「『1+1=2』ではなく、『3』にも『4』にもなるように努力していただきたい・・・」このような言葉を時々聞くことがあります。
この言葉自体は、退屈な訓話の定番のようなところがありますが、考えようによっては、なかなか面白い意味を含んでいるような気もします。
例えば、「人間の力というものは、工夫や努力次第で実力以上の力を出せるのだ」と素直に感動する人もいるかもしれません。
反対に、「彼は算数も分かっていない。『1』は『1』で、『1+1』は『2』で『3になるはずもなく、まして『4』にならないことなど幼児でも知っている」と笑い飛ばす人もいるかもしれません。
最初の意見も感動するといっても、そう簡単に3や4になるとは思っていないでしょうし、次の意見の人も、本気で算数の問題だと考えてるわけではなく、あまりにも安直な訓話を馬鹿にしているだけだと思うのです。
ただ、『1+1』は『2』以外にはならないというのが個人的な考え方ですが、例えば、企業が合併するのは、『1+1』が単純に加算した『2』以上になることを期待してのことでしょうし、現実にそれ以上の効果を実現している例は数多くあります。しかし、優秀な企業経営者が目指すところは、『3』や『4』になることを期待しているのではなく、より逞しい『1』を実現させることだと思うのです。
ところで、『1』とか『2』とか『3』とか、好き勝手に数字を並べていますが、私たちの祖先、それも人間とされる人たちがこの地球上に登場してきた頃、その人たちは数というものをどのように認識していたのでしょうか。そして、数の範囲をどのようにして広げていったのでしょうか。
何かで見たのですが、人が最初に認識した数字は『1』であり、それから広がっていく数は、自分自身の体からきているとありました。すごく納得できる説明で、幼い子供が数を覚え始めた頃、今も自分の指を折って数える姿を思い浮かべますと、脈々とした繋がりを感じてしまいます。
私たちの遥かな祖先が始めて認識した数が『1』かどうかはともかく、その後、生きていくために、そして、子孫に命をつなぐために、数はどんどん広がりを見せていき、現代社会においては、凡人の頭では理解できないような数字が日常生活にまで入り込んできています。さらには、私たちの生活そのものを支配する一因になることもあり、それによって苦しめられることもあるようです。
私たちの生活は、一歩一歩の積み重ねのようなものではないでしょうか。
もし、そう仮定すれば、『1+1=2』であり、それに新たな『1』を加えるしか手段はなく、『1+1』が『3』や『4』になることを期待するのは間違いのもとのような気がします。もっとも、シンデレラのように突然世の中が変わるような出来事もあるのでしょうが、残念ながら、そうそう簡単には実現しないようです。
それどころか、私たちの生涯には、『+』ばかりでなく、『-』も存在しています。努力しても努力しても、『-』ばかりが積み重なっていく人生だと感じることも少なくありません。
これも、何かの本で見た朧げな記憶なのですが、「悪いことばかりの人生だったが、人生全体で考えてみると、そう悪いものでもなかった」と述懐するシーンを覚えています。
案外、私たちの人生には、この人物の述懐に近い部分があるのかもしれないと思うのです。そうだとすれば、『-』ばかりの人生だと思い悩んだときには、それを積み重ねるばかりでなく、「時には『掛けてみる』」という発想も必要かもしれません。数字は不思議なもので、『-』と『-』を掛け算すると『+』になるのですから。
( 2019.08.25 )
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます