宇宙をテーマにしたお泊り会での出来事。
紙コップと豆電球でオリジナル懐中電灯を作ってうれしくてたまらない小3のAくん。
いっしょに寝る部屋の子らといっしょに、「真夜中計画」というのをもくろんでいる
という話を聞きました。
後から聞いたところ、夜中の12時になったらその懐中電灯で掛け時計を照らして、真夜中かどうか確かめる
腹積もりだったそうです。
翌朝、「真夜中計画はどうなったの?」とたずねると、
むくれ顔で、「できなかったよ。」と言いました。
「12時になる前に寝てしまったの?」とたずねると、
「どうもこうもないよ。お母さんたちが、ぼくが作った懐中電灯を取りあげちゃったんだから。」
とぼやきました。
「それは残念。」と話していると、別の部屋で寝た3年生のBくんが、
「ぼくたちなんて、夜中の2時まで起きていたよ。」と自慢しました。
Bくんは最初、男の子たちが集まって寝ている部屋で寝る予定だったのですが、
心細くなって、大人が多い部屋に移って寝ていたのです。
真夜中計画がとん挫して残念そうな男の子たちが、
「本当?本当にあっちの部屋の子らは夜中の2時まで起きていたの?」とたずねるので、
その部屋にはわたしもいたので、
昨晩、あったことを話しました。
「子どもたちが寝込んでずいぶんたったな、と思った時、時計を見てみると11時半だったわ。」
それを聞いた1年生のCくんが、しばらく頭をひねっていて、
ひらめいたように、
「11時半の時に、寝込んでずいぶんたったって思ったなら、2時まで起きていたなんて嘘だ。
Bくんは嘘つきだ!」と言いました。
「だまされた」と憤慨しています。
そこで、「嘘じゃないわよ」とわたしが言いました。
「だって、Bくんは懐中電灯を持っていなかったんだから。夜中の2時かどうかなんて確認できないでしょ。
それは、嘘じゃなくて、勘違いというものでしょう。」
すると、Cくんは、嘘と勘違いのちがいについて、しばらく考えていました。
Cくんとふたりで、「嘘はだますためにつくもの、勘違いは事実を間違えて捉えることよね。」といった話を
しばらく楽しんだ後で、Cくんは、「Bくんはだますんじゃないけど、ほかの人に2時って思ってほしいみたいだったよ。
間違えてほしいみたいだった。だから、自分が、勘違いしたのと違う。」と言いました。
「それは、嘘に似ているけど、自慢したいから、相手の方に勘違いしてほしいって思ったということかな?」と言うと、
Cくんは、真剣にそれらのちがいについて考え続けていました。
私がその場にいたら、きっと、「嘘つき呼ばわりするのは攻撃的なこと、そんなことしてたら、お友達と仲良くなれない~」などと「教えよう、正そう」としてしまっていたに違いありません。
息子は、「群れたい、友達と仲良くしたい」願望が強い割には、下手の横好きで、余計なことを言ったりやったりしては、仲間はずれになったり、責められたりと悲しい思いをしがちなのがいたたまれなくて、私はいつも“心配”フィルターのかかった目で、「良い・悪い」「できてる・できてない」と評価を下しては、息子の至らない部分を「なんとかしよう」としているのではないか、と気がつきました。
ユースの夜、奈緒美先生が口にされていた「子供と一緒に考えることを楽しむ」ということや、「ルールで迫らない」という言葉が印象に残っていて、分かったような、分からないような気分で言葉だけが頭の中にあるような状態だったのですが、こういうことか・・・と、なんとなく、実感しました。
記事にしてくださって、ありがとうございます。