教科書に沿ったもの、
しかも、テストの難易度はかなり低く、誰でも満点に近い点数は取れるようになっている。
(と、たぶん、想像する。わたしが取れるぐらいだから)
まったくデキない数学なのに、点数は満点に近い。
嬉しいかというと、複雑な気持ち。
ラッキー!! あるいは、ナメてんか?というかんじ。でも、哀しいこともない。
(高校3年の数学は、私立では文系の生徒は、大学受験に科目を絞って、
ひょっとすると数学の授業そのものが、学校では行われていないかもしれない)

点数なんて、評価基準によっては、あって、ないようなもの、
評価なんて、あって、ないようなもの。


デキが悪くても、その方面に進まない場合、凪のように波や風は止まるってこと。
それをラッキーととらえるか、こりゃ、いかん、ととらえるか。
それは、各人、それぞれの性格であり、生き方であり、人生である。

学歴を必要とするか、しないかで、天国と地獄の差。
楽をしたり、苦労をしたあとの、学歴の違いも、天国と地獄の差。

その後の人生、学歴に左右されるところに、いるのか、いないのか。
社会での立ち位置、ポジション。
各人、それぞれ。

学歴と学力も微妙に違う。


下娘は、
「勉強しろって言われなかったから、勉強しなかった」と、言っている。
上娘は、受験直前までクラブをしていた。(体育系)
息子は、中学以来は、家で勉強をしている姿を見たことがない。
(横になって寝ているような姿で、本を下に置いたまま読んでいて、
よく見ると、それが勉強関係のものだったような時も稀にあったかも)

わたしは、勉強しろと親に言われなかったので、勉強しなかった。
子供のことは、まったく言えない。

だが、無言のプレッシャーは、あったかも知れない。

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宇宙人も、昼ごはん、食べます

2012-08-06 | ブログ

ブログって、なんだろう?

人によって、使い方は、さまざま。
オフィシャルブログの色合いの濃いものもあるし、遠くに離れている知人への報告みたいなもの、
メッセージ、呼びかけ、啓蒙啓発系や、日記みたいなもの、
趣味のお披露目みたいなのや、食べログみたいなものもある。

5年前、わたしは、最初、おそるおそるブログをスタートした。
わたしの、隠れ「上から目線」ブログ・スタンスからすると、想像のとおり、ほぼ、一方的発信となった。
とっつきにくいブログには、読む人はコメントする気も起こらず、その結果、ブログの反応が直接伝わってこない。
なので、真っ暗な中、土をかきわけかきわけ、手探りで進んでいた、モグラ状態だったが、
モグラはモグラで、けっこう、楽しくやっていた。

ネットサーフィンをして、他のブログをちらちら見たりしてみると、
ごく限られた、些細な日常の出来事を、時には写真つきで羅列した内容に、
ブログの知り合い(あるいは、リアル友)が、
「よかったね」とか、「わあ、きれい」とか、「おいしそう」とか、「かわいい!」とか、
お互いを訪問してコメントしあう、「おんなの子・仲良しブログ」、「お友だち行ったり来たりブログ」が多く目についた。
日々の通常の出来事にいちいち、何人もが寄ってたかってコメントしあう、そんなのは好きでなかったので、
人の来ないブログでも、毎日、チマチマ煩雑な、あんなのよりはいいなあ・・・と思っていた。
まあ、ブロガー本人は面白いのかも知れないけれど、読んでいるほうは、まったくどうでもよく、興味もなく、おもしろくもなんともない。

リアルの世界での行動特徴とも似ているかも知れない。
わたしは、つるんで、「そうね、そうね」と口をそろえて、団体行動は苦手なので。
好きなように一人で行動するほうが、気楽だ。

多くの人が集まらない、人里離れたところにある、わたしのブログ。
人から見れば、実用とは程遠い、どうでもいいもの、役に立たないもののオンパレなのだが、
人には人の好みというものがある。
実用に秀でた人には、その分野をお任せし、くだらないことに秀でた人は、これまた、その分野をお任せし、
わたしみたいに、自己のなかでぐるぐる回って、無駄に時間を費やしている人間は、
これまた、任せていただくことはないにしても、こんな一人遊びして楽しんでいる人もいるのか・・・・と、
不思議に思っていただくのも、それはそれ。

人には人の楽しみ方があり・・・
それを端からとやかく言うのは、ヤボであって・・・

まあ、なんです・・・、その・・・話はどこまで行きました?

