蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

何がなんでもイヤ

2020-07-08 | 子育て
昨夜未明から早朝にかけて、バケツの水を窓に何度も思いっきり叩きつけられるような暴れ雨。
怖くて睡眠不足になった。
もっと激しい豪雨による災害に見舞われた地はさぞかし恐怖だった事だろう。

さて、いきなり、話はコロっと変わり、、、

一生懸命にガムシャラに頑張って得た成果。
それには飛び上がらんばかりに狂喜する。
だが、見合う評価が伴わないと不平不満が生まれる。
やる気をなくす。

大概は、頑張る→成果→評価→頑張る→成果→評価→∞
時には、伸び悩むこともあり成果に陰りが出る。
スランプ。
また頑張って乗り越える。
継続は力なり、なんてことが言われる。
そうやって人は成長する(ようだ)。

わたしは、全然だ。
残量99パーセントを残したまま、ぐーたらしている。
この状態が小学2年孫Aに、そっくり。
彼の宿題をしない姿勢とまるで同じ。
あり余る時間を持ちながら、刻一刻と残り僅かになった宿題タイム持ち時間を無駄に費やしてしまっている。
最後の最後まで時間を使いきり、あらん限りのエネルギーを宿題をしないことに使い果たす。
ついに宿題をしないままにタイムアウトとなり、母親にしこたま怒られている。
重い罰則も与えられているが、泣いて喚いてあがき抵抗する。
ちょちょいのちょいと、彼の力量の1パーセントにも足りるか足りない程度のエネルギーで、その宿題はこなせる。
あの嫌がり方、抵抗は何なんだろう?
嫌なものは嫌!!テコでもしたくない!!というものか。
厄介な時期である。

誰にもそんな時期はあるのだろう。
息子にも、頭が痛い時があった。
孫Aと似たような年頃。
当時、息子はマヨネーズが大嫌いで大の苦手。
何が何でも食べない、食べられない。
実母は、好き嫌いの芽は幼いうちから摘まなければならないという信念、使命感を持ち、否応なく力づくで羽交い締め状態で、床に幼稚園児を引きずり回してまでも、嫌いなものを食べさせようとした。
あの母、毒親だ。
自分の子供たち(わたしたち)にだけ毒親ぶりを発揮すればよいものを孫にまで強制措置は及んだ。
わたしは、あっけにとられてポカンと見ていたのではなかろうか。
(洗脳DVの結果の無抵抗ではない)
よくまあ人の子供(=孫。しかも他人の血が混じっている)に、日頃育てているわけでもないのに、手を出し足を出し、何の権利があって、、、と。
動物園で檻の中の動物がケンカしているような光景か。
別に母を止めるわけでもなく、ただただ茫然としていた。
ああ、この母、、、オーマイゴッド。
こういう動物に育てられた狼少女のわたしは、理性のカケラもない反面教師を目の前に、自分の道を歩いたんだろう。
(多少、自虐脚色、入ってます)

嫌いなものでも食べなければいけない。
NHKテレビアニメ「忍たま乱太郎」に出てくる「食堂のオバチャン」の決め台詞「お残しは許しまへんでぇ〜」
あれそのものであるが、悪いことは言ってないと思う。
この方針。

ちなみに、話が途中で逸れるが孫Aは、何でもかんでも嫌いなものでも全て食べる。
かなり親の教育が行き届いているように思う。
食べない時は病気の時だけなので、体調管理のバロメーターになる。

と、それはさておき、、、
息子は(彼の祖母からの)虐待にも近い体罰を受けながらも、マヨネーズは断じて口にしない。
たぶん、マヨネーズを食べないことが許されないのではなく、マヨネーズがかかっていた食べ物を食べなかったから母は根性を叩き直そうとしたのではないかと想像する。
母は、言って聞かす理詰め説得タイプではなく、口より先に手が出るタイプ。
主張は悪くないが、方法が悪い。
母は考える葦ではない、直情型野蛮人そのものである。
(機会さえあれば噴き出す、いまだ癒されぬ傷を持ち続ける怨み節、、、)

息子はマヨネーズが大嫌いだったが、地域の子供会でイベントがあった時に、マヨネーズが入ったハンバーガーを食べる機会があった。
それを食べられなくて、さらに、店員さんに「マヨネーズ抜きにして下さい」と要望を言えず、にっちもさっちも行かなくなっていた。
わたしが関与しない事なのにピンチに陥るといつも「お母さんのせい!」と言ってありったけの不満をぶつけてくる。
ぼかぼか足で蹴ってくる。
家庭内暴力の小さな芽?
小学1年から2年ぐらい、ずっとややこしい時期だった。
反抗期なんだろう。
とても鬱陶しい時期で困っていた。
子育てでもっと苦労されているお母さんから見ると、取るに足らないようなレベルだと思うが。

