雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

身を変へて天人

2014-06-22 11:00:58 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二百二十八段  身を変へて天人

「『身を変へて天人』などは、かうやあらむ」と見ゆるものは、ただの女房にてさぶらふ人の、御乳母になりたる。
唐衣も着ず、裳をだにも、よういはば着ぬさまにて、御前に添ひ臥し、御帳のうちをゐどころにして、女房どもを呼び使ひ、局にものをいひやり、文を取り次がせなどしてあるさま、いひ尽くすべくもあらず。

雑色の、蔵人になりたる、めでたし。
去年の霜月の臨時の祭に、御琴持たりしは、人とも見えざりしに、君達と連れ立ちて歩くは、「いづこなる人ぞ」とおぼゆれ。ほかよりなりたるなどは、いとさしもおぼえず。


「『生まれ変わって天人になった』などというのは、このようなことであろう」と見えるものは、上臈女房でもなく、普通の女房として宮仕えしている女性が、皇子の御乳母になったのなどは、それにあたります。
女房の正装である唐衣も着ず、裳だって、どうかすると着ないような格好で、御前に添い寝し、御帳台の内を定位置にして、女房どもを呼びつけて使い、自分の部屋へ用を伝えに行かせたり、手紙を取り次がせたりしている様子は、何とも言いようのないほどの権勢です。

雑色(ザフシキ・蔵人所などで、雑役をつとめる無位の役人。一定の服色が定められていなかったことからこう呼ばれた)が、六位蔵人になったのは、すばらしいことです。
去年の霜月の臨時の祭りに、御琴を支えていた雑色は、人間とさえ見られていなかったのに、六位蔵人となった今は、君達(キンダチ)と連れ立って歩いているのは、「一体どこの人か」と思われることですわ。同じ六位蔵人でも、他の身分からなったのなどは、それほど大したこととは思いません。



なかなか厳しい論調ですが、少納言さま、身近で経験することがあったのでしょうね。
でも、このような話、現代でも時々目にしたり耳にしたりすることですよね。少納言さまと同じ思いに駆られた人も少なくないのではないでしょうか。
コメント
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