最近のラーメンはチェーンも多いが模倣と先鋭化があり一定の味に収斂するように思う。これは創造性ではなく規定路線の延長だ。<o:p></o:p>
1990年後半のラーメンブームまで、ラーメンとは一部の好き者が限られた雑誌情報で食べ歩いていた。その後、ネットで「とらさん」などの情報があり、ラーメン店の味や位置は「あきらか」になった。この時期に革新的な、無化調(武蔵など)やWスープ(青葉など)や煮干(もともと永福町大勝軒)やもりそば(東池袋、中野大勝軒など)やリバイバルの和風のたんたん亭などがブームとなった。<o:p></o:p>
いまや、同じ様な店が多い。京都では二郎系や青葉洗練系、無化調塩ラーメンなどがあるが物足りない。しかも、代表例として、つけ麺は重く、くどく、太く先鋭化している。50年代のアメリカの自動車が空力的に無意味な「フィン」を競ったようなものだ。煮干系もくどく、無化調系は蕎麦みたいな味を求めていまやラーメンではない。<o:p></o:p>
収斂は、中庸に向かうのだろう。つまりは、その土地の好みや独自性の完成度ではないか。最近美味しいと思うのは嫌味の少ない無化調または微化調の醤油味で高加水の太麺が多い。京都での好みは京都ラーメンの進化系の いいちょ などだ。横浜ラーメンの紫蔵の復活、京都拉麺小路の東池袋大勝軒も楽しみだ。<o:p></o:p>
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芸術も極端からまとまりに転じる。のこぎりの歯のような(登っては落ちる)発展だ。<o:p></o:p>
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