その当時の息子の姿と孫Aが重なる。
心身の成長過程で自分ではコントロールできない何かに反抗しているのだろう。

パイプにモノが詰まったような状態で、水がジャーっと流れず、四苦八苦。
流れないのに更に続く圧力。
詰まったモノが溶けるか分解されるか、はたまたパイプが太くなるか、しばらくは水を流さないか、なんらかの変化が生じたら、また元のように流れるようになるのだろう。
そうでなければ、壊れてしまう。

誰にでも成長期には色々ある。
孫Aも宿題をまともにするには、1年ぐらいはかかるかと思う。
コロナ自粛で3ヶ月も学校が休みだったから、子供たちもストレスが溜まっていることだろう。

逆に息子は、勉強は何の抵抗も摩擦もなく素直にすんなりスラスラ行った。
人には人の、子供には子供の特性があるようだ。
脳の中身が少しイビツなのは当たり前。
ましてや、子供。
1年に10センチ以上背は伸び、目に見えて体は大きくなり、成長しているプロセスには、いろんなラグみたいなものがあるだろう。
無いほうが恐ろしい。

娘も娘婿も根気よく感情に左右されず子育てしているのを見ると、頭が下がる。
サジを投げて甘やかすほうが、ずっと楽だ。
いやはや、負うた子に教えられ、である。



作業に明け暮れ時間切れ

2020-07-07 | 人生
自分はオトナになり切れていない。
コドモにしては純粋さゼロ。
中途半端な「トッチャンボーヤ※」のようなものか。
(※こんな用語はあるのだろうか?死語らしいが)

自分の立ち位置はよくわかっている。
自分の大切なものもよくわかっている。
半径300メートル範囲内で完結、収まる。
それがどうかしたか?
わたしは満足している。

何度も書いているが、書くものにはその人が現れる。
作家は大変だろう。
実業家や、政治家、学界のお偉い方々は、別に書いても書かなくても、活動成果は世の中に現れている。
世に知れぬ無名の普通の人が、文章で人のこころに訴えかける、響くのは稀。
不幸自慢のほうが、手っ取り早い。

そこで救いのボランティアが登場する。
ブログである。
民間の普通の人が、普通に綴る、普通の日常。
可もなく不可もなく。
ちょっとしたこころの抑揚、メリハリだったり、自分への激励だったり。
自分を愛おしむために書いているのではないだろうか。
それで十分、意義がある。
時間や労力を割く元が取れている。
それ以上は、ついでに付随してくる、たんなるオマケ。

さて、可愛げがなくなった、元、コドモ。
オトナでもコドモでもないわたし。
昨夜の土砂降りの雨の後、近畿地方は雨は上がったようだ。
雨上がりなのになんだか煮え切らない。

ちょっとした自己否定期間に入っているようだ。
ミニ鬱とはまた違う。
わたしは客観的にものを見る。
なので、「それがどうした?」となってしまう。
冷静さは、喜びにも悲しみにも水をかける。
それでいいんじゃない?

湿気た花火状態ではなかなか筆が進まない。
わたしが書くことが好きなのは、どうでもよいくだらないことも、マイナス感情も、一気にドーッと脳内掃除をするように書いて発散すること。
脳内掃除は心身を健康に保つためには欠かせないそうだ。
いわゆるストレス発散。
その方法は、人によって違う。
・・・・・

オトナでもコドモでもないわたしは、身の置き所を探して漂流する。
て、ちゃんと定位置があるではないか。
ロウジン。
コドモ→オトナ→ロウジン
時系列並び。

この「ロウジン」には、括りがある。
現役ではないということ。
ご隠居さん。
アーリーリタイアした人は、年齢は若くても仕事面ではロウジン。

今朝、ちょこっとザクッと調べた、楽天の三木谷さんのように、若い時に成功し巨額の富を得た場合、その後の生き方にその人らしさが現れる。
ビル・ゲイツ然り。
自分の欲を追求した後は、世のため人のためにエネルギー、時間、お金を使う。
ただし追求しきれる人は、ほんの一握り。

そういえば、「優秀な東大生は起業する」なんてタイトルの本が出ていたなあ、と。
(三木谷さんは東大卒ではないけれど)

