蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

作業に明け暮れ時間切れ

2020-07-07 | 人生
自分はオトナになり切れていない。
コドモにしては純粋さゼロ。
中途半端な「トッチャンボーヤ※」のようなものか。
(※こんな用語はあるのだろうか?死語らしいが)

自分の立ち位置はよくわかっている。
自分の大切なものもよくわかっている。
半径300メートル範囲内で完結、収まる。
それがどうかしたか?
わたしは満足している。

何度も書いているが、書くものにはその人が現れる。
作家は大変だろう。
実業家や、政治家、学界のお偉い方々は、別に書いても書かなくても、活動成果は世の中に現れている。
世に知れぬ無名の普通の人が、文章で人のこころに訴えかける、響くのは稀。
不幸自慢のほうが、手っ取り早い。

そこで救いのボランティアが登場する。
ブログである。
民間の普通の人が、普通に綴る、普通の日常。
可もなく不可もなく。
ちょっとしたこころの抑揚、メリハリだったり、自分への激励だったり。
自分を愛おしむために書いているのではないだろうか。
それで十分、意義がある。
時間や労力を割く元が取れている。
それ以上は、ついでに付随してくる、たんなるオマケ。

さて、可愛げがなくなった、元、コドモ。
オトナでもコドモでもないわたし。
昨夜の土砂降りの雨の後、近畿地方は雨は上がったようだ。
雨上がりなのになんだか煮え切らない。

ちょっとした自己否定期間に入っているようだ。
ミニ鬱とはまた違う。
わたしは客観的にものを見る。
なので、「それがどうした?」となってしまう。
冷静さは、喜びにも悲しみにも水をかける。
それでいいんじゃない?

湿気た花火状態ではなかなか筆が進まない。
わたしが書くことが好きなのは、どうでもよいくだらないことも、マイナス感情も、一気にドーッと脳内掃除をするように書いて発散すること。
脳内掃除は心身を健康に保つためには欠かせないそうだ。
いわゆるストレス発散。
その方法は、人によって違う。
・・・・・

オトナでもコドモでもないわたしは、身の置き所を探して漂流する。
て、ちゃんと定位置があるではないか。
ロウジン。
コドモ→オトナ→ロウジン
時系列並び。

この「ロウジン」には、括りがある。
現役ではないということ。
ご隠居さん。
アーリーリタイアした人は、年齢は若くても仕事面ではロウジン。

今朝、ちょこっとザクッと調べた、楽天の三木谷さんのように、若い時に成功し巨額の富を得た場合、その後の生き方にその人らしさが現れる。
ビル・ゲイツ然り。
自分の欲を追求した後は、世のため人のためにエネルギー、時間、お金を使う。
ただし追求しきれる人は、ほんの一握り。

そういえば、「優秀な東大生は起業する」なんてタイトルの本が出ていたなあ、と。
(三木谷さんは東大卒ではないけれど)

ロウジンのキーワードは、、老成、老熟?
うーん、、、ちょっと違う。
違うのだ。

パワーはまだ少し残っていて、時間も少し残っていて、アタマの中の霞んでいるモヤみたいなものがもう少しフォーカスされると何かが見える(はず)。
ピントを合わせるのに手間取って時間がかかって、本当の本物のロウジンになってしまう恐れがある。
本格的ロウジンまでの貴重な残り時間を。

黄金期をどう過ごすか。
各人、各色だ。
人には人の事情があるし。

キリキリした思いに駆られるのは、本末転倒。
不本意に、まだ使い方を決め切れていないプラン段階のままで持ち時間を使ってしまったなら、それはそれで幸せなのではなかろうか。
幸せなロウジンライフは、幸せなロウジンプランから作られるとは限らない。