「コンフィデンスマン JP プリンセス編」を観た。
楽しい映画だった。
ブログ村エッセイのブロガーさんの紹介記事がランキング インされていて、その記事を読みたかったが、ぐっと我慢して、映画を見終わってから読んだ。
いわゆる、答え合わせ。
先に読んだら、ネタバレになってしまっても楽しみが減るし。
先日、他のブロガーさんの文学作品の感想や評論を読んでみると、唸るほど素晴らしく、とてもわたしは手も足も出ないと慄いた。
映画の評論は、文学よりはハードルは低いと感じるものの、いろんな映画を見て知識がないと、たんに、「面白かった」ではお粗末すぎる。
なので、わたしはいざ、感想となると書けない。
でも、面白かった。
長澤まさみも良い女優になった。
エッセイブロガーさんも書いておられたが、三浦春馬にはこころを痛めずには観れなかった。
歌って踊れる、才能が詰まった若手俳優。
完璧主義であまりにも志しが高く繊細なこころは、ポキっと折れてしまったのだろうか。
全く何も知らないので想像に過ぎないが。
真っ赤なスーツで踊るが眩しく、今となれば痛々しい。
さて、映画の論評はお得意な人にお任せして、と。
わたしは、ぼーっと映画を観るだけ。
実は先々週にも、やたら暗くて陰湿で残虐で怖い映画を観た。
「透明人間」は、サイコ・サスペンス・ホラーだとかで、怖くて当たり前のようだ。
最初のタイトルのところから、暗さ全開で、しまった、、、観るんじゃなかった、、、と思った。
やはり、映画は、楽しくなるようなものがよい。
なにもわざわざ、気持ちが悪くなるようなものを好きこのんでお金と時間と労力を使ってまで観るなんて。
これからは、もっと吟味しよう。
たぶん、B級作品。
辛いのが苦手な人が、激辛カレーを食べると苦痛。
IT社長級の豪邸に住む主人公の恋人。
広々としたロケーションに建つ、海が全面に見える自宅なのだが、ああいう立地は嫌いだし、ああいう家も好きではない。
落ちつかない、リラックスできない。
わたしは若い人の好みとは合わないと強く思った。
若くなくても、建築家、安藤忠雄さんの建てた家も好きではない。
コンクリート、嫌い。
もっと天然素材がいい。
丈夫ならそれに勝るものはないが。
内部インテリアを自然素材にすればいいのか。
たんなる一個人の好み。
文字にする必要もないけれど。
書きながら、文字の無駄使い感がヒシヒシと。
そう言えば、今更なんだけど、、、
映画の帰りに立ち読みをした。
テリー伊藤の最新の著書。
パラパラと、自分が興味あるところだけ拾い読み。
本全体はリタイア後の生き方みたいなもの。
現在70歳のテリーさんの年齢からすると自然な流れ。
その中でわたしが面白いと思った箇所は、、、
「何もしない人生もいいんじゃないか」
何もしないことをテリーさんは肯定しているのだが、その説明の中で、わたしは、おやと首を傾げた。
何か大きなことを成し遂げたりして達成感を味わう喜びを得るわけだが、さしてそれを求めない人がいる。
人生を通しても、充実感を得る喜びをあまり感じない人。
そういうガッツのない人もそれはそれでいいのではないか、と。
否定から入った肯定の仕方が、わたしはなぜか気に入らない。
上から目線の、匂いを感じるからだ。
今まで素晴らしいことが良いと思っていたが、素晴らしくなくてもいいのでは?と。
誰もがカッコ悪いと感じることを照れもせずやる、それはカッコいいことかも?と。
わたしは共鳴出来なかった。
なんだかなあ、、、
素晴らしいほうがいいと思うけど。
そういうものを得たいというエネルギーが少ない人もいて、高みも目指さないし、さほど望みもない、そんな低エネルギーも悪くない、と。
それって、低エネルギー状態を評価していない上に立って、でも自分がよければそれもいいのでは?と。
評価されない低エネルギーの人をなんだかバカにしているような気がした。
客観的に読めないで、曲解したり、深読みしすぎかも知れないが。
わたしの卑屈な下から目線かも知れない。
弱い者は、上から目線に対して敏感である。
今日はどうもボルテージが低い。
こんな日もある。
頭がぼや〜っとしている。
スイッチが入ってないか、栓をちゃんとしてないかんじ。
ゆるゆる。
老化をしっかり感じる。
まとめをせずに逃げる。