吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています

店員のアニメ声 その4

2016年04月11日 05時42分22秒 | 日記
 そういえば今はスーパーにとって代わってしまったが、昔は八百屋や魚屋の店先で威勢のいい店員さんが呼び込みをしていた。
 「はい、安いよ、安いよ、今日はこんな活きのいいアジが一山、○○円だぁ~」と低音のダミ声で道行く人に声をかけていた。
 確かにそういえば、この声だって遠達性に優れている。雑踏の声の中に埋もれていないのである。そしてこれら店員さんの普段の話し声はダミ声ではないので、この声も営業用に作られた声なのである。
 しかし何故これらに違和感を覚えなかったかというと彼らの風貌とダミ声はマッチしていたからである。

 今でもアメ横に行くとこれら声が懐かしく聞こえる。巣鴨のとげぬき地蔵の縁日をみて育った自分にとって、昔の茶碗売り、ガマの油売り、バナナのたたき売りなどの啖呵売のダミ声はなつかしい。でも今ではあまり聞かれなくなった。

 さて果たしてこれからこのアニメ声は、女性店員の接客時のスタンダードになるのであろうか? 今後の進展状況がみものである。

でもまさかアニメ声通り越してダミ声にはならないと思うのであるがwww(爆)。

店員のアニメ声 その3

2016年04月09日 05時49分09秒 | 日記
 先日、ある用事で某病院へいった。事務的な用事である。
 外来患者さんも多いためか病院の事務職員もそこそこ多かった。自分がその病院に入った途端、待合室の患者による話し声に負けないくらいの通る声で、事務職員からのおはようございますという複数の声がかかった。とても活気のある病院である。
 ところが挨拶声の中に、一つだけ「・・・ぃまあぁぁぁぁぁ・・・・ 」といった語尾を不必要にまで伸ばしたアニメ声があったのである。たぶん前後関係やその時の状況から「挨拶したんだな」とは理解できるが、でもはっきりとした言葉は届かなかった。
 そして御多分に漏れず不必要に伸ばされた語尾は会話空間に母音の「ぁ」のみ残したたままで居心地が悪かった。

 もともと発信者の風貌とアニメ声の不一致さに違和感を覚えていた自分である。これがショップや飲食店でなら違和感のみでまだいいが、ここは病院の受付である。
 病院の受付はショップの店頭ではない。この「アニメ声+語尾強調」話法を格調低いとは言わないが、でも病院やホテルの受付などでは不釣合いと思うのは自分だけであろうか?

店員のアニメ声 その2

2016年04月08日 05時34分05秒 | 日記
 確かに甲高いアニメ声と語尾を伸ばした喋り方は、雑踏の中や大人数の会話の中ででは埋もれることはなく声が通る。そしてハイトーンの声は低い声で話すよりも聞いていて親近感を感じやすいというのだ。
 これはもしそれが目的であるなら当初の目的は達成したことになる。

 しかし自分としてはどうもわざとらしく感じて親近感どころか居心地が悪くなるのである。なぜならアニメ声の発生元は目の大きさが顔の1/3くらいはある可愛らしい女の子キャラクターであることを連想してしまうからであろう。
 この声を発する店員さんは、時にそのアニメキャラクターと合致することもある。しかし「こともある」くらいの確率であり、多くはアニメ声と発生元の風貌にはかなりのギャップがあり、強い違和感を覚えてしまうのである(失礼とは存じますが)。

 これがありとあらゆる女性店員のスタンダードになり、世の中のすべての店にまで浸透してしまえば、自分も馴れてしまい違和感を覚えなくなってしまうのであろうが、でも現時点ではなにやら、とにかく「気持ちが悪い」のである。

店員のアニメ声 その1

2016年04月07日 05時53分10秒 | 日記
 最近、気になるのが色々なショップや飲食店の女性店員の声なのである。なんだかアニメのキャラクターのようなハイトーンの声である。これは自分には少しばかり癇に障るような甲高い声なのだ。そしてもう一つの特徴は語尾を伸ばし引き摺っているよう喋り方なのである。例えば「いらっしゃいませえぇーーーーー」だとか「ありがとうございましたあぁーーーーー」である。しかしどうもその伸ばされた語尾が「会話空間」を占拠しているような感じがして違和感を覚えるのである。
 そして声色であるが、彼女たちは普段の会話ではアニメ声を出していない。つまりこの声色や喋り方は作られたものであるが、その目的は雑踏や大人数の空間の中で自分の声が埋もれないようにするためのものであるらしい。企業研修でも新人に、声が通るようにとボイストレーニングを行うというのだが、もしそれがこれらの「女性店員総アニメ声化」の原因だとしたら少々気持ちが悪い。なんだかどこを切っても同じ顔が出てくる金太郎飴を連想する。

大腸内視鏡検査 その3

2016年04月06日 05時42分26秒 | 日記
 ところが、不謹慎にも自分の心中は「ほっ、(ああよかった)」とした安堵の気持ちが横切ったのである。これはたぶん「自分のところで重大疾患(進行がん)を見逃さなくてよかった」という思考背景なのであろう。でも患者さんにとってはよかったなどと言うものではない。