ロウジンのキーワードは、、老成、老熟?
うーん、、、ちょっと違う。
違うのだ。

パワーはまだ少し残っていて、時間も少し残っていて、アタマの中の霞んでいるモヤみたいなものがもう少しフォーカスされると何かが見える(はず)。
ピントを合わせるのに手間取って時間がかかって、本当の本物のロウジンになってしまう恐れがある。
本格的ロウジンまでの貴重な残り時間を。

黄金期をどう過ごすか。
各人、各色だ。
人には人の事情があるし。

キリキリした思いに駆られるのは、本末転倒。
不本意に、まだ使い方を決め切れていないプラン段階のままで持ち時間を使ってしまったなら、それはそれで幸せなのではなかろうか。
幸せなロウジンライフは、幸せなロウジンプランから作られるとは限らない。



立ち直れない

2020-07-06 | 趣味
わたしは小説を読まない。
専門書も読まない。
漫画もほとんど読まない。
読書をしない。
人の書いたもの(一部を除いて)を読まない。
たぶん、脳のキャパの問題だろう。
集中力が続く時間が限られている。
ウルトラマンのベルトに付いた、光るスイッチボタンを押してから活躍出来る時間、、、5分?3分?
(完全なる昭和世代)
わたしの脳みそ緊張キープ状態はあんなかんじか?
おそらく、脳みそ、そのものが悪い。
それで親を恨んだことはなく、ああ母親の血を受け継いでしまったなあ、、、と、生物学者になったような無感動に近い感慨に耽る。

母には感謝している。
こう一行書いただけで、もう涙腺が緩んでくるあたり、かなりわたしの涙腺は壊れかけている。
いや、壊れている。
しかも、母の顔を見に行こうと思えば行けるのに、会いに行っていない。
自粛が緩んだ最近では、会いに行かない怠慢をコロナ事情を理由には出来なくなってきている。
第二波が来る前に行っておかなければならないのに、、、。
涙を流している場合ではない。

で、、、
感謝の理由は、、、
最近の若い人がよく口にする、「生んでくれて、ありがとう」
「生まれてきてくれて、ありがとう」
それに近いかなあと。

そのフレーズを耳にし始めた頃は、違和感を覚えた。
何を眠たいことを言っているのだろう、、、と。
激戦を生き抜く世代にとっては、生ぬるい言葉として甘ったるさが残る感じがした。
でも、不戦勝(不戦負?)ではあるが、戦い終わって、毎日の悩みは「老化と向き合うこと」となった今、時計の針が逆戻りしている。

おかあちゃん、わたしを生んでくれてありがとう。

ああ、そう書いてまた涙が意味もなく、ベルを鳴らされた犬状態。条件反射?

こんな、へんちくりんなわたしを生み育ててくれた。
でもね、おかあちゃん。
へんちくりんの半分くらいは、あなたからのDNAですよ。
まあいいか。
残りのもう半分は父からのDNAだから。

でも神様のイタズラで、わたしの先天的脳みその99パーセントは母からとなっている。
思考は父譲り。
足して3で割ってちょうどか?
(あえて2では割らない)

老化のせいなのか、母からのDNAのせいなのか、わたしは今、窮地に追い込まれている。
趣味分野のことなのだが。

右足、左足、前進、後退、右足バランス、左足バランス、右足で右回り、右足で左回り、左足で右回り、左足で左回り、左足に乗って右に傾く、右足に乗って右に傾く、右足に乗って左に傾く、、、
左に偏り顔は右向く、右に偏り顔も右、手は右上げる、左上げる、、、
一歩二歩三歩、ヒール、トウ、トウ、トウ、ヒール、、、

はい、最初から、今の、やってみて!
なんでこんなカンタンなことが出来ない?
「決して難しいステップではありませんよ」と、何度も先生はため息。
「ほんと、スロー(わたし)はアホなんだから」と、練習相手。

2人に事実を言われ、涙目になった。
すぐに出来ないけれど、一生懸命出来るように、頭と体のシナプスがちゃんと繋がるように頑丈な強烈なロープでぐるぐるがんじがらめにしている。
思いが裏目に出て「カチカチになっているよ、もっと力を抜いて!」と言われる。
でも、そういう問題ではないようだ。

動画を見てすぐに再現できるのなら、ジャニーズに入れそうだ。
年齢を差し引いても、ジャニーズシニアとは程遠い。

頭から自分の能力を全面否定されると、さすがのわたしも悲しくなる。
人格や人生そのものを全否定されたような気になる。
(よく陥るコース)
窮鼠自分を噛む。
で、DNA説を持ち出し、母を逆恨みする。