わたしの場合、こんな人間なものですから、リアル友も、「わあ、きれい」とか、「わあ、おいしそう」とか、
そんなことをいちいち言ってくれるタイプは、あまりいなくて、
「えー、そんなことやってんだ」とか、「またまた、そんなことに夢中になって」とか、
お腹のなかで、思うだけで、いちいちコメントを寄せてくるほどの暇人はいない。
各人、自分の道を突き進んでいる人が多いように思うので、人のことに首を突っ込むヒマがあまりないように感じる。

人のことを気にする余裕があれば、自分のことに目を向けるのかも。
(人を手本にしたり、反面教師にしたり、どうしても許せなければクレームをつけたり・・・そういうことはあっても)

ということで、おんなの子ブログでも、もりもり働き者主婦ブログでも、なんでも相談・智恵おばさんブログでも、
サロン・マダムブログでも、なく・・・・
不思議な、役に立たない総合商社「蝶」ブログとなったわけである。

(ちなみに、蛇足中の蛇足だが、
自分のことを「キラキラ主婦」と名づけて、輝く主婦のお手本にしてください、というブログを見つけて、のけぞった・・・)


世の中に、なんの役に立たなくても、こんな無駄なものが、ひとつやふたつ、あってもいいのでは・・・
そんなノリだろうか。
今の、省エネ時代には、あきらかに逆らっているし、
未曾有の大災害の後、節電やら、世の中のムードが変わっているのに、
ひとり、ぬーっとして、なんだか違う宇宙で、昼ごはんを食べているような・・・

と、自分のブログを分析してみた。
が、まともなことも書いている時期もあり、ちょっと硬く、眠く、
昇華しきれてない(消化しきれてない)ことも多々あるが、(いや、昇華は、死ぬまで無理)
常に生涯、落ちこぼれ研修生のわたしなので、まあ、こんなものだろう。

ブログを通して、数々の師匠に出会い、切磋琢磨していきたいと願うのだが、
あいかわらずの、宇宙人のわたしには、共通言語が見出せないこともある。
ボディランゲージやアイコンタクトで、補いたいところだが、それはどうやら無理なので、
果てしなく広がる想像力、好奇心で、追究してみようと思う。

ご近所ブロガーさんたちをはじめ、みなさま、ときには、ためいきをつきながら、うとうと眠くなりながら、
何卒ご協力お願い申し上げます。

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本日は、いつもの梅ちゃん先生の時間帯に、原爆式典。
黙祷。
忘れてはならない惨事。平和への努力。感謝。 

 

 


駄々をこねても、かわいくない

2012-08-05 | ブログ

わたしは、じつに、じつに、じつに、不思議な気がしている。

それは、なにかと言うと・・・
わたしの、この、へんな(自覚症状あり)ブログを、面白く感じてくださる方々がおられるということだ。
そりゃあ、何百、何千、何万人もの・・・なんていうことは到底ありえないし、冗談にしては自虐すぎて寒すぎる。
でも・・・ほんの少しの方にでも、面白いと思っていただける光栄・・・
あまり、いままで感じたことは、なかったのだが、
このたび、ブログをやめる、だの、なんだの、ちょっと駄々をこねたものだから、
こころやさしい、ご近所さんやら、面倒見のいい自治会の会長さんやらが、説得に来て下さった。

こういう人騒がせな住民、一人一人に、気をかけてくださり、お手間取らせてすみません。
こころ、入れ替えて、頑張ります。
といっても、あいかわらず、ひとりよがりな、ちょっと変わった文章を書いて、ひとり、ほくそえむだけだが。

お騒がせして、すみませんでした。
年とってても、かわいげないんです。

 

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人は見かけで騙される

2012-08-04 | ブログ

人が見かけで判断されるように、ブログのタイトルで、人は集まったり、スルーしたりする。
タイトルのつけ方は、アクセス数に大きく影響するようだ。
そして、アクセス数と、ブログ村の人気記事ランキングは、まったく関連性がないようだ。

わたしは、長く自分のブログを続けてきて、多少の演出はあっても、さして、大きなウソはなく
(「誇張」や「装飾」「偏見」を「ウソ」と指摘された場合、返す言葉がないが)
そうやって、あれこれ書いてきたので、
ここにきて、ホンネ中のホンネが書きにくくなってきた。

