『ニッケル・ボーイズ』とはアメリカの作家、コルソン・ホワイトヘッドの最新作である。いまなお、目を閉じることはできない、アメリカの暗黒面をえぐり出しているのだが、ルポ風の硬さはなく、そのストーリー展開が巧みで、ついつい読み進むこととなる。
主人公、エルウッド・カーティスは、1960年代前半、アメリカ南部に暮らすアフリカ系アメリカ人の高校生で、黒人は人間扱いされない南部の現実を目の当たりにしながらも、折からの公民権運動の広がりと高まりに期待をもっている。
そんなエルウッドにとっては、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の演説集のレコードが聖典のようなもので、くり返しそれを聴きながら牧師の夢(演説の表題「私には夢がある」)と自分のそれを重ね合わせてゆくのだが、同時に自立した市民として生きてゆくためのモラルもそこから学んでゆく。
真面目に学ぶエルウッドの努力は報われ、地元大学の授業を体験学習できるメンバーに選ばれる。その初日、貧しい彼は交通費を節約するため、その大学のある街までヒッチハイクを試みる。しかし、ほとんどが白人のドライバーは薄汚い黒ん坊には見向きもしない。
やっときた黒人のドライバーに彼は拾われる。さあ、希望の大学への道へとまっしぐらだ。
しかしである、彼らを乗せたその車はやがて警察のパトロールにひっかかり、逮捕されてしまう。なんとその車は盗難車で、エルウッドもまたその共犯として逮捕されてしまうのだ。いくら無実をいいたてても哀れな黒人少年の言葉に耳を貸すものはいない。
貧しく、差別されながらも、一途な夢をもって進んできた彼の人生は一挙に暗転し、少年院、ニッケル校に収容されることとなる。
小説は、このニッケル校を主な舞台にするが、タイトルの『NICKEL BOYS ニッケル・ボーイズ』はここで暮らす少年たちの総称である。
小説の大部分はこのニッケルのありようの描写にある。
そこは学校とは名ばかりで、あらゆる収容所の機能を備えている。そう、スターリンの、そしてヒトラーの拷問室と強制収容所のほとんどの機能をもっているのだ。もちろん、虐殺の機能も。
物語は、主人公とそこで知り合った少しシニカルな友人、ターナーとの関係、そしてその二人の脱出行へと至る。エピローグに至ってエッと驚くようなどんでん返しが用意されているが、物語の基調が変わるようなことはない。
私が驚愕したのは、この話がフィクションではなく、今世紀になってやっと明るみに出た事実に基づくものであり、タイトルにもなっているニッケル校のモデルはちゃんと実在したということである。というより、その事実による衝撃こそが作者にこれを書かしめたということである。
ニッケル校のモデルとなったフロリダ州の少年院ドジアー男子校
例えば、ホワイトハウスと呼ばれる拷問室や処罰室は実際に存在したし、少なからぬ生徒が、管理者に呼ばれたまま居室に再び帰らなかった事実があり、それら少年の遺骨とみられる複数のものが、正規の墓地以外の、校内にある沼地から発見されている。この小説の中でも、それらしく「消された」少年の話が出てくる。
もうひとつの驚きは、この野蛮な出来ごとに登場する少年たちは私より数歳年少であり、既に述べたようにこの物語は、私がすでに成人した1960年代の中頃から後半に至るものだということだ。
周知のように1945年、アメリカは占領軍として日本へやってきて、基本的人権や民主主義を説いた。しかし、その20年後に至っても、黒人を人間扱いしない制度が機能していたのだ。
彼らが説いた基本的人権、民主主義は、実は「白人の白人による白人のための民主主義」に過ぎなかったのだ。
そんなことに今更驚くのはナイーヴすぎるかもしれない。近年のBML(ブラック・ライヴズ・マター)を始め、昨今のアジア系を狙ったテロルにおいても、白人中心主義は根強く生き残っているからだ。
さらに私たちは知っている。そのくすぶっている火種を、トランプが引っ掻き回し、その復権を促したことも。バイデン政権が、そうしたアメリカ社会に内在する深い亀裂を、どのように繕うのか、今のところ不明である。
そうした時代背景をある程度知っておく必要はあるが、この小説はエンタメとしても一級品である。
エピローグで明かされる主人公・エルウッドのその後は、あまりにも切なく哀しい。
私たちが当然のように享受している諸権利は、特定の時代の特定の場所での産物にしか過ぎず、いまなおそれが付与されていない場所やシチュエーションがこの国をも含めた世界中に遍在していることを知るべきであろう。
キング牧師の夢は、いまなお人びとの夢であり続け、それが一応実現したかに見える箇所においても、それは不断の努力においてのみかろうじて保たれているのだという事実を肝に命ずべきだろう。
ほら、耳をすませば聞こえるではないか。女性は、貧しき者は、障害をもつ者は、在日は、「わきまえる」ことによってのみその生存が許されるのだぞという通奏低音のように響き続けているあの囁きが・・・・。
*『ニッケル・ボーイズ』 コルソン・ホワイトヘッド 藤井光:訳 早川書房
なお、ホワイトヘッドはこの書で自身二度目のピュリッツァー章を受賞している。