わたしは、時計をいくつか持っている。
一番安いのは電池交換費用と同じぐらいのもの。
クラフト仕立ての大のお気に入りは、長女からのお下がり。
社会人になったらこんな時計は恥ずかしいからと、払い下げられた。
わたしは気に入っているのだが、姉には「こんなオモチャ時計」と、はっきり馬鹿にされている。
だが、めげることなく、まだ気に入って現役で使っている。
愛用していても、やはり時計は消耗品で、よく壊れる。
デザインものは、腕の開閉蝶番部分がパキッと折れたり、経年劣化したり。
大好きでも時計そのものが壊れたり。
修理すると、その費用で何個も時計が買える。
新婚旅行先で買った時計、全くの安物なのに、帰りの手荷物検査チェックを別途に受け、ブランド品だろう!と詰めよられたが、違うものは違うと否定した。
その時計はすでにベルトも壊れ、本体も壊れているが、しつこくまだ捨てていない。
先日、修理費を見積もってもらったら、セイコーのちゃんとした時計が買えそうな値段だったのでやめた。
他にも高い修理費でも修理した時計もある。
電池交換も順次していかなければならない。
安物チャラチャラ時計は、阪神地区沿線の駅近にある靴修理屋さんに出す。
高級時計は百貨店か宝石屋か専門店に出してくださいと時計屋さんに言われるが、百貨店はなにしろ信頼料金が上乗せされ、お高い。
で、独自の足で探した店に出す。
大阪兵庫にまたがりエリア範囲はかなり広い。
しかし、なんでこんなにケチなんだろう、、、。
大丈夫か?壊されないか?とドキドキしたりするなら、安心の百貨店に出せばよいものを。
百貨店はどうしてもダメな時の最後の砦にしている。
で、日頃はどんな時計をしているか。
時計はしないで、スマホで代用。
スマホと連動した時計も悪くないのだが、今のところ別にぜひ欲しいという高まりはない。
最近、少し恥ずかしくなってきたディズニーのマーメイドキャラの時計。
これは旅行の時に付けることが多い。
頻繁に使っていると壊れるので、壊れたら買い換える。
飛行機内販売で買ったりもする。
中でもスウォッチは愛用品の一つ。
当時、最も好きだった時計を電池交換時に大阪市内の地下街にある出店のオニイサンに壊されたが、泣き寝入り。
若いイケメンだったが、ズル賢い怖い人だった。
悪の面、闇の面、黒い面を駆使して、弱い人には強く出る。
わたしはクレーマー失格。
いつまでもメソメソ、うじうじするだけ。
もっとちゃんと戦っていれば良かった。
が、負けていただろう。
それ以降は思い入れのある時計は、ちゃんとした店舗のある店に出す。
店舗立地もその場限りの根無し草都会人が通過するだけの軽い場所は要注意。
それと、イケメンニイサンには毒がある場合があり、闇社会では頭角を表すのかも知れない。
男性で高級時計志向の人がいる。
やたら高い腕時計を付けている。
時間を見る時にこれ見よがしに腕をぶるーんと大きく伸ばして時計を見る。
わかりやすいステイタスなんだろう。
一見さんの店なら、効果がありそうだ。
店の人はお金がある客か無い客か、一目見て見分ける。
自分たちの生活にかかっているから、自然と身につくのだろう。
いくら、わたしはお金はある!といっても、みすぼらしい格好、佇まいオーラでは、そう見なされない。
パリの高級デパートに行った時、肌で感じた。
わたしの自意識過剰、思い過ごしかも知れないが。
さらに商売人に一番嫌われるのは、お金があるのに使わないドケチ。
しつこく値切ったりする。
お互い気持ちよく満足を与え合うウィンウィンの関係が理想だ。
プンプンと鼻をつくお金のニオイが大キライなわたしだ。
お金という経済に直結するニオイがそのまま出るのは、品がないと感じる。
みすぼらしいのも品がないが、やりすぎは、みっともない。
お金のことは考えてないけどなぜか自然体の裕福オーラ、みたいなのがよいのか?
だが、あまりにも自然体は世間の反感を買うこともある。
何事もほどほどが良いと、普通の意見、感覚に着地する。