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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

今回がはじめてではない 「解釈改憲」の歴史

2014-07-02 17:50:16 | 社会評論
 いわゆる「解釈改憲」で集団的自衛権が容認されました。
 自民党創価学会支部(=公明党)との、慎重審議という茶番劇のおまけ付きでしたね。一方、純然たる自民支持者の中でも、あるいは、集団的自衛権そのものには賛意をもっていながらも、今回のやり口の危険性に警鐘を鳴らしたひとはたくさんいました。この手口でいったら、憲法はあってなきがごとくになるのだからその政治的立場はともかく、法治国家としての憲政を是とする人たちにとっては当然な危惧だろうと思います。
 
 ところで、今回の事態に対し、メディアはわが国憲政史上のター二ンング・ポイントだと指摘していますが、上記で見たように確かにそれはそのとおりだといえます。
 ただし、私のように敗戦時に国民学校一年生で、憲法に寄り添って生きてきた世代にとっては、解釈によって憲法が蹂躙されたのは今回がはじめてではないことを十分知っています。むしろ、過去の解釈改憲が繰り返されてきた結果として、あるいはそれを前提として今回のそれがあることに思いを馳せざるを得ないのです。

 憲法解釈は、ほかにもヤバイ点がかなりありますが、とりあえず九条に絞ってみてみましょう。

          

 九条はこう書いています。

*第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 
 つづめていえば、第一項は国際紛争の解決に武力をもちいないということであり、第二項はそのための戦力は持たないし交戦権も認めないということです。

 ここまでお読みになって、感の良い方は、「ん?もうすでにして現状とは違うのではないか」とお思いのことでしょう。
 「戦力」を持たないはずのこの国は、実はその軍事費換算で世界五位の軍隊を持っているのです。海軍力は世界で第三位だそうです。

 なぜこんな矛盾が起きているのでしょうか。
 1950年、朝鮮戦争の勃発の年、警察予備隊が設置されました。これは名目上は既存の警察組織で対応しきれない治安の維持ということで、あくまでも対内的なものでしたが、まだ主権が回復していなかったこの国にあって、それは駐留軍によるボツダム政令の一環として出されたのでした(改憲派の人たちは押し付け憲法といいますが、むしろこの憲法の根幹を崩す動きが占領軍によって担われたことを見ておくべきでしょう)。

          

 米国としては、日本国内の治安を整え、後顧の憂いなく朝鮮戦争に専念するということもあったでしょうが、次第に先鋭さを増してきた東西冷戦のさなかにあって、東アジアでの西側の軍事的拠点としてこれを育成していゆく意図があったことも明らかです。

 日本国民の300万人が命を落としたあの戦争からまだ数年でしたから、それへの激しい抵抗もありました。一方では、いわゆる朝鮮特需で戦後の低迷が一挙に払拭され好景気に沸くなかで、ふたたび軍国化への反動ではという危惧の声はかき消されてゆきました。

 その後、紆余曲折がありましたが、1954年には自衛隊法が公布され、現在の自衛隊が正式に発足しました。そしてそれにより九条第二項の「戦力を保持しない」が完全に破られたのでした。もちろん、これが憲法違反ではないかという当然の声が上がったのですが、時の吉田内閣は、自衛隊の装備は戦力とはいえない、したがってあれは九条に抵触するものではないとの詭弁でこれを切り抜けました。
 こうして自衛隊は、「戦力なき軍隊」という形容矛盾のまま、あれよあれよという間に肥大化し、先にみたように軍事費換算で世界第五位の軍隊にまでなりました。
 今でもなお、これを軍隊ではないと強弁するのは上のような経緯によります。
 これが「第一番目の解釈改憲」でした。

 第二の解釈改憲は、六〇年、七〇年と相次いだ日米安保条約の改定です。
 これは、表現は柔らかいものの「共通の危険に対処するように行動することを宣言」する(第五条)という明らかな軍事同盟で、九条で定められた「戦力を持たない」わが国が他国の軍隊と行動を共にするという矛盾を犯しています。
 これは、すでに「戦力を持っている」という「第一の解釈改憲」に依拠した「第二の解釈改憲」だといえます。しかもそれは、今回の「集団的自衛権容認」の「第三の解釈改憲」につながるものといえます。

 なお、この「第二の解釈改憲」というべき安保条約とそれに伴ういわゆる「地位協定」によって、基地の集中とそれによる諸問題の集積というべき沖縄の現状が長期にわたって固定化されるところとなったことをいい添えねばなりません。

          

 なお、九条をよく読み返すと、集団的自衛権は愚か、戦力をもっての個別自衛権のありようにも問題があることがわかります。
 こんなふうに書くと、必ず、「では敵が攻めてきても自衛隊はなにもしないで手をこまねいているのか」という問いが投げかけられます。しかしこれは、「戦力を持たない」という明確な規定にもかかわらず、それをもってしまったがゆえに事後的に発生した状況というべきでしょう。

 さて、「第三の解釈改憲」ともいえる今回の事態で、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という九条の第一項すら完全に反故にされようとしています。

 安倍首相の説明では、この「集団的自衛権」はわが国の参戦への窓口を開くのではなく、わが国への「侵略の抑止力」として、つまり、「来るなら来てみろ」という威嚇として働くといっています。

 そこで私は、1960年代、ケネディ大統領からジョンソン大統領にわたって、国務長官を務め、東西冷戦のもっとも激しい時期、かのキューバ危機でも第一線にいたマクナマラ氏の引退後の言葉を思い出します。
 
 「ほぼ半世紀、両核大国の存在にもかかわらず破滅に至らなかったのは、やはりその核による抑止力のおかげでしょうか」という問いかけに対し、マクナマラ氏は、「We lucked out !」「運良く切り抜けただけさ!」といっています。
 歴史は小賢しい計算通りにはゆかないのです。オイディプスがそうであったように、危機から遠ざかろうとする試みが危機のまっただ中にに自分を置くこともあるのです。
 

 
コメント (8)
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