枕草子 第二百二十一段 細殿に便なき人
「細殿に、便なき人なむ、暁に傘さして出でける」
と、いひ出でたるを、よくきけば、わがうへなりけり。
「地下などいひても目やすく、人にゆるさるばかりの人にもあらざなるを、あやしのことや」
と思ふほどに、上より御文持て来て、
「返りごと、ただ今」
と、仰せられたり。
「何ごとにか」
とて、見れば、大傘の絵(カタ)を書きて、人は見えず。ただ手のかぎりをとらへさせて、下に、
「『 山の端明けし朝(アシタ)より 』」
と、書かせたまへり。
なほ、はかなき言にても、ただめでたくのみおぼえさせたまふに、「恥づかしく心づきなき言は、いかでか、御覧ぜられじ」と思ふに、かかる虚言(ソラゴト)の出で来る、苦しけれど、をかしくて、異紙に、雨をいみじう降らせて、下に、
「『 ならぬ名の立ちにけるかな 』さてや、濡れ衣にはなりはべらむ」
と、啓したれば、右近の内侍などに語らせたまひて、笑はせたまひけり。
「細殿で、場違いの人がね、明け方に唐傘をさして出て行ったそうよ」
と、女房たちが噂し始めたのを、詳しく聞いてみると、私に関わりのあることだったのです。
「地下人だといっても、ちゃんとしていて、他人にとやかく言われるような人ではないのに、問題になるのは変な話だな」
と思っていますと、中宮さまからの御手紙を持ってきて、
「返事を、今すぐに」
と、仰せになられている。
「どのような仰せなのか」
と思いながら、見てみますと、大傘の絵が描かれていて、人の姿はありません。手だけが傘の柄を持っているところを描いていて、その下に、
「『 山の端明けし朝より 』」
と、お書きになっておられます。
やはり、ほんのちょっとしたお言葉でも、ともかくすばらしいと感心させられるばかりですのに、「みっともない間の抜けた歌は、絶対にお目にかけまい」と思っていますのに、このような作り言が出てくるのが、つらいのですが、いただいた御手紙の結構さに、別の紙に、うんと雨の降っているところを描いて、その下に、
「 『ならぬ名の立ちにけるかな 』さてや、濡れ衣にはなりはべらむ」
と、申し上げましたが、中宮さまは右近の内侍などにお話になり、お笑いになられたそうでございます。
全体の話の内容は分かるのですが、歌の引用などはなかなか難しい内容になっています。
中宮からの手紙は、拾遺集の「あやしくもわれ濡衣を着たるかな 御笠の山を人に借られて」という歌を引用していて、このうちの「御笠の山」を大傘の絵で表し、「濡衣なのでしょう」と助け船を出すべく上の句を送ってきたもの。本来なら「御笠の山 山の端明けし 朝(アシタ)より」と書かれるはずなのです。
これを受けた少納言さまも、激しい雨の絵を代用して、「(雨)ならぬ名の 立ちにけるかな」と答えています。つまり、「雨ではなく噂が立ってしまいました」と中宮の好意に応えているのです。
この出来事も、少納言さまが出仕して間もない頃のことで、自分の文字や和歌を披露するのを極端に控えていたようですが、中宮の優しい助け船に、目一杯応えたのでしょう。
「細殿に、便なき人なむ、暁に傘さして出でける」
と、いひ出でたるを、よくきけば、わがうへなりけり。
「地下などいひても目やすく、人にゆるさるばかりの人にもあらざなるを、あやしのことや」
と思ふほどに、上より御文持て来て、
「返りごと、ただ今」
と、仰せられたり。
「何ごとにか」
とて、見れば、大傘の絵(カタ)を書きて、人は見えず。ただ手のかぎりをとらへさせて、下に、
「『 山の端明けし朝(アシタ)より 』」
と、書かせたまへり。
なほ、はかなき言にても、ただめでたくのみおぼえさせたまふに、「恥づかしく心づきなき言は、いかでか、御覧ぜられじ」と思ふに、かかる虚言(ソラゴト)の出で来る、苦しけれど、をかしくて、異紙に、雨をいみじう降らせて、下に、
「『 ならぬ名の立ちにけるかな 』さてや、濡れ衣にはなりはべらむ」
と、啓したれば、右近の内侍などに語らせたまひて、笑はせたまひけり。
「細殿で、場違いの人がね、明け方に唐傘をさして出て行ったそうよ」
と、女房たちが噂し始めたのを、詳しく聞いてみると、私に関わりのあることだったのです。
「地下人だといっても、ちゃんとしていて、他人にとやかく言われるような人ではないのに、問題になるのは変な話だな」
と思っていますと、中宮さまからの御手紙を持ってきて、
「返事を、今すぐに」
と、仰せになられている。
「どのような仰せなのか」
と思いながら、見てみますと、大傘の絵が描かれていて、人の姿はありません。手だけが傘の柄を持っているところを描いていて、その下に、
「『 山の端明けし朝より 』」
と、お書きになっておられます。
やはり、ほんのちょっとしたお言葉でも、ともかくすばらしいと感心させられるばかりですのに、「みっともない間の抜けた歌は、絶対にお目にかけまい」と思っていますのに、このような作り言が出てくるのが、つらいのですが、いただいた御手紙の結構さに、別の紙に、うんと雨の降っているところを描いて、その下に、
「 『ならぬ名の立ちにけるかな 』さてや、濡れ衣にはなりはべらむ」
と、申し上げましたが、中宮さまは右近の内侍などにお話になり、お笑いになられたそうでございます。
全体の話の内容は分かるのですが、歌の引用などはなかなか難しい内容になっています。
中宮からの手紙は、拾遺集の「あやしくもわれ濡衣を着たるかな 御笠の山を人に借られて」という歌を引用していて、このうちの「御笠の山」を大傘の絵で表し、「濡衣なのでしょう」と助け船を出すべく上の句を送ってきたもの。本来なら「御笠の山 山の端明けし 朝(アシタ)より」と書かれるはずなのです。
これを受けた少納言さまも、激しい雨の絵を代用して、「(雨)ならぬ名の 立ちにけるかな」と答えています。つまり、「雨ではなく噂が立ってしまいました」と中宮の好意に応えているのです。
この出来事も、少納言さまが出仕して間もない頃のことで、自分の文字や和歌を披露するのを極端に控えていたようですが、中宮の優しい助け船に、目一杯応えたのでしょう。