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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

【フォトエッセイ】映画・散策・「外堀カツ」

2007-12-05 18:00:12 | フォトエッセイ
 初冬のうららかな日、名古屋パルコの上にあるセンチュリーシネマで、『転々』という映画を観た。
 実は、好きな俳優のオダギリジョー小泉今日子が出ているというので行ったのだが、驚いたのは三浦友和が完全に化けていたことである。
 エッ、エッ、エッ、これが友和?私から山口百恵を奪い、テレビでは賢げな顔をした刑事かなんかを演じているあの友和?
 オダギリジョーもキョンキョンも食ってるじゃん!友和の演じるキャラクターでこの映画がもってるじゃん!映画も結構面白い。へんにこまごまと、あるいは小賢しく状況を説明しないところがいい。
 嬉しい発見であった。

 
        エンゼルパークからTV塔を臨む

 こんな映画のあとに、即、現実に戻るには惜しいではないか。だから歩くことにした。
 パルコを出て東側に、エンゼルパークという公園がある。
 公園といっても、南北に走る道路に挟まれた広い中央分離帯のような箇所である。
 名古屋の、ほぼ、ど真ん中であり、車の喧噪や人の行き交いも忙しく決して静かな空間とは言い難いが、なぜか不思議に落ち着くのだ。どうしてだろうか。

 

 この辺りは、TV塔ができると同時に整備が始まった。約半世紀前、私の学生時代である。その頃はまだ、土砂がそのまま露呈している部分もあり、殺伐としていた。
 しかし、私と同時代に学生生活を過ごした人のかなりの部分が、ここに関する想い出を共有しているはずである。

 

 というのは、往時は政治の季節であり、学生層がそうした政治課題に積極的にコミットしていたから、何かがあるとデモ行進をした。その折の集合地点や解散地点がこの辺りであったのだ。
 先程述べたように、その頃は幾分殺伐としていたのだが、それはあながち私の心象風景のせいばかりではない。

 

 殺伐とした状景が落ち着いたものに変わったことについては何が違ってきたのだろうかをTV塔に向かって、つまり南から北に向かって歩きながら考えた。
 思い当たったことのひとつは、あの頃植えられた樹木が生長し、緑が確実に増えているということである。写真で見るように、樹木のグリーンベルトが、街の喧噪を和らげている。そしてそれが、名古屋駅前などの機能一辺倒の街並みとは違う点なのだ。

 

 そんなことを考えながら、フラフラ散策し、お目当てのTV塔まで辿り着いた。そして、その直下のカフェテラスでコーヒーなど飲んだのだが、実は、その後、もう少し先まで歩いたのだった。
 もう、陽が傾いていたのでそこから先の写真はない。
 TV塔を過ぎるとセントラルパークと名前を変える。そしてこの広大な中央分離帯は、名古屋城の外堀にぶつかって終わるのだが、その辺りには想い出がある。

 
      キーボードとボーカルの街頭ミュージシャン
 
 実は、名古屋城の敷地内に私が行っていた大学の学部があり、その近くには、いろいろな大学の学生が集まった名古屋学生会館という寮のようなものがあった。東京でいえば、かつての九段の学生会館である。
 その辺りにたむろしていた私たちは、近隣の安い飲み屋を見つけては飲みに出かけた。その店は、さきに述べた私の散策の終点近くにあった。
 外堀の近くにあったので、その名も「外堀カツ」。

 
左手に見える観覧車。都心のそれで話題になったが、乗ったことはない。一緒に乗ってくれる相手募集中(ただし、女性に限定)。

 お目当ては、一杯何十円かの燗酒と一本五円の串カツであった。それと、食べ放題のキャベツの角切りも加えねばなるまい。
 「外堀カツ」というぐらいだから、トンカツもあったのかも知れないが、私たちのターゲットはもっぱら五円の串カツとただのキャベツであった。

 
   右手、せいの高いのがNHK名古屋、低い方が愛知芸術文化センター

 この串カツが語りぐさである。竹串に、ミミズのような肉がらせん状に巻かれ、その外に分厚いメリケン粉とパン粉のころもが付いているといった代物なのだ。
 これを巧く食するには、技術が要った。お上品にやんわりかぶりつくと、ころもだけが口中に入り、肉は竹串にしがみついたままなのだ。

 
              TV塔近くの噴水
 
 だから、前歯でガキッと串に当たるまで噛み込み、しかる後、キッと肉を噛みきって、クイッと串を抜くのである。そうすると、ころもとそれに相当する肉とが口中に残る仕掛けである。
 私はそれを、二回目に行ったときに会得した。
 当時は、「親父、今日のミミズは固いな」などと皮肉めいたことを言ったりしたが、今にして思うと、いくら当時でも五円は破格であり、その企業努力は称賛に値する
 おかげで、どっかに金が落ちていないかとうつむいて歩いていた私のような者にも、串カツという代物が食えたのだった。

 この店、親父とかみさんの二人だけの店であったが、結構夜遅くまでやっていた。しかし、親父は飲み過ぎや酔っぱらいには厳格であった。限度を越えていると判断したら、もう酒は出さなかった。かくいう私も、アウトを宣告されたことがある。
 ある時、どこかの野暮天がアウトの宣告を無視し、金ならあるから飲ませてくれと訴えたことがあった。
 親父曰く、「そんなに金が要らんのなら、金だけ置いてとっとと帰れ」。これには感服した。

 初冬の散歩の報告のつもりが、思わぬ懐古談になってしまった。
 半世紀前、まだ、私が紅顔の美少年だったころの想い出である。


コメント (2)
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