↑この写真の答えは間違っています。どこがおかしいか直感でわかりますか?
以前も紹介したことがあるのですが、『よみがえれ思考力』ジェーン・ハーリー 大修館書店の中に、就学前の「学習」環境の設定する研究にもとづいたガイドラインがしめされています。
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★ 六歳以前の子どもの仕事は、周りの世界を理解する方法を学習することであり、学習に関わる神経構造が関与しない意味のない教材を丸暗記させることではない。
★ 数や文字などの作業的レベルの学習課題を「教える」ようなワークブック、あるいはそれに類似した市販の「学習教材」を避ける。
★ 遊びの感覚的な側面は言葉でつなぎとめることができる。それはどんなに見え、聞こえ、嗅い、味がし、感じがするのかたずねる。
★黒板や塗り絵、粘土や砂、フィンガーペインティング、水、折り紙、のり、どろんこが子どもの感覚受容系を構造化し、さらに成功にさせる助けとなる遊びの素材である。
目を閉じて子どもの混沌とした頭の中で、ニューロンの樹状突起が枝を広げていくさまを思い浮かべてほしい。
(『よみがえれ思考力』から)
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子どもの思考力について研究している方々によると、早期教育には弊害が生まれるものと豊かな成長の土壌となるものの2タイプあるようです。
先に紹介したような就学前の「学習」環境の設定する研究にもとづいたガイドラインを目にしても、教えれば教えるだけ吸い取り紙のように覚えていく幼児を見ていると、
「早めにできるようになることが、それほど問題があるとは思えない」「たくさん知識があるのにこしたことはないのに、教えることに問題があると聞いても、ピンとこない」という方が多いのではないでしょうか。
わたしも何度も繰り返しブログでこの話題を取り上げてきたもののどうも伝えたいいとがきちんと伝わっているように思えずもやもやしていました。
そんな折り、受験業界でお仕事されながら3歳と1歳のお子さんを育てておられるあさがおさんのブログを読みました。
読んだ瞬間、「そうだー、私が考えていたことは、まさにそれ!」という一言が喉元まで‥‥‥(すいません、あまりに同じ感想だったので、あさがおさんの記事から言葉をそのまま拝借しています)
そこであさがおさんにお願いして、ブログで記事を紹介させていただくお許しをいただきました。
中学受験の算数について同僚と話していたあさがおさん。
ある一定のところからなかなか伸びず頭打ちになってしまう子と、そうでない子の違いは何か?
なぜ女子は(の多くが)ああも筆算が好きなのか?
工夫できるものは、筆算せずに解いた方がミス減るはずなのに。
それに筆算は機械的に計算できてしまうから、それに頼る癖がつくと、数字に対するセンスが磨かれなくなる‥‥‥などなど。
つまり、同僚の方々は、「筆算より計算の工夫をする方が楽だし応用が効くのに、何で頑なに筆算にこだわるのか」頭をかしげていたそうです。
そこで、「筆算好きな女子」の代表として、孤軍奮闘したという あさがおさん。
一度便利な道具(筆算)を手に入れて、汎用性があるとなれば、頼るようになるのは当然。
その道具に頼ることに慣れてから突然、「筆算せず、まずは計算を工夫してみろ」って言われても、それは「思考回路を一から組み立て直しなさい」、と言われているようなもの。
同僚の方々は、先に便利な道具を与えるから頼ってしまうのではないか‥‥‥と、学校で筆算を習う段階が、現状早すぎるのではないか?
習う前に、もっと計算の工夫というか、「具体」で数を扱う練習を沢山しないとダメなのではないか?
九九だって、暗唱を先にさせる前に、自らその法則性に気づけたかどうかでその後の伸びが大きく違う。
道具を先に与えてしまうことで、自ら気づいたり考えたりする機会が奪われてしまっているのでは。
と議論が深入りしていったその時、同僚の方がこんな言葉を口にしたそうです。
「教える早期教育には反対だけれど、気づかせる早期教育には大賛成。」
この言葉が、あさがおさんの心にストン!!と落ちてきましたそうですが‥‥‥
わたしの心にもストンと落ちてきました。本当に同感です。
「教える」教育と「気づかせる」教育のちがいとは、突き詰めていくと、「わかる喜び」のあるなしのちがいなのかもしれません。
今月の初めに算数難問研究部 1 算数難問研究部 2というレッスンの記事を書いた際に、青空学園数学科というブログの南海先生にホームページ上の言葉を転載させていただくことをお願いすると、
次のようなお返事をいただきました。
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前にも一度ブログで紹介いただきました.こちらはリンクも引用も自由です. むしろ引用いただいたことに感謝します. 高校生を見ていますと,人に聞く前にまず自分でわかるまで考えないと気がすまない生徒と, 途中ですぐに答を見てしまう生徒がいます. 前者の方が時間がかかっても必ず力が伸びるのです. この二つの傾向が,高校段階ではもうその人の考える態度としてある程度できています. もっと小さい頃に自分で考えわかる喜びを経験していれば, 記憶の中のその喜びに引かれて,高校になってもわかるまで考えるようになります. ですから小さい時の経験がたいへん重要だということを実感しています. 教える立場でいえば,それを引き出す指導は,なかなか難しいだろうと思います. 追伸:幼少時代に「わかった」という経験をすることが, 高校大学でどのように生きるのか,追跡調査もされると,ありがたいです. これからもよろしくお願いします. |
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文中の「人に聞く前にまず自分でわかるまで考えないと気がすまない生徒と途中ですぐ答えを見てしまう生徒がいて、この2つの傾向は、高校段階ではもうその人の考える態度としてできています。
もっと小さい頃に自分で考える喜びを経験していれば、記憶の中の喜びに引かれて、高校になってもわかるまで考えるようになります」という言葉に触れて、幼児や小学生に対する教育のあり方の大切さをしみじみと感じました。
「教える」のではなく「気づかせる」環境を与えて、自分で考え、「わかった!」という喜びをつかめるように子どもたちを支えていきたい、と強く思いました。
また、この時期の子育てについてたくさんの書籍がありますが、山のようにあり適切な情報を選択することは凄く難しいと感じています。ママ同士の口コミに踊らされているのが現実です。