蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

母というひと

2020-07-02 | 思い出
人のブログを読むとどんな家庭に育ったか、よくわかる。
あえて嘘を捻じ曲げて事実でもないことを書く人もいないだろうが、創造意欲のある人は小説を書けばよい。
理想の家庭を想像して書いて、気持ちが晴れるなら捏造もありだろう。
大概は実際の家庭を少しデフォルメして書いたり語ったりすると思う。
意図せず、良いように覚え違い、記憶違いなんてことはよくある。

詐欺師などは、スラスラとなんでも演じるようだが。
今まで、詐欺師の人とは接点がないのであまりわからないが、詐欺しようとしてしているのではなく、苦し紛れについた嘘が嘘を呼び、がんじがらめになることはあると見られる。

遠い親戚にもそういう人がいる。
立派な学歴を持ち、知名度の高い大企業に勤務しているため、信用はあるが、そこがクセもの。
よくよくルーツを遡ると、その人のお父さんもそんな人だった。
貸したそこそこの額のお金が返ってこなくて涙を飲んでいる近親者は少なくないと思われる。
ある意味、DNAも影響しているのかも知れない。
人は見かけによらないから要注意である。

と、しょっぱなから話が逸れている。
真っ白な紙に好きなことを書いていいよ、と言われたら、、、
絵を描く人も字を書く人も、折る人も切る人も、色々いるだろう。
(食べる人はいないとしても)
わたしの場合は、文字を書く。
好きなことを自由に書く場合は、やはり書いていて自分が楽しくなるようなことだろう。
中にはトラウマになったことや悩みを書いて、セルフカウンセリング療法、ガス抜きする場合もある。
ミュンヘンブロガーKさんは、素晴らしいお母さんに育てられ、大切で満たされた時間を過ごされたようだ。
それがその後、生きていく上での糧になるのは、親としてこれ以上の幸せはない。

さて、わたし。
うーーん、、、と唸る。
母、、、。
幸せエピソードは、一個か二個ぐらいしか思い出せない。
不幸せエピソードなら、山のようにある。
なにしろ、この母と離れたかったことが結婚して家を出る理由の一つだった。
じつは、実家を離れ、こころの底から喜びが湧いてきた。
なんて自由なの!!!と、それはそれは嬉しかった。
が、その後に起こる色々な事柄は、想像もしていない、そんな時期が一番幸せの絶頂というものだろう。

が、女の一生を知る上では大変参考になった。
人間の本質がそのまま顕に現れたストレートな見本。
危険につき、お取り扱い注意だ。
手本ではないが、一つのサンプルとして。
母は反面教師でもあるが、残念なことに、わたしも反面教師になってしまっている。
修行が足りない、、、。

誰にも色々な面がある。
どの面が表に出ているか、の違いだ。
感情面だけでなく、奥底にあるものは、本人ですら無自覚、無認識なことがある。
折り合いをつけ、うまくコントロールするのが知性であったり知恵であったりする。

母などは、未だに無自覚なまま。
「こんなことがあったよ」と周りが昔話をしても、本人は、「へえ、そうなの?」とどこ吹く風。
認知症の症状が現れる前からの、生来のキャラクターである。

本人はストレスゼロだろう。
溜め込まずにその場で外に発散しているから。
「永遠の18歳」を自負していた。
周りはモロに、それを被る、浴びる。
周りはうまく避けたり逃げたりする方法を身につける。
本人を変えようなどとしても無理。無駄なことはしない。
母は強い星のもとに生まれたのだろう。
今もガハガハ大きな口を開けて大声で笑う。
しかめっ面の怖い顔で睨まれるよりはずっと健康的だ。
長年、ストレスをその場その場で発散し続けていたせいで、ストレスが溜まることはなく何も残っていないのではないだろうか。
幸せな晩年である。

昔の恨みはとうに消えた。
自分もおばあさんになり、母はあんなに羨ましい人生が送れて良かったね、と思う。
あとは無事に天寿を全うしてくれたら、完璧なハッピーエンドである。
わたし自身もいずれそうなりたいと思っているが、まだあまり実感は湧かない。

ほどほどの幸せがいい。
激動の家庭は気が休まらない。
欲を出すとその分、ストレスも大きい。
大きな望みを持つと、大きな努力が必要で、維持しようとするとまた更に努力が引き続き必要になり、また、うまくいかないと失望も大きくなる。
当たり前のことだけど。
クラークさんが言っている。
少年よ大志を抱け、と。
少年じゃないので、わたし。
少女でもない、おばあさんです。

かといって嘆いているわけでも、絶望しているわけでもない。
おばあさんになるのは当たり前。
むしろ、この歳まで長く生きてこられて有難き幸せだ。
とは言ってもまだ一般的天寿年齢には少し若い。

母にしてもらえなかったことを子供たちにしてあげたか?
出来てない。毎日、育てるのが精一杯。
祖母として孫に慈愛の目で接しているか?
出来てない。同じレベルでケンカしたり競争したり。

慈悲に満ち溢れた観音如来様のようになるのは、人生設計としては、あと40年後の予定である。
あ、目標達成はあの世で。
現世では誰も見届ける人がいないから、口約束だけで観音如来様になってなくてもバレないし。
バチあたりか?

こうやって、真っ白な紙(=ブログ)に好きなことを書いて日々歳を重ねていくのだろう。
何が事実で何が創作で、何がなんやらわからないことを一生懸命書いていることだろう。
そんな日々は楽しいと想像する。