しかし、、、母は、自己中で超楽天家だった。
暗い面が全くない。(そりゃそうだ。尻拭いを周りがやっているから)
その楽天家要素もわたしは受け継いでいるようで、こころの病気にはならないと思われる。
悪く言うと、懲りない。反省が活きない。
七転び八起きするものの、前進というよりは、一歩進んで二歩下がる。
(ちなみに、水前寺清子の人生の応援歌、三歩進んで二歩下がるのだったか??ああ昭和世代、、、)

後退しているのは、老化のせい、ということにカンタンに済ませると、老人鬱から遠ざかるのか、はたまた老化鬱に接近しているのか?
答えは、あまり追求しないこと。
一人一人、答えは違うと思う。

こんな建設的ではない独り言を綴っている間も、甚大な自然災害を被っている人々がいる。
頭の中で、行ったり来たり。
まるで落ち着きのない子供のようだ。

今朝は強く降る雨に、こころを痛めている。
雨が不安を掻き立て、たぶん、昨日のレッスンの後遺症から立ち直れていない。



理解してもらおうと思ったら大間違い

2020-07-05 | ブログ
昨日の「ブログる文学振興会」授賞式から一夜明け、落ち着きを取り戻したかのように、、、
閲覧数はがたんと落ちた。
これは、この受賞に対する民意の反映か?
勝手連合亜流文学振興会に対するアンチ反応か。
まあいい。
楽しいと思う人がいる一方で、くだらないと思う人がいるのは自然な流れ。
記事として公開されると、選に漏れたら嫌〜な感じがする人もいるかも知れない。
悪ノリの仕方が気に入らないこともあり得る。
だけど、単なる内々のお遊びなので、気分を害するものには近寄らない、見ない、スルーがオススメです。
ブーツさんが、上手い具合に説明、表現されていた。
同じ材料でも調理方法によって、料理はこんなに変わるという見本かと。

閲覧数は生き物なので、とても興味深い。
じつのところ、閲覧数が低迷しているのは、なにも「ブログる文学振興会」とは関係がない。
よくあるバイオリズムのひとつ、一現象である。

ちなみに、前に、とある人に「バイオリズム」という言葉を使ったら、「一時期、よく流行った使い古された言葉ですね」と言われたことがある。
そうかなあ?と、わたしはその時に思った。
別によく耳にしたから使ったわけではないのだが。
人には色んな捉え方があるものだと学んだ。
本人にはそんな気はなくても、受け手側には別の意味合いを感じ取る。
言葉には気をつけるべきでもあるが、気をつけ過ぎて個人の些細な好みや感性にまで反応していたら、一文字、一言も書けない、話せない。
ピタピタにぴったり、感性や感覚、考えが一致する人とは一致し過ぎて微妙なズレが気になり摩擦、雑音になる。
大まかに一致するほうが良いと感じる。(経験上)
両刃となって傷つけ合う前に、離れるか、追求の手を緩めたほうがいい。
何ごとも近寄り過ぎは火事の元。
火傷は誰も好きではないはず。

わたしは両極端を行ったり来たりしてバランスを取っているので、真ん中あたりにいる人とは、実は分かり合えない。
でも、大まかに分かればよいと考える。
理解出来ないことが分かれば、別に、理解しなくてもよい。
理解出来ないところは部分的に飛ばす。
いつまでもいつまでもこだわっていては、先に進めない。
ざっくり進んだ後に、細部を埋める、詰める方式だ。
人には色んなやり方、生き方があるだろう。
試行錯誤して自分に合った方法を見つけると、その後は、前よりはマシ。

と、話が逸れて、どこに帰ればよいのだか。
話を戻そう。

色んな人がいて、時々、自分に刺激を与えてくれたり共鳴できたりしたら、つまみ食いがよろしいかと思う。
飽きたり、反感、反論があったりするのは当たり前。
また、忘れた頃に気が乗ったら訪れていただければ光栄である。







ブログる賞「ブサイク部門」受賞!

