シベリア育ちと、スーダン育ち?
夫とわたし、体感温度が違いすぎる。
夫婦別姓ならぬ夫婦別室。
涼しい夜。
わたしは肌寒いから薄手の羽毛布団を掛けて寝た。
夫は暑かったようでエアコン付けっ放しで切らずに出勤。
寒いぐらいの夜だったので、まさかエアコンが付いているとは想像していなかったため、発覚が遅れた。
これは、わたしの痛恨のミス?
テレビの音。
相変わらずの大音量。
ものすごく大きい音。
なぜ、あんなに大きい?
益々耳が悪くなっているとすると、補聴器も付けず、よく仕事に支障が出ないものだ。
しかも、わたしが大嫌いな番組ばかり。
個人の気質の違いを理解すべき、だとか、そういう脳の働きをすっ飛ばして、気も狂わんばかりに破壊的に不愉快。
気が遠くなるほどの不快感。
喉から何かが逆流しそう。
脳が爆発しそうだ。
顔面がぐちゃぐちゃに歪む。
暴力を振るうだの、借金を重ねるだの、ギャンブル狂だの、女癖が悪いだの、そんなのでなければ、悪意もないのだし、正直な人なのだし、働き者だし、、、。
色々頑張って列挙してみる。
お互いに嗜好、好みが違うだけ。
「微妙に」「気にならない程度に」ではなく、生活のベースとなる「真ん中」のところで。
わたしの基本スタンスは、「他人に迷惑をかけなければ、何をしてもよい」。
犯罪やイジメなど、とんでもない。
しかし、「他人」とは誰を指す?
世間の皆様のことであり、家族は身内なのだから他人ではないのか?
だが、世の中には家庭内DVもザラにある。
という家庭内の各々の事情、、、
色々あり、コロナ禍でも家庭での問題が浮き彫りにされた。
それなら、一緒にいなければ良いわけで。
手っ取り早い方法は、別れること。
だが、別れられない社会的事情の人もいる。
あるいは、そこまではちょっと、、、というような、たんなる生活リズムや生活様式の違いの場合は、、、
信頼感で結ばれ、夫婦の絆はあるが、生活は別々に。
時間帯で分けたり、一階二階などの階数で分けたり。
お互いが不愉快にならないゾーンを整備、確保して、家庭内ディスタンスをキープする。
ちなみに、、、
どちらかが介護が必要になったら、お互い、絶対に手を貸さないだろう。
外注さんに丸投げして、お金で済ませるだろう。
ヘルパーさんや施設のお世話になるだろう。
助け合いの精神が急に生まれるとは想像しがたい。
堪え難い苦痛を毎日、積み重ねている。
人から見ればたかだか、そんなエアコンやテレビぐらい、、、と笑い話にもならないだろう。
エアコンやテレビは外に現れる具体的な現象に過ぎず、根っこのところが根深く深刻である。
嫌がる相手を思い遣らない、自分本位な絶対的方針、、、。
一事が万事。
一緒に生活していると、さらにどんどん苦痛が拡大していく。
助け合いが必要になった時、一気に反転するだろうか?
ではあるが、苦痛は一時的なもので、その苦痛の元から遠ざかると、苦痛は緩和される。
耐えられるなくなる頃には、どちらかが何らかの支障をきたしていることだろう。
事態は動く。
その時までの辛抱なのか、その時はジ・エンド、終焉なのか。
悲しみも喜びも同時に同梱されている。
引き離せない。ワンセット。
何ごとも表裏一体である。
哲学は、難しい本を読まなくても、普通に暮らしていると読み解くことが出来る。
哲学は、書物の中の文字では体感できない。
生活人でなければ身に沁みない。
ソクラテスは悪妻に悩まされて、副作用として哲学者として大成した。
幸福になりたければ、勉強して、幸福とは何か?を探求すべし、だとか。
しかし、早い話、良妻のほうが幸せになれるそうだ。
では良妻とは?
山内一豊の妻のような人?
夫を陰から支える?
あるいは、能力を引き出し、さらに引き上げる?
そもそもデキる夫なら支えなど必要ない。
デキない夫にはデキない妻が相応しい。合っている。
相手に不満を抱くということは、不甲斐ない自分を責めているようなもの?
だが、自責の念が強すぎると、この世からいなくなりたくなる傾向にある。
だから、あまり突き詰めてはいけない。
怒りは大きすぎると、静かな悲しみになり、諦めの後に、やがて無反応になる。
鎮静化する。
C'est la vie.
だが、痛いものは、何度経験しても痛い。
モルヒネを使わない限り。
良いことばかりでは、人生の喜びを見過ごしてしまう。
スイカに塩、ぜんざいに塩昆布。
幸せボケして感謝のこころを忘れた愚かな人間をピリッと覚醒させるために神様が仕組んだ爆弾か。