いきなりですが、、、
昨夜、娘がスマホで撮ってくれた自分の顔を見て驚いた。
あまりにも、ぶ、さ、い、く、、、。
まず第一印象。
わっ!何これ?!
急にパタンと本を閉じる、あのかんじ。
とりあえず、見なかったことにして、スマホ画面を切り替え、ニュースなどを読む。
で、しばらくして、もう一度、写真を見る。
ブサイクだ、、、。
どこがブサイクなのか?
どこがヘンなのか?
どこが醜いのか?
こころを鬼にして自分の痛々しいマイナス面と向き合う。
うーん、、、うーーむ、、、
まず第一印象。
これはブサイクなものに目が慣れていないため、冷静な反応が出来ない。
うろたえている。
こころを落ち着かせ、どこが悪いのか、原因は何か、じーっと、くまなく見つめる。
あれこれ、観察結果の事実を並べてみる。
こんな検証は悲しい作業だが、目を逸らさず頑張る。
1.あれが、ああ
2.これが、こう
3.それが、そう
実際にちゃんとハッキリ書いてみたが、自分が可哀想なので文字にちょっとモザイク処理をする。
伏せ字みたいなものか。
ひょっとしてスマホが悪いせいで、実際とは違うように写っているのではないかと思ったが、一緒に写っているちびっこ孫たちは、本人そのものにリアルに写っている。
だとすると、わたしもリアルな顔はあんなのなのか、、、。
認めたくないが、認めなければならない現実を前に、白旗降参。
ブサイクを受け入れ、容認しなければならない。
で、直しようがない欠点だということを認めたくない感情とは裏腹に受け止めた。
で、それを理解した上で、対策を考えてみた。
○写真の角度を変える。
○表情を変える。
○服装、ヘアスタイルを整える。
○照明、背景を効果的に変える。
○何枚も何枚も満足いくまでシャッターボタンを押し続ける。
ケーキを食べる直前で慌しく、ちびっこたちも一緒だったので、全員が良い表情になる瞬間は無理。
それに、写真を撮るにはわたしの服装やヘアスタイルが第三者を意識しない家の中、家庭モードそのもの。
(ではあるが自然体で平常通り)
時間を置いて、2回目3回目と写真を見るにつけ、目が慣れてきた。
だんだん、愛着が湧いてくる。
(無理やり思い込もうとしている?)
ピカソの描く女性の絵みたいだ。
味わい深い。
美醜は表面の部と、その内側の部がある。
見る人によっては、色んな見方ができる。
色々に見える(はず)。
ころころ変わるお天気、雲の色のように。
四季折々のように。
じつは、昨夜、NHKテレビのファミリーヒストリー(鶴田真由)の再放送を深夜に見た。
月曜夜に見たものを3日後にまた見て、おさらい、復習。
間を置かず、2度も見るとよくわかった。
鶴田真由が目に焼き付いたまま、自分を撮ってくれたスマホ写真を見ると、そりゃあ天と地の差があって当たり前。
その前夜の目に焼き付いたスクリーンの影響もあったのかも知れない。
まあ、わたしはブサイクな顔ではあるが、それはそれで、味わい深いピカソ美人だということにしておこう。
ちなみに、、、
昨夜のファミリーヒストリー再放送の前に、「世界はほしいモノにあふれてる」という番組があった。
あの番組も大好きだ。
チョイスがわたしの好みとドンピシャストライクで狂喜している。
特に昨夜のイギリス、アンティークジュエリーは申し分なく、画面にかぶりつき。
買い付けの時にバイヤーさんが使っていたミニルーペは、今週初め、4日前にわたしが手に入れたばかりのものと同じ。
バイヤー目線が楽しい番組。
蚤の市とか、教会のチャリティバザーとか、わたしも大好きだった。
(チャリティバザーで手に入れたコートや、幼児パンツは現役で活用中)
アンティークは重ねた歳月が絶妙な味となって内側から輝きを放つような気がする。
テレビは見ることができる時もできない時もあり、たまたまであるが、昨夜はすっかりテレビっこになった。
NHKは幼児とシニア向きなのかなあ、、、と。
幼児向けでも、デザイン性が優れた素晴らしい番組もある。
わたしが幼児返りしているだけか?
ちょっとそれは早すぎると思うが。
目で見るだけにしても、世界は好きなものであふれていると喜ぶわたしは、楽しみがお手軽に手に入る、満足度ハードルの低い人のようである。