蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

嫌いなものは嫌い

2020-07-27 | ご近所さん
今、ブログ村エッセイのご近所さんをぐるり一周してきた。
裕さん、旅に出るんですね、いってらっしゃ〜い!
お土産は、「エンジン排気量10倍パワーチャージのチャンジーになって再登場」でお願いします。

ケイコサンの写真はいつも、うっとり。
どんな被写体にもシャッターを切る人の想いが込められているような気がする。
瞬間の旬を逃がさない。
色とフォーカスのコントラストに覚醒、しばし引き込まれる。

ブーツさんの日記についての考察、興味深かった。
わたしなら、、、
現実逃避、あるいは強い自己肯定願望。
それと多少の自虐趣味。悪趣味、悪ふざけ。
自己陶酔もあるかも。
自分しか知らない自分の胸のうち、何を書いても他者は全く正誤を判定できない、、、ことをよいことに、好き放題、書いている。
わたしの場合は、ストレス解消かなと。

と、前置きはさておき。
一昨日、最寄り駅の電車の待合室で、電車が来るまでいつものごとくスマホをいじっていた。
すると、隣に座った人に声をかけられた。
あら、ご近所の女性。
彼女は高級輸入洋装品店をA駅前で長い間、経営していた人だけあり、いつも素晴らしいファッション。
なによりも発色が美しい。
いかにも上質でお高そうな、濁りがない澄み渡るような色の洋服を身に纏っておられる。
白銀のヘアと透き通るような色白の肌に、原色の真っ赤な口紅。
自宅ファッションもポップでカラフル。
今回は、なんと素敵で可愛い、彩り爽やかで涼しげなマスク。
配色とモチーフに感動!
さすが!オシャレ!の一言に尽きる。

(外観、外側を飾るプロ。
私生活はまた別の一面がある、、、これは、人間として当たり前のこと)

さて、この人物との関わりについて。
姑は昔、A駅エリアに住んでいたため、顧客だったこともあり、プライベートにもお付き合いがあったようだ。
姑は、高級品好みで、好みに合う商品が入ると店から連絡を受けて買いに行っていたらしい。
わたしも結婚直前に姑に連れられて、その店に行ったことがある。
こじんまりとしたお店には、舶来用品のみが売られていた。
が、とても値段は高かった。

わたしは洋服にそのような大金をかける趣味はないので、さ、さ、さーっと見渡して、はい、買いたい物、無し!というかんじ。

ちなみに、ご近所さんのママ友つながりの人が輸入洋服を時々、自宅で販売していた。
これもまあまあの金額だったが、薄めのサマーセーターの一枚や二枚はご近所の手前、買ったように思う。
買う人も買わない人もいるが、居住地で売買は、売り手も客も、同じご近所さんだと、冷蔵庫の中身が知られる感覚に近いものがある。
お互いのフトコロ事情がそれとなくわかるので、ブレない信念と距離感をもって接しないと、ミニトラブルの元になる。

まあそれは、よいとして。
潤沢な資金があり高価なものを普通の感覚で買うなら別に個人の自由だ。
潤沢ではない収入で高価なものを好きで買う人は、これまた個人の自由である。
人それぞれの道。
生活が破綻しなければ、好きにすればよい。
生活は破綻しないが、家族にしわ寄せが行く場合もあるだろうが、それも人の道。

と、延々と長々と、横道に逸れている。
その、高級輸入品ブティックの元経営者の女性が、スマホにどっぷり浸かっているわたしに、声をかけてきた。

「おかあさん、お元気?」
「はあ、元気です」

「おねえさん(姑の姉)は、お元気?」
「はあ、元気です」

「おかあさん、どこにおられるの?
おねえさん、お元気?(2度目の質問)
「元気です(2度目の答え)」

「おねえさん、どこにおられるの?
「前と同じところです」

「お家は?  空っぽにしてるの?」
「管理はしてます」

「おかあさん、お元気?
おねえさん、お元気?
(これ、同じ質問、再び)」
「はい、元気です
(これ、同じ答え、再び)」

「おかあさん、頭のほうは大丈夫?
「(この人、これが聞きたかったのね)
そうですね、年齢相応です」

何度も同じことを聞かれる場合は、答えに納得していないか、もっと深く掘り下げて知りたい場合。
それをわかっていながら、あっさり答えるわたし。
ちょっとでも説明したら、どんどん聞いてこられる可能性、大。

電車が来たので、わたしは、さっさと歩いて別の車両に乗り込んだ。
この女性には別に、どう思われてもよい。
お互い、無理せず別の車両でアッサリ行くほうが良い。

そもそも、なぜ、こんなにわたしはこの20歳ぐらいも上の女性を毛嫌いしているか。
なにしろ、40年近く前から顔と店は知っていて、近所に住むようになってからは30年ほど経っている。
その間、お互いの家族にも度々顔を合わせている。
わたしが住んでいる家の以前の住人である、学生時代の友人Wさんの顔も彼女は知っている。
なにしろ、長い年月を経ている。

客商売だけあり、いつも誰かの何かを褒める習性が身についているようだ。
学生時代の友人Wさんのことをいつも「あの人は美人ねえ」とわたしの顔を見る度に褒める。
Wさんは綺麗な人ではあるが(当然ながら女優さんレベルではない)、そう度々褒められると、なんだか目の前にいる自分が不美人だと言われているような気になる。
しかも、顔ばかりを褒める。
わたしと入れ替わりに引っ越して出て行った、お客さんでもない、今後、見込み客にもなる可能性はゼロのWさんをわたしに褒めてみても、わたしが不愉快になるだけなのに、なぜ、いつもその話題?

その時期が終わると今度は、わたしの家族をベタ褒め。
わたしを喜ばそうとしているのなら大違い。
よく知りもしないで、学歴や職業などばかりを褒める。
夫の姉の旦那さんにまで、褒め言葉は及ぶ。
情報を姑から聞いているのだろう。
完全にわたしは、拒絶反応を起こしていた。
一種のアレルギーである。
人の家庭や家族のことは褒めちぎるが、いままで一度たりとも、わたし自身のことを褒められたことはない。
なにも褒めて欲しいわけではないし、褒める部分など全くないが、30年近くその路線だと、ほとほと嫌気がさす。
ほっといていただきたい。
離れてほしい。
「こんにちわ」の会釈だけで良い。

そういう経緯があるので、わたしは極力、近寄りたくないのだが、いくらスマホで完全ガードしても、御構い無しにズカズカ踏み込んで来られる。
うんざり。
空気を読む機能は備わっていない。

なので、電車の別車両への乗り込みは、ソーシャルディスタンスの距離よりさらに遠い、こころの距離を保つ。
人の家に首を突っ込まないで、ご自分の今後に向かっていただきたい。
て、わたしは、その人がたんに嫌いなだけなんだろう。

長々、悪口。
しかも、褒め殺しをしてくれ続けていた人に対する悪口。
ちょっとこころが痛むかと言えば、、、全然。
スッキリした。ブログ効果。

ただし、わたしの評価はまたまたダウンし、わたしを嫌いになる人は増えたことだろう。