わが岐阜県にも非常事態宣言とやらで、もとよりの蟄居が一層引き伸ばされることになった。そんなことで、行動範囲がこれまでになく狭くなったこともあって、もっぱら食いものの話が多くなる。
食いものの話でも、なにかウンチクがあったり、警世的な話でも書くことができればいいのだが、それだけの才能も蓄積もない。ただ受動的かつ単純に、美味いとか不味いとか表層的なことしか書けない。今回もほとんどそうである。
■親しい方から、ご自宅で採れたレモンを頂いた。この辺で見かけるものより二回りほども大きい逞しいレモンだ。豊かな酸味と爽やかな香りが実いっぱいに詰まっているのは以前に頂いた折の経験でじゅうぶん承知してる。
どうやって調理に生かすのかをいろいろ空想してみるのも楽しい。ものが檸檬だけに、腔中に唾が湧く。
食すにとどまらないイメージはないものかと、しばらく眺めながら空想の矢を飛ばすが、呆れるほど決まった着地点にしか届かない。
その一つはお決まりの梶井基次郎の小説『檸檬』だ。
主人公「私」はうつ気味で(この頃の小説家というのは鬱がトレンド?)、京都の街をさまようなかで一個のレモンと出会う。
「いったい私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった紡錘形の恰好も。――結局私はそれを一つだけ買うことにした。それからの私はどこへどう歩いたのだろう。私は長い間街を歩いていた。始終私の心を圧えつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛んで来たとみえて、私は街の上で非常に幸福であった」
「丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう」
丸善の本棚で檸檬が爆発するとは空想にしても物騒な話だ。器物損壊罪、もしくは周辺の人がケガでもしたら傷害罪に問われそうだ。
もっと無邪気な連想としては、ザ・ピーナッツの「レモンのキッス」(1962年)があった。
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当時は知らなかったが、この曲、ナンシー・シナトラ(フランク・シナトラの娘)の「Like I Do」のカバー曲とのこと。
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■おまけ
2,3日前につけた小カブラが塩加減もよく、うまく漬かった。
ただし、写真ではわかりにくいかもしれないが、多少ぬめりっぽい感じである。原因は昆布の入れすぎ。
この昆布、昨年末、行きつけの業務店向けの店で、形も大きさもデタラメの切り落としの半端物を買ったのだが、昆布そのものは肉厚で品質がよく、去年まで使っていた薄っぺらいものとはまったく違うのだ。
それを入れすぎたため(といっても数センチ角のものを細かく刻んで入れたのみ)多少のぬめりが出てしまったが、漬けものそのものの味はとてもいい。
並行して漬けた白菜がうまく浸かるといいのだが。
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