蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

子供の人生

2020-07-21 | ブログ
わたしのブログ。
胸のレントゲン撮影の時に、「吐いて〜、吐いて〜、吐いて〜」と息を吐き続けているようなもの。
「吸う」が無いので、ただただ一方的発露、吐露になっている。
よくまあこれだけ、「IN」が無くて「OUT」ばかりが続くものだと我ながら感心する。
自己中の性質はこういうのが多いように思う。
対外的には「めんどくさい性質」ではないはず。
ブログで発散してバランスを取っている。
これは公にするのはどうも、、、というモノは、非公開にする。
いわゆる、ボツ。
非公開もどうだかなあ、、、という、なんだか知らないが未練があるものは、一部、書き直して露出度を変更する。
だが、ネタは尽きることはない。
毎日、無意識に息をしているかの如く次から次へと、入力指は動く。
問題は、読んでくれる人が飽きるという点。
当たり前の流れだ。

ブログ記事を全部、非公開にしたら、胸のつかえは取れるかというと、ちょっと中途半端である。
閲覧数が10本の指で収まったとしたら、これまたモチベーションが維持できないだろう。
一種の露出魔なのか?


話はごろっと変わるが、、、
もし、自分の息子や娘が性的マイノリティなら、、、
彼らは、もういい歳をしているのだが、今まで浮いた話はまるでなく、(親に言ってないだけかも知れないが)付き合っている相手がいることに、まず驚くだろう。
その相手が同性なら、また2回目の驚き。
2度、びっくり。
それはあり得るかも知れないと、驚きを掻き消すように、自分で自分を納得させようとするかも。
まず最初は驚きであって、失望ではないと思う。
気持ちが落ち着いてきたら、、、あれこれぐるぐる考えて、きっと自分に都合が良いように解釈するだろう。
精神衛生上、良いように。
落ち込んだりはしないにしても、お相手であるパートナーの彼らとのお付き合いの仕方を試行錯誤しそうだ。

孫はもう複数いるので、次世代の顔が見たい希望は既に叶えられている。
そういう意味では、息子や次女は、気が楽だと思う。
自分の人生を歩んでくれたら良い、なんてキレイ事を言っても、なんだか白々しいかも知れない。
でも、彼らが決めたことなのだから口出しはしない。
「えーーーっ!驚いた!びっくり!」と言うだけだろう。
それ以上でも、それ以下でもない。
一人で生涯独身よりは満ち足りた人生になると予想する。

そういう事態にもなっていないのに、あれこれ仮定するのは時間の浪費だ、と言われそうだ。
その通り。

なにしろ、わたしは残りの二人には、結婚に関してはもう期待していない。
今は非婚はザラにいる。
自分には自分の道がある。
いくら親だからといって、あれこれ口を出すのは鬱陶しさ全開。
しかし、ニートや引きこもりの親御さんはさぞかし、こころを痛めておられることだろう。

とは言え、親から見ると、ニートや引きこもりと同じように捉えられようとするあたり、性的マイノリティに対して理解や認識が足りないように思うが。
何しろあまり皆さん、表に出さないのでよくわからない。
それぞれが他人に迷惑をかけず充実していれば良いのでは?
と、なんの役にも立たない、こころにも響かない、当たり障りのないフレーズを書く自分が、不甲斐ない。


話はまたまた変わり、、、
何にしても、わたしは完璧、完全は求めない。
理想はそうであっても、現実はそうならないことは多い。
自分の理想を他人に押し付けることほど暑苦しいものはない。
だが、同じ方向を向いている場合は別。
選手とコーチのように。

親に育てられた思い出や思いがある。
と同時に、子を持つ人は、親として子供を育てる思いがある。
さらに、子供が孫を育てるのを見て、過去の思いのいろんな断層に触れる思いがする。
さらに自分の親は老いて、朽ち果てる寸前。
自分も老いていくにもかかわらず、朽ち果てそうな親を見ながら、自分も同時進行で歳を取り衰えていく。
さらに同時に子供は孫を産み育てる。
孫はどんどん成長する。
スタートの生と、エンドの死が全て同時進行。
何重にも繋がったエスカレーターのようだ。

自分の子供の中には、結婚しない子も、子供を持たない子もいる。
それはそれで、一代限りで彩りを加えてくれる。

やいやい口うるさく結婚させようとする祖母もいる。
後継が欲しいと望むにもかかわらず、ただ欲しいと言うばかりで、ノウハウや方法、手段を考えつかないで終わってしまうこともある。
自分の望みを人に託すのは、よほどうまい手がない限り、無理。
自分のことは自分で。
ましてや、人の人生を自分の思い通りにしようなんて、とんでもない。
自分の人生すら、自分の思い通りにならないのに、人まで操ろうなんて。

皆さん、うまくいかずにあれこれ試行錯誤している。
最後には望みが叶うのか、出来ることは全てしたからと諦めるのか。

聞かれてもいないのに、人様に人生指南アドバイスする人がいるが、いかがなるものかと思う。
押し付け、お節介、余計な介入。
一生懸命取り組んで、どうしても上手く行かない人にアドバイスなどしようものなら、タイミングが良ければヒントや発想の転換になるが、渦中にいる時は、大概は「ほっといてくれ」と、アタマから火が吹くのではないだろうか。

悩みに悩み、やることは全てやって、あとは天命を待つだけ、という状態なら、どんな結果も受け入れられることだろう。
もがくと沈殿しているものが撹拌され、水が濁るが、やがて動きがなくなり落ち着いて静かになるとまた分離され、水は澄んでくる。
もがく間は苦しく、さらに結果が出るそれまでの待ち時間が長く辛い。

時間を置くと、また違う見え方にもなる。
長い時間をかけて諦めるという、そういう自然治癒みたいなことは多いと思う。


ちなみに、
決断がやたらびっくりするほど早い人がいるが、何ごとも遅いわたしにしてみるとスゴイなあと感心する。
早くても遅くても結果は同じだったりする。
にもかかわらず、自分流時間の取り方を人に強制するため、お互いストレスになる。
共通項目以外は、出来るだけ一緒にいないことが、解決方法かと思っている。


今日はなかなか終わらない、、、
〆られない、、、
急激な暑さからかな?なんて、急に明るく切り替えてみたりする、、、
汗がだらだら。
ブログもだらだら。