2020-07-04 | ブログ
ブログる文学振興会におきましては、輝かしい「永遠のブサイク乙女賞」をいただき、大変光栄であります。
これからも益々ブサイクを追求し、右に左に上に下にと揺れて参りたいと思う所存です。

実質的会長(裕氏)の目利きはスゴイ。
さすが生き馬の目を抜く個人主義の国で逞しく磨かれただけのことはある。
ケイコさんはもちろんのこと、みしろさんにおいては見事な文章力には大脱帽している。

ちなみに、、、
先日、二、三歳の幼児がズボンの後ろに付いている切れ端を掴もうと、クルクル回って目が回っていた。
そういう犬、いる。
自分の尻尾を目掛けてクルクル。
わたしは、それを見て、自分のブログのようだと思った。

しょうもない、実体のないことを追及してグルグル。
クルクルなら軽快感があるが、グルグルだと重くてバカっぽい。ブサイク。
いやはや、ある日はクルクル、ある日はグルグル。
自分を追いかけて遊んでいる。

べつに、漫才のブサイクキャラは目指していない。
(ブサキャラ例→フットボールアワーの岩尾や、NON STYLEの石田じゃない、右の方=井上)

作られたブサイクは、人工的で美しくない。
自然体、自然美のブサイクを理想とする。
目指せ「美しいブサイク」!
ついでに、
目指せ「賢いアホ」!

美に囚われ過ぎた、ブサイクな元美人よりはイケてると思うのだが、、、
と、言葉遊びをしているだけで、ちっとも勉強をしないわたしは、非常に底が浅い。
自分で認めていたらその分、底上げされるかというと、可愛げがないだけで、かえってマイナス。
ああ、これだから、、、。
書くものには、書き手の性格や人格、能力やポテンシャルが現れてしまう、、、。
頭隠して尻隠さず。
まあ、ブサイクだから許して!
と、こうゆうのがダメだというのだ。
努力を放棄して、「許して!」は、許されない。

なので努力しても天性のものである「ルックス」を持ち出すあたりが、問題の本質をはぐらかしている。
せめて、努力が活きる分野を持ってくるべき。
と、すでにクルクルが始まっている。
愚痴ったあげく、自己肯定して、一周。
なかなか愚痴が収まらない場合は、何周もクルクル。
そのうちグルグルになって疲れて終了。
ワンパターンの思考の流れだ。
「ブログるブサイク賞」をいただくには畏れ多すぎる低レベル。
でも、くれるというものは、いただく主義なので、有り難くいただきます。
ありがとう!
影の会長裕様、これからも宜しくお願いします。




ブサイクでもそれは味、個性

2020-07-03 | 日々のこと
いきなりですが、、、
昨夜、娘がスマホで撮ってくれた自分の顔を見て驚いた。
あまりにも、ぶ、さ、い、く、、、。
まず第一印象。
わっ!何これ?!
急にパタンと本を閉じる、あのかんじ。

とりあえず、見なかったことにして、スマホ画面を切り替え、ニュースなどを読む。
で、しばらくして、もう一度、写真を見る。
ブサイクだ、、、。
どこがブサイクなのか?
どこがヘンなのか?
どこが醜いのか?

こころを鬼にして自分の痛々しいマイナス面と向き合う。
うーん、、、うーーむ、、、

まず第一印象。
これはブサイクなものに目が慣れていないため、冷静な反応が出来ない。
うろたえている。
こころを落ち着かせ、どこが悪いのか、原因は何か、じーっと、くまなく見つめる。
あれこれ、観察結果の事実を並べてみる。
こんな検証は悲しい作業だが、目を逸らさず頑張る。

1.あれが、ああ
2.これが、こう
3.それが、そう

実際にちゃんとハッキリ書いてみたが、自分が可哀想なので文字にちょっとモザイク処理をする。
伏せ字みたいなものか。

ひょっとしてスマホが悪いせいで、実際とは違うように写っているのではないかと思ったが、一緒に写っているちびっこ孫たちは、本人そのものにリアルに写っている。
だとすると、わたしもリアルな顔はあんなのなのか、、、。
認めたくないが、認めなければならない現実を前に、白旗降参。
ブサイクを受け入れ、容認しなければならない。

で、直しようがない欠点だということを認めたくない感情とは裏腹に受け止めた。
で、それを理解した上で、対策を考えてみた。

○写真の角度を変える。
○表情を変える。
○服装、ヘアスタイルを整える。
○照明、背景を効果的に変える。
○何枚も何枚も満足いくまでシャッターボタンを押し続ける。

ケーキを食べる直前で慌しく、ちびっこたちも一緒だったので、全員が良い表情になる瞬間は無理。
それに、写真を撮るにはわたしの服装やヘアスタイルが第三者を意識しない家の中、家庭モードそのもの。
(ではあるが自然体で平常通り)

