枕草子 第二百二十七段 一条の院をば
一条の院をば、「新内裏」とぞいふ。
おはします殿(デン)は、清涼殿にて、その北なる殿に、おはします。西・東は、渡殿にて、渡らせたまひ、まうのぼらせたまふ道にて、前は、壺なれば、前栽植ゑ、笆(マセ)結ひて、いとをかし。
(以下割愛)
一条の院を、「新内裏(イマダイリ)」というのです。(火災のため移られた)
天皇がおいでになる殿は、清涼殿ということですから、その北側の殿に中宮さまはおいでになられます。西と東は渡殿になっていて、天皇がお渡りになり、中宮さまが参上なさいます道になっていて、中宮さまの殿の前は、中庭なので、前栽が植えられ、竹垣を編んで、大変結構な様子です。
二月二十日ばかりの、うらうらとのどやかに日が照っている頃に、渡殿の西の廂にて、天皇が、御笛をお吹きになられました。高遠の兵部卿が、御笛のご指南役でいらっしゃいますが、御笛二つでもって、「高砂」を繰り返してお吹きになられるのは、
「なんと、とてもすばらしい」
と女房たちが言うのも、月並みになってしまいます。
兵部卿が御笛のことなどを、天皇にお話し申し上げておられるのが、とてもすばらしい。
御簾のもとに私たちが集まり出でて、拝見させていただいているときは、「芹摘みし」などと、不満に思うことなど全くございませんのです。
(「芹摘みし昔の人もわがごとや 心にものの叶はざりけむ」という古歌を引用している。彰子の台頭により、定子に影が差しはじめていた)
為済(スケタダ・人物特定できない)は、木工寮の役人でしてね、蔵人になったのですよ。随分がさつで、変わった人ですから、殿上人や女房たちは、「裸ん坊さん」とあだ名で呼んでいるのを、歌にして、
「さうなしの主、尾張うどの種にぞありける」(野放図な主よ、道理で、尾張ウドの種だったんだ)
と謡うのは、尾張の兼時(正六位上左近将監、人長舞の名手)の娘が生んだ子供だったからです。
この歌を、天皇が御笛でお吹きになられのを、お側に控えている私たちは、
「もっと、高くお吹きなさいませ。為済はとても聞きつけることが出来ませんでしょうから」
と申しますと、
「どうかな。そうはいっても、聞きつけることだろう」
と、いつも、そっとお吹きになられますのに、今日は、ご自分の方からこちらにお越しになって、
「あの者はいないようだな。今こそ思いきり吹こう」
と仰せられて、高くお吹きになられるのは、ほんとうにすばらしいことでした。
この章段も、中宮に凋落の兆しが見えてきた頃の思い出です。
すけただ(為済)という人物については、少納言さまに記憶相違の部分もあるらしく、今一つはっきりしないようです。女房たちが天皇に言った「もっと、高くお吹きなさいませ・・・」以下の辺りも、個人的には、あまりしっくりと来ていません。
一条の院をば、「新内裏」とぞいふ。
おはします殿(デン)は、清涼殿にて、その北なる殿に、おはします。西・東は、渡殿にて、渡らせたまひ、まうのぼらせたまふ道にて、前は、壺なれば、前栽植ゑ、笆(マセ)結ひて、いとをかし。
(以下割愛)
一条の院を、「新内裏(イマダイリ)」というのです。(火災のため移られた)
天皇がおいでになる殿は、清涼殿ということですから、その北側の殿に中宮さまはおいでになられます。西と東は渡殿になっていて、天皇がお渡りになり、中宮さまが参上なさいます道になっていて、中宮さまの殿の前は、中庭なので、前栽が植えられ、竹垣を編んで、大変結構な様子です。
二月二十日ばかりの、うらうらとのどやかに日が照っている頃に、渡殿の西の廂にて、天皇が、御笛をお吹きになられました。高遠の兵部卿が、御笛のご指南役でいらっしゃいますが、御笛二つでもって、「高砂」を繰り返してお吹きになられるのは、
「なんと、とてもすばらしい」
と女房たちが言うのも、月並みになってしまいます。
兵部卿が御笛のことなどを、天皇にお話し申し上げておられるのが、とてもすばらしい。
御簾のもとに私たちが集まり出でて、拝見させていただいているときは、「芹摘みし」などと、不満に思うことなど全くございませんのです。
(「芹摘みし昔の人もわがごとや 心にものの叶はざりけむ」という古歌を引用している。彰子の台頭により、定子に影が差しはじめていた)
為済(スケタダ・人物特定できない)は、木工寮の役人でしてね、蔵人になったのですよ。随分がさつで、変わった人ですから、殿上人や女房たちは、「裸ん坊さん」とあだ名で呼んでいるのを、歌にして、
「さうなしの主、尾張うどの種にぞありける」(野放図な主よ、道理で、尾張ウドの種だったんだ)
と謡うのは、尾張の兼時(正六位上左近将監、人長舞の名手)の娘が生んだ子供だったからです。
この歌を、天皇が御笛でお吹きになられのを、お側に控えている私たちは、
「もっと、高くお吹きなさいませ。為済はとても聞きつけることが出来ませんでしょうから」
と申しますと、
「どうかな。そうはいっても、聞きつけることだろう」
と、いつも、そっとお吹きになられますのに、今日は、ご自分の方からこちらにお越しになって、
「あの者はいないようだな。今こそ思いきり吹こう」
と仰せられて、高くお吹きになられるのは、ほんとうにすばらしいことでした。
この章段も、中宮に凋落の兆しが見えてきた頃の思い出です。
すけただ(為済)という人物については、少納言さまに記憶相違の部分もあるらしく、今一つはっきりしないようです。女房たちが天皇に言った「もっと、高くお吹きなさいませ・・・」以下の辺りも、個人的には、あまりしっくりと来ていません。