彼らの業務は上位官庁からの通知、通達などにて管理されている。自分が総務省関係の団体に非常勤で勤めていたころイヤというほど思い知らされた。彼らはこの通知、通達(いわゆる業務命令)によって動いており、それ以上も、それ以下の仕事もしなかった。現場が混乱したとしても、また結果が期待されたものでなかったとしても、次の業務命令がでるまでは世の中に不利益であるとわかっていてもその業務はそのまま続行された。つまりよかれと思っても業務命令以外のことをすると服務規程違反に問われかねないというのだ。我々医者なら個人の責任のもとですぐに軌道修正をする。ところがお役人はそれができないというのだ。きっと役所の窓口担当者もそうであろう。今、現在行なっている業務が非合理的かつ非経済的であっても、それを自分でかえて良くしようという業務などはありえないのである。では上席管理者がこの不合理を変えないのか? 答えはかえないのである。 「まあ自分が頑張って今の流れをかえると波風もたつので、まあ自分の在任中はおとなしくしておいたほうが無難」と考え管理者が何もしなくとも全く不思議ではないし、またその事なかれ主義が悪いとも言えない。以前記載したような自分の職種における「裏の医療哲学」のようなものなのかもしれない。
不思議に思うのだが「お役所のお仕事」は同じ業務であっても、自治体によってかなり簡略化されているところもあれば、旧態依然のまま数々のお作法が多いところもある。この差はなんであろうか? 通常の会社であれば、経費削減や業務簡略化などの企業努力をするのは当たり前である。先ほどの印肉を使った認印以外受け付けません、書き損じたら訂正印はだめです、すべて書き直して下さい、などというのも他の自治体ではすでに簡略化されて改善されているところもあるのである。つまり業務内容を変えようと思えば変えられるのである。穿った見方であるが、このような「書類のチェック専門担当者」というのがいて、この担当者の権益確保のため、現場の仕事をわざと簡略化しないのでは?とも考えてしまう。もっとも彼らの気持ちも分からないわけではない。市民と直接接しているので一番クレームがつけられやすいところでもある。ストレスは多いであろう。
案の定である。封筒の中身をみると、「誤った記載ですのでまたすべて書き直してください」とのことであった。こんな手紙のやりとりをしているだけで消費税分以上の通信費は掛かっている。しかも消費税代はいらないといっているにもかかわらず、「ゼニカネの問題じゃない、お作法が違うので書き直せ」といっているのである。こちらは手間ひまかけて、そして通信費までかけて消費税代をほしいとは思わない。ここのお作法が全国共通ならまだ許せるが、まさにゴルフ場ごとのローカル・ルールなのである。「ここのゴルフ場でゴルフをやるなら(うちの市に請求書を書くなら)、うちのルールに従わないといかんのだぞ」と言われているようなものである。まさにお役所のお仕事なのである。これを改善するだけで所内での仕事量も減るし人件費も減るし経費削減になると思うのだが・・・。先進的な自治体ではどんどん業務削減している行政機関はいくらでもある。なんともお役所のお仕事における天然記念物的病理を見た思いである・・・。
そして氏名の欄の認印は必ず印肉による押印にし、シャチハタの使用は厳禁だそうだ。パソコンで判子が押せる時代に、シャチハタはダメで印肉を用いた認印を使えとは、まるで天然記念物保護でも推進しているかのようだ。今では自署すれば押印はいらないという時代である。人生の終焉を証明する重要な死亡診断書であっても、医師の自署があれば押印は不要である。まるでカブトガニの保護、育成でもしてるのかとあきれ果てながら書いていたら、やはりこのお作法を間違えた。文書料に消費税を加えるのを忘れて書き込んでしまったのである。書き直しは無効ということなので、「消費税分は要りません」とメモ書きをつけ、「このことに関する電話連絡も問い合わせも不要です」とまで付け加え同封した。そしてしばらくして、そこの介護保険課からうちに封筒が届いた。たぶんまた「お役所のお仕事」なのかと嫌な予感がした。
