大昔、貴乃花が横綱になることを提案されたとき横綱審議委員会は「盤石な取り組みになるまでもう一場所様子を見たい」と拒否しているのである。そこで貴乃花は大関据え置きのまま、次の場所も優勝して横綱になった経緯がある。それくらい横綱審議委員会の言は重い。
それなのに今回、この北村某委員長は、報道陣から「日馬富士の任命責任は?」の問いに対して、「我々(横審)は、土俵の上はみているが、私生活まではわからない。品格云々までを調べる手立てもないし調査する権限もない。(なので我々に任命責任などない)」と言い放った。完全に勘違いである。
今まで、横綱審議委員会というのは、力士を土俵上の強さだけではなく生活の態度や品格もあわせて横綱昇格を判断していたのではないのか?
こんな発言するということは「横綱になるかどうかの判断はただ土俵の上の強さだけでしているんですよ」ということを自ら公言してしまったことになる。暴言である。もしこれが暴言ではないとするなら明らかな責任逃れか認識不足である。
それなのに今回、この北村某委員長は、報道陣から「日馬富士の任命責任は?」の問いに対して、「我々(横審)は、土俵の上はみているが、私生活まではわからない。品格云々までを調べる手立てもないし調査する権限もない。(なので我々に任命責任などない)」と言い放った。完全に勘違いである。
今まで、横綱審議委員会というのは、力士を土俵上の強さだけではなく生活の態度や品格もあわせて横綱昇格を判断していたのではないのか?
こんな発言するということは「横綱になるかどうかの判断はただ土俵の上の強さだけでしているんですよ」ということを自ら公言してしまったことになる。暴言である。もしこれが暴言ではないとするなら明らかな責任逃れか認識不足である。