雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

社は布留の社

2014-06-24 11:00:12 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二百二十六段  社は布留の社

社は、
布留の社。生田の社。丹比の御社。花淵の社。
すぎの御社は、「印(シルシ)やあらむ」と、をかし。
言のままの明神、いと頼もし。「『さのみききけむ』とや、いはれたまはむ」と思ふぞ、いとほしき。
     (以下割愛)


社(ヤシロ・神社)は、
ふるの社(大和)。いくたの社(摂津)。たびのみやしろ(河内)。はなふちの社(陸奥)。
すぎの御社は、「印の杉があるのかしら」と興味がわきます。
(すぎの社は、陸奥、但馬などにあり、どれを指すのかはっきりしないが、大和の大神神社の三輪山伝説に、{印の杉}というものがあり、それと同様のものがあるのか、興味を感じている様子)
言(コト)のままの明神(遠江)、大変頼もしい。「『むやみに聞いてばかりいる』ということですから、嘆きの社になるとでも噂されるだろう」と思うと、お気の毒なことです。
(古今集の「ねぎ言をさのみ聞きけむ社こそ 果ては嘆きの杜となるらめ」を引いている)

蟻通しの明神(和泉)。貫之の馬が病気になったので、「この明神様がたたりをなさる」というので、和歌を詠んで奉納したというのが、とても面白い。(「貫之集」からの引用)

「この『蟻通し』と名付けた理由というのは、本当の出来事だったのだろうか、昔おいでなられた帝が、若い人ばかりを取り立てられて、四十歳になった年寄りを殺してしまわれたので、遠い他国へ逃げ隠れなどして、全く都の中には、年寄りはいなくなったのだが、中将であった人で、たいそう帝に気に入られていて、思慮もしっかりしていた人が、七十近い親二人を持っていたところ、
『このように四十歳でさえお咎めになられる、七十近い私たちは、まして恐ろしいことだ』
と、怖気騒ぐが、この中将という人はたいそう親孝行の人で、
『遠い所に住まわせることなど出来ない。一日に一度は会わないでいることなど出来ない』
と思って、密かに屋敷内の土を掘って、その穴の中に家を建てて、隠れていさせて、ちょいちょい訪れて会った。他の人や宮中の人たちにも、どこかに姿を隠してしまったと、報告していた。

どうして、家に引きこもっているような人まで、問題になさらなくてもいいでしょうに。嫌な世の中だったのですねぇ。
この親は、上達部などではなかったのでしょうが、中将ほどの人物を息子に持っていたんですよ。ですから、とても思慮深く、何でも知っている物知りだったから、この中将も、若くても、大層評判がよく、思慮が極めて優れていて、帝は欠かせない人物として信頼されていたのですよ。

唐土(モロコシ)の帝が、
『この国の帝を何とか計略にかけて、この国を討ち取ろう』
と思って、常に知恵を試したり、紛争を起こして、脅迫なさったそうだが、ある時、つやつやと丸く美しく削った木の、二尺ばかりの長さのものを、
『この木の本と末は、どちらがどっちだ』
と、問題として差し出されたが、誰も見分ける方法を知らなかったので、帝が困り果てているのを、中将はお気の毒に思って、親のもとに行って、
『こうこう、このようなことがあるのです』
と尋ねますと、
『ともかく、流れの早そうな川の岸に立ったままで、丸太を真横にして投げ入れると、ぴょこんと立って流れる方を末と記して、送り返しなさい』
と教えてくれた。中将は参内して、自分が考え出したような顔をして、
『そのように、試してみましょう』
ということで、他の人と一緒に出掛けて、川に投げ入れますと、頭をもたげて流れる方に末と印を付けて送ったところ、まことに、その通りだったそうですよ。

また、二尺ばかりの蛇(クチナハ・へびのこと)の、全く同じ長さのものを、
『これは、いずれが雄か雌か』
と、唐土の帝が問題を出してきた。これもまた、全く知っている者がいない。例のごとく、中将が父親のもとに来て尋ねると、
『二つを並べて、尾の方に、細い木の枝を近づけると、尾の動かない方が雌と判断せよ』
と言ったそうです。
すぐさま、教えられたように、内裏の中で試したところ、ほんとうに一つは動かず、一つは動かしたので、今度も、そのように印を付けて、送ったそうですよ。

その後しばらくたってから、七曲(ナナワタ・七まがり)にくねくねと屈曲している玉の、しかもその中に穴が通っていて、左右に小さな口が開いている物を送ってきて、
『これに、緒を通していただきたい。わが国では、誰でもすることが出来ることだ』
といって、問い掛けてきたが、
『どんな器用な人でも、手におえない』
と、集まっている上達部、殿上人、世間のあらゆる人が言うので、中将は、またまた父のもとに行き、
『こんな難題です』
と尋ねると、父親は、
『大きな蟻を捕まえて、二匹ほどの腰に細い糸を付けて、その糸の先に、もう少し太い緒をつないで、向こう側の口に蜜を塗ってみよ』
と教えてくれたので、そのように申し上げて、蟻をこちらの穴に入れると、蜜の香りを嗅いで、まことに素早く、蟻は向こう側の口から抜け出したそうです。そして、その糸の貫かれた玉を返してから後というものは、
『やはり、日の本の国は、優秀なものだ』
と、この後には、そのような脅迫もしなくなったそうですよ。

帝は、この中将を、かけがえのない人物だとお思いになって、
『何を持って報い、いかなる官位を与えようか』
と仰せになられると、中将は、
『決して、官も冠も(ツカサもカウブリも・官職も位階も)いただきますまい。ただ、老いたる父母が、逃亡しておりますのを、探し出して、都に住まわせることを、お許しください』
と申し上げますと、
『いともたやすいことだ』
と、お許しが出たので、世間の親たちは、これを聞いて、喜ぶことは大変なものでした。中将は、上達部から大臣へと、とんとん拍子で出世なされたのです。

さて、その人が、蟻通しの明神にになったのでしょうか。その神の御もとに詣でた人に、夜夢枕に立って、仰せられたことには、
  『七曲(ナナワタ)にまがれる玉の緒を貫きて 蟻通しとは知らずやあるらむ』
と、おっしゃったんですって」

と、誰かが話してくれたことなんですよ。



とても面白い章段です。
どの話も仏典などにあるそうですが、少納言さまの時代には、ある程度流布していたのでしょうか。
もう少しうまく現代訳出来れば、少納言さまに喜んでいただけると思うのですが・・・。
コメント
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