時間を置いて、2回目3回目と写真を見るにつけ、目が慣れてきた。
だんだん、愛着が湧いてくる。
(無理やり思い込もうとしている?)
ピカソの描く女性の絵みたいだ。
味わい深い。
美醜は表面の部と、その内側の部がある。
見る人によっては、色んな見方ができる。
色々に見える(はず)。
ころころ変わるお天気、雲の色のように。
四季折々のように。


じつは、昨夜、NHKテレビのファミリーヒストリー(鶴田真由)の再放送を深夜に見た。
月曜夜に見たものを3日後にまた見て、おさらい、復習。
間を置かず、2度も見るとよくわかった。
鶴田真由が目に焼き付いたまま、自分を撮ってくれたスマホ写真を見ると、そりゃあ天と地の差があって当たり前。
その前夜の目に焼き付いたスクリーンの影響もあったのかも知れない。

まあ、わたしはブサイクな顔ではあるが、それはそれで、味わい深いピカソ美人だということにしておこう。

ちなみに、、、
昨夜のファミリーヒストリー再放送の前に、「世界はほしいモノにあふれてる」という番組があった。
あの番組も大好きだ。
チョイスがわたしの好みとドンピシャストライクで狂喜している。
特に昨夜のイギリス、アンティークジュエリーは申し分なく、画面にかぶりつき。
買い付けの時にバイヤーさんが使っていたミニルーペは、今週初め、4日前にわたしが手に入れたばかりのものと同じ。
バイヤー目線が楽しい番組。
蚤の市とか、教会のチャリティバザーとか、わたしも大好きだった。
(チャリティバザーで手に入れたコートや、幼児パンツは現役で活用中)
アンティークは重ねた歳月が絶妙な味となって内側から輝きを放つような気がする。

テレビは見ることができる時もできない時もあり、たまたまであるが、昨夜はすっかりテレビっこになった。
NHKは幼児とシニア向きなのかなあ、、、と。
幼児向けでも、デザイン性が優れた素晴らしい番組もある。
わたしが幼児返りしているだけか?
ちょっとそれは早すぎると思うが。

目で見るだけにしても、世界は好きなものであふれていると喜ぶわたしは、楽しみがお手軽に手に入る、満足度ハードルの低い人のようである。


母というひと

2020-07-02 | 思い出
人のブログを読むとどんな家庭に育ったか、よくわかる。
あえて嘘を捻じ曲げて事実でもないことを書く人もいないだろうが、創造意欲のある人は小説を書けばよい。
理想の家庭を想像して書いて、気持ちが晴れるなら捏造もありだろう。
大概は実際の家庭を少しデフォルメして書いたり語ったりすると思う。
意図せず、良いように覚え違い、記憶違いなんてことはよくある。

詐欺師などは、スラスラとなんでも演じるようだが。
今まで、詐欺師の人とは接点がないのであまりわからないが、詐欺しようとしてしているのではなく、苦し紛れについた嘘が嘘を呼び、がんじがらめになることはあると見られる。

遠い親戚にもそういう人がいる。
立派な学歴を持ち、知名度の高い大企業に勤務しているため、信用はあるが、そこがクセもの。
よくよくルーツを遡ると、その人のお父さんもそんな人だった。
貸したそこそこの額のお金が返ってこなくて涙を飲んでいる近親者は少なくないと思われる。
ある意味、DNAも影響しているのかも知れない。
人は見かけによらないから要注意である。

と、しょっぱなから話が逸れている。
真っ白な紙に好きなことを書いていいよ、と言われたら、、、
絵を描く人も字を書く人も、折る人も切る人も、色々いるだろう。
(食べる人はいないとしても)
わたしの場合は、文字を書く。
好きなことを自由に書く場合は、やはり書いていて自分が楽しくなるようなことだろう。
中にはトラウマになったことや悩みを書いて、セルフカウンセリング療法、ガス抜きする場合もある。
ミュンヘンブロガーKさんは、素晴らしいお母さんに育てられ、大切で満たされた時間を過ごされたようだ。
それがその後、生きていく上での糧になるのは、親としてこれ以上の幸せはない。

さて、わたし。
うーーん、、、と唸る。
母、、、。
幸せエピソードは、一個か二個ぐらいしか思い出せない。
不幸せエピソードなら、山のようにある。
なにしろ、この母と離れたかったことが結婚して家を出る理由の一つだった。
じつは、実家を離れ、こころの底から喜びが湧いてきた。
なんて自由なの!!!と、それはそれは嬉しかった。
が、その後に起こる色々な事柄は、想像もしていない、そんな時期が一番幸せの絶頂というものだろう。

