King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

俵一俵の重さ

2013年05月31日 10時53分17秒 | 日々のこと
先日テレビドラマシリーズ『リベンジ』を見ていたところ
麻袋に入ったコーヒー豆が出てきました。いつもみなれた
麻袋ですが、中から出てきたのは煎られたコーヒー豆です。

麻袋にコーヒー豆は別に不思議でもなく日常的な絵でありながら
そこから煎られた豆が出てくるというのはとてつもなく違和感があります。

というのは普段我々が麻袋から取り出すのは生の豆で、この麻袋は
かつてはとても好きで憧れの的であったものですが、今ではやっかい
この上ない存在で、扱いにくいし重いし、豆はボロボロこぼれるし
本当に中身が重量分あるのか計るにもヘルスメーター以外家にはかる
機械もなしです。

この麻袋は国により、重量が違い、69Kのところや60Kのところと
これは宗主国のポンドの違いによるといわれています。

しかし、時はグローバル経済の時代であり、フランスが度量統一をいい
出したのはかなり大昔のことで、それが未だにキロやメートルが世界標準
とならずにポンドやヤードが堂々と流通しているという不思議な遺物です。

さて、そんな別々の単位に基づいていてもなぜか一日の単位と時間はほぼ
どこの国も共通となり、元々朝と夜が来て一日であったものが、原子の
電磁波から時間を測定して使っているのです。

時間だけは共有としたものの、荷単位のこの袋は60Kというのは多分人間が
荷揚げするときの限界重量に基づいているのではないでしょうか。

昔の米俵もほぼ60Kであり、今では機械で自動化されているとはいえ
最後の移動はどこでも人力による力仕事が伴います。

当店で言えば、表の通りから当店敷地内の路地から店内の倉庫までは
手運びです。

この麻袋はグニャグニャと動きつかみにくく豆はこぼれるしほこりまみれであり、
こんな汚いものに食品を入れて送る形態が未だに残っているというのが
不思議なのですが、それにまさか直接口に入る物を麻袋に入れて送っている
のをみるとなんという商売なのかと思ってしまいます。

しかし、国単位で物流を考えると麻袋で送られてきてそのうちの一つが港の
倉庫から直接こんな田舎の当店に送られてくるというのも何とも不思議な
思いが去来します。

これを袋に分けて小分けにして移動しやすくして保管します。

この麻袋は何と言っても実用一点パリで日本なら生産者から直接送られ
たにしろもっときれいで何かしら能書きが書かれたメッセージなどが添えられ
最後にありがとうございましたとか書かれたものがあるのが普通です。

しかし、本来物流とはこういうものという感じの無骨さがこの麻袋には
漂い、麻袋にペイントでのメッセージ以外何もなく袋の開け方もなしです。

コメ袋だと今ではどこでもビニール袋ですし、たまにある紙袋の二重の
ものにタコ糸のミシン縫いなんて包装もありますが、あれが30Kくらい
でしょうか。

60Kとなると紙やビニール袋ではもう無理なので未だに麻袋なのでしょう。

米俵は今では見かけないのに麻袋は生き残っているのもなんだか妙です。

多分100K単位で焼ける釜があるところでは、この麻袋が苦も無く自動で運ばれ
自動で処理され、100K単位で焼き豆も取引されているのでしょう。

何とも夢のような話のような気もします。

一単位200gの豆屋としてはいつかt単位の話をしてみたいものです。
コメント
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