ブログを始めたころは、必死だったので、ありのままを熱心に、汗水流して、自分なりに工夫して書いてきたが、
いまは、どうだろう・・・??
決して、ありのままではないような気がする。

「ブログを続行してください」、とリクエストを受けることはあるが、それは、その人の都合で、そうおっしゃるわけで、
わたしは、自分より、その人の都合を優先するほど、スタミナがあるわけではない。
今のこのブログのままでは、だんだん、しんどくなってきている。

ご近所ブログの皆さんは、新しくブログを切り変えているが、わたしは、新しいブログを追加していっている。
つまり、結婚していて、離婚、再婚、離婚、再婚を繰り返しているケースと、
結婚していて、離婚せずに、恋人を一人増やし、二人増やししているようなもの。
恋人は変わっても、配偶者はずっと同じ。

住んでいる家を処分して、老人施設に入所したり、外国に拠点を移し変えたり、引越ししたりするケースと、
住んでいる家をそのまま残して、別荘を持ったり、週末マンションを購入したりしているようなもの。
(そんな、豪華版ではないが)
あっちこっちに、住居を持ちつつも、毎日、元の家には必ず帰り、住み続けている。
窓を開けて風を通すだけではなく、毎日、水もやり、草も、引いている。

それが、息がつまりそうになって、第二の家(恋人)、第三の家(恋人)を創るものの、
そこで自分を解放しているかというと、そうではなく、嘘八百も書けず、別の自分にもなれず、
自分の特化した部分を分けただけに過ぎない。
恋人たちの家でも、水をやったり、草を引いたりすると、労働量が増えるだけで、もはや息抜きなんかではない。

総合デパート・ブログだったのを、その中から特に思いの強いものを切り離し、専門店として、出店しているだけだ。
あいかわらず、本家のデパートは、カタチは少しずつ変わりつつも、営業を続行している。
だが、時流の波にも乗り切れず、赤字だ。


演出を少し引き算したとしても、自分の書いてきたものは、紛れもなく自分。
そんなに長らくお読みいただいている方がおられるのかどうか、知らないが、
自分のブログには、本当の自分がいて、過去の自分は消えていなくて、
ひょっとするとずっと読んでおられる方がいて(先日、ありがたいコメントを頂戴し、それはそれで驚きとともに嬉しく思い・・・)
しかも、本当にリアルの方も何人か、読んでくれていて・・・
で、ここにきて、疲れてきた。
息がつまってきた。

自分ではない、自分を出したい。
現実の自分ではない自分ではあるが、本当の自分を。
人に見られても、聞かれてもいいホンネって、ありえる?
それは、ホンネではなく、お飾りものの、映倫カットつきの、検閲つきのホンネであって、
もはや、そんなものはホンネとは言い難い。

気分転換のようなものをしたいのか。
他のブログもどれも、みな直球になってしまっている今、息抜きできる場所がない。

そのためには、やはり、いったん、このブログを製本化して、自分の記念として紙に残しておきたい。
(ブログをいったん閉鎖せずに、そのまま続けているのは、自分のこれまでの歩みを肯定していることだそうだ。
ご近所ブロガーさんに、そう指摘され、なるほど・・・と、気づかされた。
ただし、人の目を意識している・・・そこには、自分に正直でない部分は、多少?多々?ある。
それは、経験から得た悪智恵だ)

それからのことは、また、それから考えたい。

そう言いつつ、どんな装丁、どんな形式、どこの会社に、いつ・・・
・・・ほんとうに、閉鎖して、いいのか?
あるいは、もうひとつ、ホンネブログを立ち上げる?
しかし、これ以上、ブログを持つのは、限界を超える。
あれこれ具体的に考えるのが面倒で、縮小版で、細々、ずるずる、右肩下がりで、このまま行きそうだ。

自分に純粋、正直、妥協を許さないのではなく、やはり、たんに、面倒くさいだけだ。
結婚もこれに似ている?
コトを大げさに騒ぎ立てると、後々が、面倒なので、些細なことには目をつぶる。
年をとってくると、行動まで省エネになってきて、理想だの、希望だの、そんなことは、めんどう。
理想のための、具体的行動や努力や、
後々に控える、逆風や反動、リアクションを考えると、
なにごとも、そっと・・・多少の不満はあっても、そのままにしておきたい気になる。
濁った目は、益々、体の動きとともに、濁ってくる。
鈍さ。
これが、老人力?
いやはや、・・・都合のいい言葉を考え付いた人がいるものだ。

