木崎湖湖畔は始めて訪れた場所だったが7月25日より一週間滞在する間に東京よりやってきた仲間に案内したい場所はたくさんできた。
そのひとつが大正6年より続く信濃夏期大学で有名な信濃公堂だ。
西丸震哉記念館のはす向かいの木崎湖を見下ろす高台にある。
1974年に立て替えられたが昔の面影を残す大きな建物だ。
東京よりやってきたひがんばなさんとかがみぐささんをそこへ案内すると言ったら明治39年生まれの父が毎年来ていたとかがみぐささんがつぶやいたので驚くと同時にとても身近に感じ始めた。
8月1日より講義が始まる前日だったので受付の準備もできていた。
始まった当時の面影を感じる風景だ。
白樺の丸太を斜めに切った面に”受付”と書かれ花瓶には野の花が生けられていた。
車道沿いに立てられた看板を見ると現代が抱える問題が講義内容になっている。
100年近くその時代が抱える問題に向き合ってきた人たちが集う場が原始感覚美術祭が始まった土台かもしれないとふと思った。
かがみぐささんは介護しなければいけない家族達がいる上仕事があり一日たりとも家を開けれない状態の人だが原始感覚美術祭のパンフレットを送ると即私のワークショップへ参加とのメールが届いた。
私が金生町暮らしを始めて3年以上会ってない。
とてもうれしいが驚いた。
私が遠い木崎湖湖畔までなぜやってくることになったのか考えていたがなぞが解けた。
かがみぐささんのお父さんの差配だ。
日常生活に息抜きが必要だと考えたお父さんが良い思い出のある木崎湖湖畔へ彼女を連れてくるため私を使ったのだ。
金生町までは遠くて会いにいけないが近くまで来ているので会いに行きたいと身内の方にお願いしたと思う。
来るまでは夏期大学やお父さんのことは念頭になく来たようだが私の話をまんざらでもなく聞いてくれた。
帰ってすぐ”夏期大学のことは早速仏前に報告しました”とのメールが入った。
8月1日のワークショップ当日に来た東京の仲間達も連れて行ったが講義は始まっていた。
もちろんクーラーはないのだろう。
障子を開け放していた。
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