 たまに「となりの区の〇〇開業医では大丈夫っていわれたんですよね」と、自分のクリニックで何か疾患が見つかった患者さんから言われることがある。もちろんその開業医がどんな検査をしてどう判断したのかはこちらでは知る由もない。あえて他医に関してのコメントはいつもしない。
 しかし、・・・ということは、こちらで何か疾患を見落として、その患者さんが他院に行って「吉田のところでは何も言われなかった。あいつは藪だ」と言っている可能性もあるのである。
 まあ人にどう言われているのか、あるいは患者にどう評価さているのかを気にしながら消極的かつpassiveな動機で医療に取り組んではいけないと思っている。自分の診断知識や診断能力、技術を日々磨いていくことに腐心することのほうが重要と思うのであるが・・・。
 でも気になるな・・。

大腸内視鏡検査 その2

2016年04月05日 06時15分51秒 | 日記
 せんだって時々昔からお見えになる患者さんが「血便が最近出るのだが」ということでお見えになった。
 患者さんは血便とおっしゃるが痔からの出血のことも多いし、あるいは上部消化管からの下血の場合もあるのでよく話をきかないと間違えることがある。しかしよく聞いても本当に血便のようである。

 数日後に大腸カメラを施行したが悪い予感は的中した。やはり大腸癌であった。しかも早期のものではない。もし毎年区の便潜血検診を毎年受けていただけていたら早期の段階で見つかったかもしれない。今回進行したものだったので残念である。
 進行がんの場合、5年生存率という問題もからんでくる。もちろん早い発見のほうが当然いいのである。

 自分の気持ちとしては「ああ、もっと早く発見していたらよかったのに」「今後どうすれば早期発見につながるだろうか?」と落胆と反省の念に駆られなければいけないのである。それが第一線で働く臨床医のあるべき反応なのである。しかし・・・。

大腸内視鏡検査 その1

2016年04月04日 05時50分01秒 | 日記
 開業する時に胃カメラを導入する予定ではいたが、大腸カメラをどうしようか悩んでいた。
 開業前、この前書いたマラソン男のN先生に言われたのであるが
「大腸内視鏡検査好きなんでしょう? 開業したらつまらんことばかりだから、好きなものを趣味としてやったら~」といわれたので踏ん切りがついた。

 というわけで大腸内視鏡を導入して9年目になる。
 せっかく習得してきた技術ではあったが導入には結構な経費が掛かる。そこで悩んだのであるのだが結局のところ赤字覚悟で導入した。

 今も大腸内視鏡検査は続けているが、確かに導入時のローンを返すまでの検査件数には至っていない。でも大腸がんを何例も見つけているので、この検査を導入してよかったと思っている。
 思いのほか、忘れた頃に大腸がんの患者さんがやってくる。手軽にちょっとやりましょうという検査ではないので躊躇することもあるが、いやいやどんどんやったほうがいいのかもしれない。
 しかし本音をいえば、まず医師会の大腸がん便潜血反応検査を毎年受けてほしいのだが。

秋篠宮眞子さま 学芸員に

2016年04月02日 05時40分23秒 | 日記
 眞子さまは4月1日付で、東京大学総合研究博物館の特任研究員に就任されたとのこと。博物館側の公募に眞子さまが応募されました。公務の合間を縫って週に3回ほど生物の標本などを研究され給与も支払われる。眞子さまはイギリス留学で博物館学の修士号を取り、去年11月からこの博物館の客員研究員を務められていた。

 皇室関係の記事は実に心温まる。ただ少し引っかかったのは「公募で応募」したとのこと。
 もちろん留学して修士を取得されているので実力的には問題があるはずがない。しかし何故「公募に応募」する必要があるのか? 
博物館側もまさか落とすわけにもいかないだろう。落とすはずのない入職をいかにも一般公募で通ってきたという形をつくるのがわざとらしいと思う。
最初から入職すると決まっていれば、そんな「手続き」は省略し最初から「採用いたしました」とのみ発表すればよいのだ。

「公募で採用された」ということの裏には、公募で応募してきた一般市民もいるわけで、そのうち一人は陰で不採用になっているのである。競争相手が眞子さまと最初からわかっていれば、おそらくその他の応募者は、自分はだめだろうと応募はしなかったと思う。

博物館側のいかにも「公平にやりました」「皇室も一般と同じですよ」というようなわざとらしいポーズには極めて違和感を覚える。「皇室は皇室」なのである。一般市民とは別枠でいいのだ。だから博物館側のこんなあざといやり方にはちょっとイラッとした。

今日より4月

2016年04月01日 05時34分16秒 | 日記
 今日から4月、新年度になりました。
 だいたい、いつもこの日が来ると「早いもので・・」とか「桜の花も・・」とかの話題になる。

 今年は2年に1回の保険診療点数改正のスタートなのである。そしていつも書く枕詞なのであるが、「どこが改正?」なのだと同じようにまた書いてしまう。「改正」ではなく「改悪」だろうと悪態をつきたくなるような点数締め付けじゃないかといつも感じてしまうのである。

 昔は「医者は経済的なことは一切考えないでいい、そんなことを考えている暇があったら勉強しろ、研鑽を積め、医学論文を読め、研究しろ、そして身を粉にして患者に尽くせ」と言われていた。そんな「いい」時代もあったらしい。

 自分が開業する9年前、開業準備の講習会に出席したが、そこで税理士さんの講演で「医師も今では経営ノウハウ、経営戦略をきちんとたてないと開業してもつぶれる時代になってきました」と教えられた。
 「なんだそんな話がいまでは必要なのか? じゃあ学生の時ににも経営戦略の講義が必要なんじゃないか」とふっと思った次第である。

 さて新しくなった「診療報酬点数表」表紙を今一度見直した。
 えっ? 「改正」なんて文字は一つもない。すべて「改定」という文言だった。
 ずっと自分も思い違いだったのである・・・。何ともはや・・・。