でも、ほんとうにほんとうに、蝶ブログ続行、どうしようか、悩んでいる。
だが、明日は、忘れているかも知れない。

 

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朝は、涼しくて、ほっとする・・・が。

2012-08-03 | わたし

昨夜は暑苦しくて、無風状態。
部屋には扇風機もないので、(ぱたぱた手動・団扇のみ)、(クーラーはあるが、つけない主義)
風がなくなると、もわっとなって、手の施しようがない。
あまりにも暑いので、布団から、ぼーっと上半身を起こして、月を見ていた。
空のずいぶん高いところに、月が光り輝いていた。
この光で勉学に励む、なんてこともあるのか・・・ない、ない。
ひとりで、真夜中、夏の暑苦しさに、もがき苦しむのも、また、おつなもの。か?


ところで・・・

だれか、わたしに500円めぐんでください。
一ヶ月、500円・・・(だったかなあ???)
500円あると、広告が、わたしのブログのタイトルと本分の間に、載らない。

固定費、500円、どうにかならないか?
ケータイ電話が紛失したり壊れたり、の、もしかの時の保険代が、いま、一ヶ月300円。
あ、これを解約すれば、残りあと、200円で、すむ。
(これは、暑苦しい深夜にアタマに浮かんだ案。暑苦しいときは、発想も、ちっこい)
朝のブログアップに手間取って、出発がもたついて、バスに乗り遅れた時のタクシー代、650円。
間に合うように努力すると、1回のタクシー代で、これで三ヶ月、いける。

でも、わたしは、預金口座からの毎月の固定引き落としがキライなので、金額の問題ではなく、
おそらく、広告を載せ続けることだろう。
どうせ、たいしたことないブログだし。
(でも、目障り。広告を文末に持ってくればいいものを、なんで文頭?!)

お金も払わず、タダで使っているのだから、文句は言えない。


関係ない話ですが・・・

太宰治、学生の時、好きだった。
人間失格。
読んだ人で、感動した人は、みな、思ったのかも知れないけれど、
「あ、これ、わたしのことやん」って。
作家は、すごいです。


こころの悩み、からだの悩み、いま、わたしには、なあんにもないんで、
人のこころの痛みもわからないし、すべてのことに鈍感になっている。
こういう、わたしみたいなお気楽なヤツは、なるべく、うろうろしないで、(カンにさわるだろうから)
ひっそりと、一人遊びしていたほうが、よさそうだ。

悩みの経験がないので、悩みを持つことが怖い。
いったい、どうなってしまうのか、想像もできない。
経験したことのない「死」を恐れるようなもの。

ほんとうは、もっと悩まなければいけないのだろうけれど、
危機管理が極端に甘いので、致命的な「その日」が来るまで、無邪気にしている。
ちょっとでも悩みだしたら、悩みは悩みを引き寄せ、引き出し、新しい悩みを生み、悩みの連鎖が起こる。
なので、脳が勝手に制御して、悩まないことにしているようだ。
が、のーてんき、で、ミスも多い。
いったん、ぐじぐじ思い始めると、ぐじぐじ、ぐるぐる、じめじめ、じとじと、際限ない。
なので、もうやめる。
底なし沼に、ずぶずぶと入っていくようで。


また、関係ない話・・・

昨日、ジムで体重を量ると、高校の時より軽い、大人になってからの自己最低・体重。
お腹の肉も、すごく取れた。
体が軽いと、こころも軽い。
お読みになった人は、それが、どーした?という内容でした。


今日は、どうも、筆が、もたつき、からみつき、なんか、わたしに反抗的。
なにを書いても、素直ではなく、爽やかではなく、ねちゃねちゃしている。
こういうときは、一目散に退散するに限る。

 

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お見合い結婚って、なあに?

