十年以上前に教員をしていた経験のある知人が現在の小学校を親の立場で眺めて、
こんなことを危惧しておられました。
「今の先生は大変ね。小学1年生の時点で、できることとできないことの差……
といっても文字が書けるとか計算ができるといったことではないんだけど……。
それぞれの子の体験の量の違いからくる好奇心の持ち方とか理解する力の差みたいな
ものが大きすぎて、いっしょに教えていくことに無理がある感じがあるから。」
就学する時点で文字も書けて計算もできてあたり前という風潮があるようですから、
本来なら1年生の担任の手をわずらわずことなんてさほどないようにも思えるのです。
しかし、知人と話し込むうちにわかったのは、
「表面的な学習面では差が見えなくても、身体を使う面でも頭を使う面でも
心を使う面でも、自発的に動くことができる範囲が極端なほど狭い」
「常に周囲の大人の言葉で動かされてきて、自分という感覚が育っていない」
「体験が少なすぎて、世界を断片的にしか把握していない」
という子たちが多数派を占めるようになって
教室でいっせいに教えるというスタイルに無理が出始めているという現実でした。
そんな会話の後で、教室の子たちに
『考えるカラス~科学の考え方』という番組を
ネットの動画で見せてあげた時のことを思い出しました。
たった5分ほどの身近な実験を扱った映像なのですが、
子どもによってそれを見ている最中と見た後の反応はずいぶん違いました。
「どうなるのかな?」という状況を食い入るように見ているか、すぐに飽きてしまうか、
自分で仮説を立ててみるか、受動的にただ見ているだけか、
同じ実験をやってみたいから○と○の材料を用意して欲しいと懇願するか、
「えーめんどくさい。やらなくてもいいよ」と言うか、
実際に実験してみた後で、次は自分なりの疑問を見つけ出すか、
見た通りにことをやったらそれで満足するか、
うまくいかなくても、「こうしたらどうかな?」とねばり強く探求するか、
うまくいかないと、不機嫌になって放り出してしまうか、
子どもによって雲泥の差があるのです。
もちろん、それぞれの子によって興味のある分野というのがありますから、
そうした一シーンだけ捉えて、子どもを評価したり比べたりするのは問題が
あるのですが……。
そうした違いは、子どもの知力や個性の差から生じている面もあるのでしょうが、
自発的に動いてする体験の種類や質によるものが大きいように感じました。
たとえば、考えるカラスの映像を見て、
「実験してみたいから、○○ある?」とたずねてくる子は
これまでも「こんなことやってみたい」と言った時に準備してもらったことがある子なのです。
映像を見るという受動的な体験を自分でやってみるという能動的な体験に即座に
切り替えることができるのには、普段から、本を見たり、テレビを見たりして、
「面白いな、不思議だな」と思ったことは、すぐに試してみたり、
何かを見て感動した時にそれをブロックや紙で作ったことがある子たちなのです。
ただぼんやり画面を目で追うだけでなく、
「どうなるのかな?」「こうなんじゃない?」自分の頭で考えて、
さまざまなことを口にする子は、
それまでも何か思いついて口にすると、よく聞いてもらえたり、
それをきっかけに楽しい会話をした経験が豊富な子たちでもあります。