が、女の一生を知る上では大変参考になった。
人間の本質がそのまま顕に現れたストレートな見本。
危険につき、お取り扱い注意だ。
手本ではないが、一つのサンプルとして。
母は反面教師でもあるが、残念なことに、わたしも反面教師になってしまっている。
修行が足りない、、、。

誰にも色々な面がある。
どの面が表に出ているか、の違いだ。
感情面だけでなく、奥底にあるものは、本人ですら無自覚、無認識なことがある。
折り合いをつけ、うまくコントロールするのが知性であったり知恵であったりする。

母などは、未だに無自覚なまま。
「こんなことがあったよ」と周りが昔話をしても、本人は、「へえ、そうなの?」とどこ吹く風。
認知症の症状が現れる前からの、生来のキャラクターである。

本人はストレスゼロだろう。
溜め込まずにその場で外に発散しているから。
「永遠の18歳」を自負していた。
周りはモロに、それを被る、浴びる。
周りはうまく避けたり逃げたりする方法を身につける。
本人を変えようなどとしても無理。無駄なことはしない。
母は強い星のもとに生まれたのだろう。
今もガハガハ大きな口を開けて大声で笑う。
しかめっ面の怖い顔で睨まれるよりはずっと健康的だ。
長年、ストレスをその場その場で発散し続けていたせいで、ストレスが溜まることはなく何も残っていないのではないだろうか。
幸せな晩年である。

昔の恨みはとうに消えた。
自分もおばあさんになり、母はあんなに羨ましい人生が送れて良かったね、と思う。
あとは無事に天寿を全うしてくれたら、完璧なハッピーエンドである。
わたし自身もいずれそうなりたいと思っているが、まだあまり実感は湧かない。

ほどほどの幸せがいい。
激動の家庭は気が休まらない。
欲を出すとその分、ストレスも大きい。
大きな望みを持つと、大きな努力が必要で、維持しようとするとまた更に努力が引き続き必要になり、また、うまくいかないと失望も大きくなる。
当たり前のことだけど。
クラークさんが言っている。
少年よ大志を抱け、と。
少年じゃないので、わたし。
少女でもない、おばあさんです。

かといって嘆いているわけでも、絶望しているわけでもない。
おばあさんになるのは当たり前。
むしろ、この歳まで長く生きてこられて有難き幸せだ。
とは言ってもまだ一般的天寿年齢には少し若い。

母にしてもらえなかったことを子供たちにしてあげたか?
出来てない。毎日、育てるのが精一杯。
祖母として孫に慈愛の目で接しているか?
出来てない。同じレベルでケンカしたり競争したり。

慈悲に満ち溢れた観音如来様のようになるのは、人生設計としては、あと40年後の予定である。
あ、目標達成はあの世で。
現世では誰も見届ける人がいないから、口約束だけで観音如来様になってなくてもバレないし。
バチあたりか?

こうやって、真っ白な紙(=ブログ)に好きなことを書いて日々歳を重ねていくのだろう。
何が事実で何が創作で、何がなんやらわからないことを一生懸命書いていることだろう。
そんな日々は楽しいと想像する。

美しい品性あるお嬢様の鑑

2020-07-01 | 日々のこと
やっとブログタイムに漕ぎ着けた。
あれやこれや、取るに足らない雑用をこなしていたら時間がズルズル経った。
ブログタイムは、あっという間に過ぎるのに。
必要に迫られてしている時は、嫌々渋々しているため、時計の針に重りがぶら下がっているかの如く。
好きなことに熱中すると、時計自体がすでにない。

嫌々渋々していた作業の一つに、針仕事がある。
まず、糸が通らない。
なかなか、針穴の中心目掛けて糸が真っ直ぐ突入しない。
もぞもぞモタモタやりながら、釣り愛好家が、丁寧に熱心に一心不乱に釣り針に仕掛けを準備している熱く孤独な姿を想像した。
釣りなら古の中国の漢文か水墨画に出てきそうだが、針仕事は、ステラおばさんのクッキーか、田舎ネズミの童話に出てくるまん丸メガネのおばあさんのようで、温度差を感じる。
て、まったくどうでもいい話を書いている。

さて、今の今まであれを書こうと頭に閃いたコトが、瞬時に今、消えてしまった。
これだからまったく、、、わたしの脳は、点いたり消えたり、弱々しい灯し火である。
雑用に労力や集中力、時間を割くと、あとに何も残っていない情けなさ。

