雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

燃えば燃え

2024-09-01 08:00:53 | 古今和歌集の歌人たち

     『 燃えば燃え 』


 富士の嶺の ならぬ思ひに 燃えば燃え
           神だに消たぬ 空し煙を

             作者  紀乳母

( 巻第十九 雑躰歌  NO.1028 )
        ふじのねの ならぬおもひに もえばもえ
                かみだにけたぬ むなしけぶりを


* 歌意は、「 噴煙を上げている富士の嶺よ 空しい思いを激しい火となって 燃えるなら燃えよ わたしの思いは空しい煙だが 神であっても消すことは出来まい 」と、受け取りました。 
この歌は、『雑躰歌』に区分けされていますが、和歌(短歌)として何の不備もないと思うのですが、歌の内容が激しすぎるためにこうなったのでしょうか。
おそらく、「恋歌」の類いだと思うのですが、作者の悲劇を思えば、もっと激しいものかも知れません。但し、事件とこの歌が詠まれた時期は分っていませんが。

* 作者の紀乳母とは、陽成天皇の乳母である紀全子(キノゼンシ・生没年とも未詳。)のことです。
作者は元は山村姓でしたが、紀姓を賜って紀全子となりました。その経緯などは分らないのですが、従五位上を叙位されていますので、それに関係があるかもしれません。
全子は、源蔭と結婚し、益(マサル/ススム)を儲けました。その後、誕生間もない清和天皇の皇子貞明親王(後の陽成天皇)の乳母として出仕しました。869 年のことと思われます。(貞明親王の誕生は、貞観 10 年 12 月 16 日/西暦 869 年 1 月 2 日。)
全子の息子の益も、ほぼ似た頃の誕生と思われます。

* 全子は、天皇の乳母として内裏で恵まれた地位を占めていたでしょうし、息子の益も天皇の乳兄弟として仕えていて、恵まれた環境にあったと思うのですが、突然、大事件が発生しました。益が何者かに殴殺されたのです。
内裏内での殺人事件ですから、おそらく箝口令も出されたでしょうし、外部へは秘匿したことでしょうが、隠しきれるものでもなく、この後一、二ヶ月間の祭祀が中止されることになりました。
事件の真相は明らかにされないまま、陽成天皇の関与や、直接の犯人といった噂さえあったとされます。おそらく、実行者は誰であるとしても、皇位をめぐる政争の激しい時代でから、そうした陰謀も絡んでいた可能性は十分考えられます。
そして、陽成天皇は、事件後三か月を待つことなく退位に追い込まれているのです。

* 事件の後、失意の全子は、どのように過ごしていたのでしょうか。残念ながら、伝えられている情報はほとんどないようです。
陽成天皇には、同母弟や異母弟もいましたが、皇位を継いだのは、仁明天皇の皇子で陽成天皇からみると大叔父にあたる五十五歳の光孝天皇でした。つまり皇位の移動が画策されたのです。陽成天皇は上皇として65年を生きていましたが、皇位が「清和ー陽成」の系統に戻ることはありませんでした。
光孝天皇やその後継の天皇と、それを支える勢力は、陽成天皇並びに周辺勢力の復権を警戒し続け、公的記録に残される機会も激減したことでしょう。
全子の消息の量が激減しているのも、そうした動きに関係しているのかもしれません。

* 掲題の歌が、我が子が殺されるという事件の後か先かで、その意味が大きく違うような気がしてならないのですが、諸般の事情を考えますと、事件の前の可能性の方が高いと思われます。
しかし、個人的には、あえて、事件の後に、堪え難い思いを絶唱したのだと思えてならないのです。

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