わたしは小説を読まない。
専門書も読まない。
漫画もほとんど読まない。
読書をしない。
人の書いたもの(一部を除いて)を読まない。
たぶん、脳のキャパの問題だろう。
集中力が続く時間が限られている。
ウルトラマンのベルトに付いた、光るスイッチボタンを押してから活躍出来る時間、、、5分?3分?
(完全なる昭和世代)
わたしの脳みそ緊張キープ状態はあんなかんじか?
おそらく、脳みそ、そのものが悪い。
それで親を恨んだことはなく、ああ母親の血を受け継いでしまったなあ、、、と、生物学者になったような無感動に近い感慨に耽る。
母には感謝している。
こう一行書いただけで、もう涙腺が緩んでくるあたり、かなりわたしの涙腺は壊れかけている。
いや、壊れている。
しかも、母の顔を見に行こうと思えば行けるのに、会いに行っていない。
自粛が緩んだ最近では、会いに行かない怠慢をコロナ事情を理由には出来なくなってきている。
第二波が来る前に行っておかなければならないのに、、、。
涙を流している場合ではない。
で、、、
感謝の理由は、、、
最近の若い人がよく口にする、「生んでくれて、ありがとう」
「生まれてきてくれて、ありがとう」
それに近いかなあと。
そのフレーズを耳にし始めた頃は、違和感を覚えた。
何を眠たいことを言っているのだろう、、、と。
激戦を生き抜く世代にとっては、生ぬるい言葉として甘ったるさが残る感じがした。
でも、不戦勝(不戦負?)ではあるが、戦い終わって、毎日の悩みは「老化と向き合うこと」となった今、時計の針が逆戻りしている。
おかあちゃん、わたしを生んでくれてありがとう。
ああ、そう書いてまた涙が意味もなく、ベルを鳴らされた犬状態。条件反射?
こんな、へんちくりんなわたしを生み育ててくれた。
でもね、おかあちゃん。
へんちくりんの半分くらいは、あなたからのDNAですよ。
まあいいか。
残りのもう半分は父からのDNAだから。
でも神様のイタズラで、わたしの先天的脳みその99パーセントは母からとなっている。
思考は父譲り。
足して3で割ってちょうどか?
(あえて2では割らない)
老化のせいなのか、母からのDNAのせいなのか、わたしは今、窮地に追い込まれている。
趣味分野のことなのだが。
右足、左足、前進、後退、右足バランス、左足バランス、右足で右回り、右足で左回り、左足で右回り、左足で左回り、左足に乗って右に傾く、右足に乗って右に傾く、右足に乗って左に傾く、、、
左に偏り顔は右向く、右に偏り顔も右、手は右上げる、左上げる、、、
一歩二歩三歩、ヒール、トウ、トウ、トウ、ヒール、、、
はい、最初から、今の、やってみて!
なんでこんなカンタンなことが出来ない?
「決して難しいステップではありませんよ」と、何度も先生はため息。
「ほんと、スロー(わたし)はアホなんだから」と、練習相手。
2人に事実を言われ、涙目になった。
すぐに出来ないけれど、一生懸命出来るように、頭と体のシナプスがちゃんと繋がるように頑丈な強烈なロープでぐるぐるがんじがらめにしている。
思いが裏目に出て「カチカチになっているよ、もっと力を抜いて!」と言われる。
でも、そういう問題ではないようだ。
動画を見てすぐに再現できるのなら、ジャニーズに入れそうだ。
年齢を差し引いても、ジャニーズシニアとは程遠い。
頭から自分の能力を全面否定されると、さすがのわたしも悲しくなる。
人格や人生そのものを全否定されたような気になる。
(よく陥るコース)
窮鼠自分を噛む。
で、DNA説を持ち出し、母を逆恨みする。
しかし、、、母は、自己中で超楽天家だった。
暗い面が全くない。(そりゃそうだ。尻拭いを周りがやっているから)
その楽天家要素もわたしは受け継いでいるようで、こころの病気にはならないと思われる。
悪く言うと、懲りない。反省が活きない。
七転び八起きするものの、前進というよりは、一歩進んで二歩下がる。
(ちなみに、水前寺清子の人生の応援歌、三歩進んで二歩下がるのだったか??ああ昭和世代、、、)
後退しているのは、老化のせい、ということにカンタンに済ませると、老人鬱から遠ざかるのか、はたまた老化鬱に接近しているのか?
答えは、あまり追求しないこと。
一人一人、答えは違うと思う。
こんな建設的ではない独り言を綴っている間も、甚大な自然災害を被っている人々がいる。
頭の中で、行ったり来たり。
まるで落ち着きのない子供のようだ。
今朝は強く降る雨に、こころを痛めている。
雨が不安を掻き立て、たぶん、昨日のレッスンの後遺症から立ち直れていない。