ちなみに、唐突だが、、、
菅田将暉、歌、すごく上手い。
声が良いのは言うまでもなく、音感というか、音のノリ方、捉え方、センス抜群。
映画館で彼の映画は少なくとも二本は観たが、顔良し、ルックス良し、演技力あり、個性あり、、、に加えて更に歌唱力は抜群だ。

いい歳をして菅田将暉にきゃーきゃーいっているのは、昔、姑が、ジュリー(沢田研二)が素敵だと嬉しそうにいっていたのと似たようなものか?
わたしは、決して同じだとは思っていない。
姑のそれは、自然にほとばしる感情ではなく、無理をしているように感じるからだ。
自分は若い世代の音楽や芸能人に熱をあげるぐらいの精神的若さ、情熱、理解力を持っているのだと、周り(わたし)に吹聴したくて、カッコつけているように感じた。
たんにわたしがひねくれているだけという可能性はある。
どこが違うの?と言われそうだ。

だが、少なくとも、わたしは、自分の感性の若さを強調したくて菅田将暉が良いと言っているわけではない。
と、へんに理屈をつけるあたり、何が言いたいんだか、、、
一芸にも二芸にも秀で、天は二物も三物も与えるんだとつくづく思う。

森崎ウィンもすごく歌が上手い。
今日、アルバム?リリースのようでFMラジオで流れていた。
というか、彼を初めて知った時はルックス良すぎでびっくりした。
国籍はミャンマーなら日本に留まるのはもったいないが、スピルバーグ監督の映画にも出たようだけど、いつか観てみたいなあ、、、と。

と、まるで独り言をつらつら、意味もなく。

つらつらついでに、、、
昨日、観た、NHKテレビのファミリーヒストリー。
鶴田真由。
わたしの帰宅時間がずれ込んだため、観たのは途中からで母方ルーツからだった。
まあなんとお嬢様。
あんなに美しいにも加えて、申し分のないお育ち。
しかも自分からは周りには背景や育ちなど、ほとんど話していないようだった。
この人も天は三物も四物も与えている例。
物静かで秘めたる品性。
秘めようにもあれだけ美しく知的だと、外に現れてしまうけれど。
元武士→新撰組→悲惨な最期→次の代では時代を切り拓く先見の明と才能とバイタリティ→成功し財を成す→さらに次の代では頭脳もずば抜けて優秀。仕事も出来て、さらにルックスも良い→次の代にはまたまた素晴らしい→当然、あの鶴田真由に繋がる

何代も何代もずば抜けて秀でた頭脳、仕事、富を継承。
うーん、、、唸るのみ。
細かいコメントは無し。

やはり本当の深窓の令嬢は黙して語らずだと思った。
男子だとしたら?
やはり黙して語らずだろう。
性格もあるのかも知れないが。
ひたすら平伏してしまった。
NHKの取材力、調査力もいやはや感服する。

あの番組は、ときたま、ありゃ?というような、あまりにも何もなくてスベってしまうルーツがあるようだ。
今回は大漁、圧巻だった。

歴史を裏で支える影の活躍者であった新撰組のご先祖様には、ちょっと未解決な謎はあったが、あえて番組では掘り下げなかった。
遺族や子孫への配慮だろう。
やはり美談に仕上げるのが、番組の料理法。
見て見ぬフリをして、美しい部分だけを感嘆、驚愕して眺めるのが、一視聴者としての立ち位置なのかなあと、へんに先回りしてお利口に悟った小学生のように静かに見ている。

しかし、直系の人々はそれぞれにルーツを知り、守っておられる。
それぞれに枝分かれして過去の偉人の偉大なる養分をエネルギー源として引き継いでいるようだ。
そういう時代を生きてきた先祖がいて、今に至る。
次世代へのバトンタッチは?などとはあえて言わない。
過去のルーツを遡るのがコンセプトだから。
過去から現在へ。
しかし、未来に繋がる部分も見たかったが、今はそういう時代ではないのだろう。
いや、鶴田真由の今後の女優以外のジャンルにも先人たちの思いを引き継いでいるものがあるように感じた。
これは番組後に個人的に調べないとわからないことだったが。
彼女もまだまだこれからだから。
今後の活躍に大いに期待したい。

テレビの画面側から勝手に感想を綴る、気楽な一視聴者であるわたし。
一人一人の視聴者がなんなりと感じるものがあれば、番組冥利に尽きると思う。
番組は成功だと言える。
(いきなり上から目線)

NHKをぶっ壊したい人が都知事選に立候補しているが、わたしは東京都民ではないから何の関係もないというものの、やはり大のNHKファンである。
ぶっ壊さないで欲しいと願うばかりだ。