2012-08-02 | 暮らし

お見合い結婚について。

閉鎖された地域では、よく行われていた。
親戚間での婚姻もよくある。
明治~大正時代は、女学校の先生が、善意で、生徒の嫁入り先を紹介していたことも、けっこうあった。
嫁入り先は、同じクラスの生徒の、実家の長男に、とか、
紹介する生徒側も、される生徒側も、両方生徒の家なので、わかりやすい。
物産品の生産地や、生産者(=生徒の家)をよく知る、先生によって行われる、
教室を市場に見立てた、ブツブツ交換のようなものだ。

また、男女の出会いがあまりない職種の男性や、女性、
あるいは、自力で女性を口説くことが出来ない男性の結婚サポートシステムとして
お見合いは確実で、手っ取り早い。

途上国女性と日本男性、日本女性と白人男性という、上方婚もある。
インターネットで、アジア(日本以外の)女性を日本男性に紹介するサイトもある。
(魂胆が透け透けで、無性に不快な気持ちになる)
中国のように、熱心に、先に親が婚活をする場合もある。
条件は、結構、厳しいようだ。
恋愛がどうこう、スキだ、とか、究極の好みや感情の追究に至らずとも、
どっちか一方が(理想は両方が)少しでも好感を持てば、結婚は成立しそうだ。

就活のように、エントリーして
双方の条件に合った相手をコンピューターでマッチングする、わかりやすい結婚紹介システムもある。


結婚をどうとらえるかという、個人の考えも大きな要素だ。
お見合いではない場で知り合っても、相手が熱烈に惚れてくれた場合、
結婚するとしたら、この人ならいいかな、と、さほど自分は死ぬほどスキでなくても結婚することもある。
お見合いの時のボルテージと、さして、かわらない。
自分が相手を強烈に大好きになって、どんな悪条件も、はねのけるぐらいの熱情があれば、
結婚後も、後悔せず、やっていく自信があれば、結婚するとよい。

恋愛して好きになったら結婚したくなるのが、通常、ノーマルな順序だろう。

相手が、熱烈に「キミがスキだ」と言って結婚を申し込んできたとしても、
(イタリア人は、しょっちゅう、言っているようだけれど)
なかには、結婚に向いている相手だと判断して、申し込んでいる場合もある。
逆に、相手に猛烈にアプローチ、アタックする場合も、結婚に好条件な男性を射止めようとする女性もいる。

恋愛に破れて、でも、誰かと家庭をもって結婚したくなり、お見合いするとか、合コンに参加するとかする場合もある。

恋愛の時も、カッコイイ男女は、引っ張りだこで競争率が高いが、
結婚においても、条件のいい男性は、引く手あまたで、すぐに売約済みになってしまう。
ただし、条件だけではなく、本人の資質(ルックス、性格、思考力など)も当然、重要な要素。
しかしながら、どれに重きをおくか、優先順位は、ひとそれぞれ。

結婚には、いろんな考え方があって、千差万別で、正解はない。
国や時代によっては、一夫多妻制のところもあるし、母系家族のところもある。
通い婚も、遠距離・婚も、マスオさん婚(婿養子)も、形態は様々。

昨今は、核家族が当然のようになっているが、若い世帯の子育て放棄など、弊害も生まれている。
民間や行政機関の子育てサポートの利用だけではなく、
タテのつながりをうまく生かして、親世代が、若い世代の力の及ばない部分は、縁の下の力持ちとなり、
子育てをバックアップするのが望ましいと思う。
(とはいえ、でしゃばらないこと)

スキだから結婚するのもよし。(後のことは、一切考えない人と、考える人がいる)
あとで、スキにならなくなって離婚するのもよし。(これは、結婚するときより、困難)
離婚できないならできないで、それもまた道。

恋愛であれ、お見合いであれ、結婚とは、生活である。
共に暮らすということ。家庭を持つということ。
結婚しないで同棲、のちに子供が生まれる、ということもある。
結婚を視野に入れて同棲していても、破綻する場合もあるが、結婚しても破綻することもある。

だが、日本の場合、同棲と結婚は違う。
(フランスのように、同棲と結婚をあまり切り離して考えないで、その中間的な制度を作っている国もあるが)
制度としても、違うが、
親戚や職場など、社会的に認知される結婚には、社会人としての責任のような自覚が芽生えると考える。

同棲なら、破綻した場合、解消するのは自分達だけの問題だが、
結婚の場合、そうはいかない。
そっと離婚した場合は目立たないが、再婚する時に、周りにいずれは気づかれることになる。
両家、両方の職場、その他、影響を及ぼす範囲は大きい。
なので、少々の難は、目をつぶりガマンする。
そのうち、雨降って、地かたまる、などという発展的・相互理解につながることもある。

