雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

文言葉なめき人こそ

2014-06-04 11:00:54 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二百四十四段  文言葉なめき人こそ

文言葉なめき人こそ、いと憎けれ。世をなのめに書き流したる言葉の憎きこそ。
さるまじき人のもとに、あまり畏まりたるも、げにわろきことなり。されど、わが得たらむはことわり、人のもとなるさへ、憎くこそあれ。

おほかた、さし向ひてもなめきは、「など、かくいふらむ」と、かたはらいたし。まいて、よき人などを、さ申す者は、いみじうねたうさへあり。
田舎びたる者などの、さあるは、烏滸にていとよし。
男主などなめくいふ、いとわるし。
     (以下割愛)


手紙の言葉が失礼な人ときたら、たいそう憎らしい。世間を小馬鹿にしたかのように書き流している言葉遣いが憎らしいのです。
それほどでもない人のもとに、あまりに丁重すぎるのも、ほんとによくないことです。けれども、失礼な手紙は、自分が受け取ったのはもちろん、他人の所に来たものでさえ、腹が立つというものですよ。

大体、面と向かってでも言葉遣いが失礼なのは、「どうして、そのようなことを言うの」と、苦々しい。まして、高貴な方のことなどを、そんなふうに言う者は、ひどくしゃくにさわりますよ。
田舎っぽい者などが、ぞんざいな口を利くのは、滑稽でむしろ結構です。
一家の男主人に対してぞんざいな口を利くのは、とてもよくありません。

自分が召し使っている者などが、自分のことに「どうこうでいらっしゃる」「おっしゃる」など言うのを聞いていて、いらいらします。「そこのところで、『ございます』などという言葉を使わせたい」と思うことが、実に多いのですよ。
気軽に注意してやれる者には、
「人さまに対して可愛げがない。どうして、こうもお前は言葉遣いはぞんざいなの」
と言えば、そばで聞いている者も、注意した本人も、笑っている。私が、神経質すぎるのでしょうか、
「あなたは、細かいことに気が付き過ぎます」
などと人が言うのも、傍目にはよく映っていないからでしょうね。

殿上人や宰相などを、本名をそのままに、何の遠慮もなく言うのは、大変ぶざまなことですが、はっきり本名を呼ばず、女房の局で使われている女をさえ、「あのお方」「君」などというものだから、「こんな嬉しいことはない」と思い、言った人を褒めるのは、大変なものです。殿上人や君達のことは、御前の他では、官職のみを言います。(御前では、本名を呼び捨てにする)
また、御前にては、女房は、自分たちだけで話す場合でも、お耳に入る場合には、どうして「まろが」などと言うものですか。そういうのは畏れ多いことですし、「まろ」なんて言わなくても、不都合なことなどありませんよ。(自分のことを「まろ」と言うのは、遠慮のない内輪での言葉らしい)



少納言さまも、口やかましい小母さんだと言ってしまえばそれまでなのですが、繊細な文章を書く人だけに、無神経な言葉遣いが気に入らないのでしょう。
特に、必要以上の敬語とか、不適切な敬語の使い方に厳しいようです。
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