こんな美しい文字での招待をもらったのはまだ春浅い頃であったろうか。内容は、写真家・河合隆當氏の四季の写真を観て、句や歌を読むという企画で、予めその写真が同封されていて、参加者は作品(三句、または三首)を持ち寄り、出席者の互選によって優劣を決めようという「写真を詠む会」というものだ。
私についていえば、この歳になるまで俳句も短歌もまったく経験がない初心者であるが、呼びかけ人の書道家・佐治墨拙氏が、現在所属している同人誌の、その前の同人誌の、さらにその前、私も所属していた雑誌の編集長であったことから、その当時の仲間にひさびさに(ということは十数年ぶりに)逢えるということで、参加を決意した。
当初は、このコロナ禍のなか、6月26日の開催も危ぶまれたが、幸い、20日に、愛知県の非常事態宣言も解除され、岐阜からの移動もさほど遠慮しなくても済む状況になった。会場は名古屋一の公園、鶴舞公園内の一画にある1928(昭和3)年に建てられた茶席会場風の木造建築、鶴々亭で、密を避けるため10人の出席者で行われた。ここに、和風の建築物があることは知ってはいたが、中に入るのは初めてである。
そういえば、名古屋へ出るのは三月末の同人誌の編集会議以来だから三ヶ月ぶりとなる。鶴舞公園へは三年ぶりぐらいだろうか。会場に入る前、少し早めに着いたので、広い公園のほんの一部だけだが散策してみた。やはり、緑の木立はいい。近くのグランドが賑々しいので寄ってみたら、小さなサッカー選手たちが出番を待っていた。その喧騒をよそにのんびり新聞を読んでいる人もいる。
会場に入る。なかなか趣のある建物だ。呼びかけ人の佐治さんを始め、知っている人は半分ぐらい。一〇人のうち女性は四人だった。
以下に課題となっていた写真家・河合氏の四季の写真を載せるが、もともと、彼の写真を普通紙にプリントしたものが配られていて、さらにそれをスキャンしたので、これをもって氏の写真と決めつけないでほしい。
私は、この、夏と秋、冬の写真にそれぞれ短歌を付けたが、やはり、あまり高い評価はもらえなかった。むろん、初心者のデビュー作のようなものだから致し方ないだろう。しかし、相互の作品評、作者の解説などなどは面白く、いろいろ勉強させて頂いた。
途中、弁当が出て、飲み物は各自持参ということで、缶ビールやワインをもってきた人もいたが、私は和風の催しに合わせ、岐阜は飛騨古川の渡辺酒造、「蓬莱」の300ml を保冷剤とともに持参した。
その弁当であるが、これはたぶん、出席者で私の旧知の仲、高野史枝さん(放送作家やエッセイストであり、映画評論に造詣が深かったが、それが高じて自分が監督の映画を作ってしまった。かつての雑誌で、「女と男の散歩道」というエッセイ欄を私と一緒に担当していた)のお連れ合いの作だと思うが、これがとても美味しかった。会費からみて、それほどの値を支払っていないと思うので、これはというような素材は使われていないのだが、にもかかわらず、その一品一品が、どれも品位のある味付けで、私の舌や食感に充分フィットし、満足させるものであった。
最後に、あまり評価されなかった愚作を載せておこう。やっぱりまだまだだなぁ。
*夏の写真に
幸求めカール・ブッセの越えし山想いとどむる白雲の峰
カール・ブッセの「山のあなたの空遠く・・・・」を下敷きに
*秋の写真に
巣ごもりに備ふかそけき獣(けもの)らの気配漂う錦秋の森
*冬の写真に
ひと椀の末期(まつご)の淡雪所望するトシと賢治の「永訣の朝」
宮沢賢治の妹トシの最期「あめゆじゅ とてちて けんじゃ」を連想して
短歌に一家言ある方、どうか手直し、添削、その他評価などお願いいたします。
歌は全く素人ですが、よく聞く先生方の評をパクるか又はあまりパクれてもいないのかもしれませんが、率直に感想を書かせていただきますと、どの歌も言葉を多く入れ過ぎなのではないでしょうか。
夏:カ-ル・ブッセといえば、幸せは連想されます。
秋:「錦秋の森」はなくてもいいように思います。
冬:「賢治の永訣の朝」も省略できるのではないかと。そのかわり「とてきてけんじゃ」だけ入れるというのはどうなのでしょう。
わたしの評に対する評は欲しいのですが、このコメントは決して反映されませんよう、しっかり鍵をしてください。よろしくお願い致します。失礼しました。
書家の墨拙さんは70代の男性ですが、とても優雅な線が特徴です。
反面、けっこう冒険家で、紙そのものを紙の素材ではないものから漉いて、それに乗せる文字の風合いそのものを作品にしたり、鏡文字や左手の文字を作品化したりもしています。
私の歌へのご講評、ありがとうございます。言葉が多すぎるという点とても納得できます。
いつも評論的なものを書いているせいもあって、つい、説明調になってしまうのですね。
詩歌は説明ではなくて感動の表出だという基本に立ち返って勉強いたします。