似たような環境の人と結婚するほうが、困難が少ないと予想できる。
あまりにも違いすぎると、価値観の違いが埋められなかったり、
恋愛時代には、お互いの違いを新鮮に思っていても、
結婚後は、その決定的な違いは、ズレ、溝となり、お互いの環境や親、親戚を非難しあうことにもなりかねない。


王位継承権のある王族が、その地位を捨てて、一般人と結婚するケースが、なかにはある。
一般市民には関係はないことだが、オフィシャルとプライベートが、ごっちゃになっていて気の毒ではある。
日本の皇族は、一般人から嫁入りするようになったが、男性が婿入りしたりはしないようだ。
どっちにしても、庶民には関係ないことではあるが、
国の長い歴史を誇る場合に、生き証人のように、時代をつないでいる。
政治や時の権力者に利用されたりして、自分ではどうしようもない、うねりに巻き込まれることも大いにある。

結婚制度、家制度なんていうものは、時代とともに移り変わっている。
古い意識に縛られている人もいるし、
全てが全て、陳腐で無意味なものかといえば、そう言い切れないようにも思う。
しかしながら、悪しき陋習は、破るべきである。
が、踏襲すべきことも、先代からの丸のみではなく、厳選して次代に引き継ぐことも悪くない。
先人の智恵を、すべてをはねのけるのではなく、良いと思ったものは拝借することは、決して悪くない。
ただし、チョイスする力が必要。
選択を誤ると、ややこしい、厄介なことになる。

結婚観は、時代や場所によって違うのは当たり前だが、
現在のそれぞれの生きている場所によっても、大きく違う。

単純に感情面や性の面だけを取り出して、議論するのは、大いに結構。
スキャンダルネタで騒ぐのもストレス解消になることもある??
お互い同居人(配偶者)や親族の、生活スタイルの温度差を愚痴って、日々の暮らしのうっぷんを晴らすのもよし。
結婚をテーマにした芸術を掘り下げ、深く楽しむのも、いい。

ただし、総合的に複合的に議論したりするのには、範囲が広すぎて、焦点が定まらず、詰め切れないと思う。
結婚のすべてを体系立てて知ることは、知って損をすることはないと思うが、
学問チックになって、遊びの要素がなくて面白みに欠ける。(でも、わたしは、けっこう、スキだったりする)

 

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あくびの出る話で、すみません。
オリンピック(男子体操)を背中で見ながら、時々テレビの方を振り向いて(上半身180度ひねり回転)
集中力、分散しまくり状態で書きました。


来る日も、来る日も、干からびた田んぼを耕す馬

2012-08-01 | わたし

ヘタうま、というものがある。

正統派の基本をちゃんとこなした上で、お遊び的な、ゆるいことも、できる。
絵画も、文章も、デザインも、書道も、・・・
基本なしで、いきなり、ゆるゆるの、へのへのもへじ、だけの顔を描いても、
たんなる素人以下だ。

文章もそう。
基本的な、まともなものは書けないが、自分の好き勝手なオチャラケなら書ける。
エッセーは、書けても、小説は書けない。
知識の幅や重み、実力が、まったく違うと感じる。

やはり、長く積み重ねてきた読書量や知識には、不動の大きな力がある。
感性や、感覚だけできている人間とは、そこで、差が出る。

なんでも、そう。どんな分野でも。どんな世界でも。
基礎が、一番、大事だ。
下積みの汗を流さないで、成功するものなどない。
メッキは、すぐ、はがれる。
忍耐力、持続力、そして、向上心。
応用力は、その後。
いきなり花は咲かない。
一生、開かない花もある。

夢の具現者として憧れたり、素晴らしい人を見て、目標にしたりするのはいいけれど、
自分とは、実力のスケールが違うことも、おおいにあるので、参考にするにはいいかも知れないが、
同じようには決していかない。
土台が違う。器が違う。無理。

自分は、自分。駄馬は、駄馬。
来る日も来る日も、家畜として田んぼを耕し、
夜、寝る前に、田んぼの泥や土や石だらけの足をケアしながら、
ダービーで走る自分を夢見ようか。
そんな日など、決して来ないのは、わかっているけれど。
それが、駄馬の宿命か。

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ちなみに、今日から、gooのブログに宣伝が入る。
うわ~。

ブログ使用料・無料のつらさ。
自分のブログのタイトルと本文の間に、どかんと現れるのは、こんな広告だったとは。。。
大ショック。。。。
嫌なら、お金・・・・払え・・・ってこと。
分岐点の究極は、お金か・・・。