ここで自分がゴネて意見書の記載が遅れれば介護認定も遅れ、結局患者さんの不利益につながるのでグッと我慢なのである。「そーなんですよ、先生の意見書が遅れているので・・・」と役所から患者家族に言われてしまえば、どうあがいても自分が悪者になる構図である。さて、このK市からの意見書をかいて郵送した。そしてしばらくしてそこの介護保険課から意見書の文書料を払うから請求書をかいて送れとの連絡がきた。この文書料の受け取りに関しても自治体によって千差万別である。とにかく面倒くさいことこの上ない。こんな面倒するなら文書料はいらないくらいである。請求書の書式が同封されておりそれに記載して返送しろというものである。内容(書き方のお作法)をみて仰天した。まず文書料に消費税を加算して請求しろと言うのであるが、内訳と合計請求金額を書き込むのである。面倒である。しかもここの欄は「書き損じた場合、修正液の使用、あるいは二重線+訂正印など一切の書き直しは無効」とある。ならば書き損じた場合の予備の書式は?・・・同封されていない。
最近のことである。近所に住むおかかりの高齢の方が、近々某県のK市に転出して今後はそちらの市で介護保険を受けたいとのこと。後日、同市から介護保険の医師意見書記載の依頼状が送られてきた。これに患者さんの現在の状態を記載すると、これが認定会議での資料になるわけである。まあ医師意見書のフォーマットはどこの地区でもほぼ同じではあるが、これの書き方は自治体によって細かく「お作法」が異なるのである。<msnctyst w:st="on" address="豊島区" addresslist="13:東京都豊島区;"></msnctyst>豊島区でOKでも、市(区)によっては「ここの部分を書き直してください」などと送り返されてくる。これが実に鬱陶しくて不愉快なのである。逐一細かく患者さんの内容を書いても、内容ではなく、書き方やお作法が違うとダメなのである。これは実務的ではないと思うのだが、あちら側では書かれている内容ではなく、やはり自分の所で決めた方式に則った書き方でないと受け付けないのである。今まで証明書などもゴマンとかいた。病状診断書や死亡診断書などで書きなおしさせられたことはない。しかしこの書類は平気で書き直しを要求してくるのである。
巣鴨駅前に、ある宗教団体の大きな講堂がある。確か大昔、救急医時代に自分はここの講堂に冠名のついた方の奥様の診療を担当した記憶がある。それはそれとして、ここの講堂では休みの日などに何かしらのイベントがあるらしく大勢の人たちが駅からこの講堂に集まってくる。そこでいつも感心するのは、きちんと数名の係りの人が路上に出て、その集団の交通整理や誘導を行っているのである。自分が駅まで行くときは歩道はいつも大勢の人と直面するのであるが、特に信号のところでの彼らの誘導はありがたいものである。一旦路上に出てしまえば、これら集団の行動は各々個人の責任の下で行われるので特に交通整理や誘導は行われなくてもよいはずである。しかしこのようにきちんと誘導が行われて、一般の歩行者の通行の妨げにならないよう配慮してくれることはありがたい。寒さ厳しき折、このインフルエンザが流行している中、誘導されている方が風邪などひかぬよう。
子供の場合もそうであるが状況を補完説明できる人が一緒だとありがたい。子供の外傷の場合では、病院へ付き添いでくるのは現場にいた人ではなく祖父母がくることも多い。何を聞いても「は?わかりません。しりません。ここには付き添いで行ってくれと言われたものですから」とこちらの話が通じず困ることが多い。いろいろと付き添いの祖父母に根掘り葉掘り聞くと彼らも知らないものだから、つい「ほら、どうなんだい? どういう事故だったのか自分の口から説明しなさいよ」と、たかだか4~5歳くらいの患児に促すのである。だいたい自分の症状をきちんと人にわかるように説明できるようになるには10歳くらいにならないと無理である。大人だって前述のように脳震盪の有無ですら自分でははっきり説明できない人もいるのである。そんな無理難題を言われても患児だって困ってしまう。そしてもっと困ってしまうのは我々である。とりあえず一緒にいるだけという感じであるが、あまりいろいろきくと困り果てたあげく、突然「あ 待ってくださいね。いま母親に聞いてみますから」と診察室でいきなり携帯をかけ始めることがある。まー一応うちもクリニックとはいえ医療機関なんですから診察室内での携帯電話はちょっと・・・(困)。