日本はいわゆる海洋国だから、実に多くの島を擁しているが、淡水湖のなかで集落(人口約350)をもっているのは近江八幡の近く、琵琶湖に浮かぶ沖島しかない。
琵琶湖にはほかに、観光地としてはこちらのほうが知られている竹生島があり、そこには大型観光船が着き、竹生島神社への参拝や観光客が絶えず、何軒かの土産物店などもあるのだが、そこの寺社関係者ならびに店舗従業員はいずれも島外から通っているため、無人島となっているのだそうだ。
さて、その沖島だが、至近距離にある港は近江八幡市の堀切港で、ここから定期便が出ているが、私たちの一行は10人いたので、一人1,000円で往復してくれるというチャーター便を利用した。
この堀切港自体が琵琶湖の水産物の水揚げ港で、船を待つ間に多くの漁船が寄港し、小エビや鮎などの小魚を水揚げしていた。
やがて、私たちの船がやってきて沖島へ運んでくれたのだが、その行程は約10分ほどであった。
港の風景はどこにでもある漁港といった感じだが、当然ながら潮の香が一切しない。この小さな島になぜこれほどと思うほど船の数は多い。ほかにも副漁港があるというから、人口に対する船の数は半端ではない。
それもそのはず、この島ではほとんど全戸が一艘以上の船を所有しているというのだ。
その代わり、この島では特殊な工事車両以外、いわゆる自家用車というものを一台も見なかった。それもそのはず、自家用車が通れるような道がない。したがって、信号もない。
集落の主たる交通手段は、サドルの後方に大きめの荷籠を付けた三輪車が主であった。
島へ着くと、何やらイベントがあるという。それも島の小学生11名総出演だという。ちなみにこの島には中学校はない。中学生は船で対岸の近江八幡市へ通学する。
小学生たちの出し物は和太鼓と合唱であった。
決して巧いとはいえない。しかし、その和気あいあいさと、全学童総出演というのがとてもいい。
ギャラリーは決して多くなかったが、学童たちの懸命さが伝わってくる。
その後、島のあちこちを散策した。
小学校は、昔懐かしい雰囲気で、クローバーの中にねじれ草が交じるグランドでしかもすぐ前が小さな漁港というロケーションが素敵だった。
私が行ったのは、ちょうど滋賀県知事選挙の前日だった。漁港や集会所付近にはポスターが貼ってあって、その去就を密かに注目していた私には、無視できないものがあった。
この滋賀県の琵琶湖は、その北端で福井県の原発群と至近距離にある。もしそこで、福島並みの事故が起これば、琵琶湖の汚染は必至である。
ここで獲れる小鮎や小エビ、モロコ、鮒寿司のフナ、琵琶マスなどの被害は甚大だろう。したがって、他にさしたる産業がないこの島はほぼ全滅に近い状態になる可能性もある。
そればかりではない。琵琶湖は関西の水瓶といわれているように、地元の滋賀県は無論、京都府、大阪府、そして兵庫県の上水道の水源なのである。もし琵琶湖が汚染されれば、関西の人たちは即飲料水に窮するのこととなる。
沖島から帰った翌日の知事選では、前知事の「卒原発」を継承した三日月氏が自公維新が推す候補を破って当選した。これで、福井原発群の再稼働に対するひとつの防波堤が出来たことになる。
東北大震災の教訓を受けて各地の原発はその対策を強化したという。しかし、それらは人知の驕りにすぎない。そうした姑息な防備を越えて自然が猛威をふるうのは、ノアの方舟を始めとする様々な教訓がもたらすところである。
しかも原発は、未来に何かをもたらすよりその後始末などを押し付ける、いわば未来を予め搾取するものにほかならない。
沖島の子どもたちのあのさわやかな笑顔が絶えないように祈るのみだ。
琵琶湖にはほかに、観光地としてはこちらのほうが知られている竹生島があり、そこには大型観光船が着き、竹生島神社への参拝や観光客が絶えず、何軒かの土産物店などもあるのだが、そこの寺社関係者ならびに店舗従業員はいずれも島外から通っているため、無人島となっているのだそうだ。
さて、その沖島だが、至近距離にある港は近江八幡市の堀切港で、ここから定期便が出ているが、私たちの一行は10人いたので、一人1,000円で往復してくれるというチャーター便を利用した。
この堀切港自体が琵琶湖の水産物の水揚げ港で、船を待つ間に多くの漁船が寄港し、小エビや鮎などの小魚を水揚げしていた。
やがて、私たちの船がやってきて沖島へ運んでくれたのだが、その行程は約10分ほどであった。
港の風景はどこにでもある漁港といった感じだが、当然ながら潮の香が一切しない。この小さな島になぜこれほどと思うほど船の数は多い。ほかにも副漁港があるというから、人口に対する船の数は半端ではない。
それもそのはず、この島ではほとんど全戸が一艘以上の船を所有しているというのだ。
その代わり、この島では特殊な工事車両以外、いわゆる自家用車というものを一台も見なかった。それもそのはず、自家用車が通れるような道がない。したがって、信号もない。
集落の主たる交通手段は、サドルの後方に大きめの荷籠を付けた三輪車が主であった。
島へ着くと、何やらイベントがあるという。それも島の小学生11名総出演だという。ちなみにこの島には中学校はない。中学生は船で対岸の近江八幡市へ通学する。
小学生たちの出し物は和太鼓と合唱であった。
決して巧いとはいえない。しかし、その和気あいあいさと、全学童総出演というのがとてもいい。
ギャラリーは決して多くなかったが、学童たちの懸命さが伝わってくる。
その後、島のあちこちを散策した。
小学校は、昔懐かしい雰囲気で、クローバーの中にねじれ草が交じるグランドでしかもすぐ前が小さな漁港というロケーションが素敵だった。
私が行ったのは、ちょうど滋賀県知事選挙の前日だった。漁港や集会所付近にはポスターが貼ってあって、その去就を密かに注目していた私には、無視できないものがあった。
この滋賀県の琵琶湖は、その北端で福井県の原発群と至近距離にある。もしそこで、福島並みの事故が起これば、琵琶湖の汚染は必至である。
ここで獲れる小鮎や小エビ、モロコ、鮒寿司のフナ、琵琶マスなどの被害は甚大だろう。したがって、他にさしたる産業がないこの島はほぼ全滅に近い状態になる可能性もある。
そればかりではない。琵琶湖は関西の水瓶といわれているように、地元の滋賀県は無論、京都府、大阪府、そして兵庫県の上水道の水源なのである。もし琵琶湖が汚染されれば、関西の人たちは即飲料水に窮するのこととなる。
沖島から帰った翌日の知事選では、前知事の「卒原発」を継承した三日月氏が自公維新が推す候補を破って当選した。これで、福井原発群の再稼働に対するひとつの防波堤が出来たことになる。
東北大震災の教訓を受けて各地の原発はその対策を強化したという。しかし、それらは人知の驕りにすぎない。そうした姑息な防備を越えて自然が猛威をふるうのは、ノアの方舟を始めとする様々な教訓がもたらすところである。
しかも原発は、未来に何かをもたらすよりその後始末などを押し付ける、いわば未来を予め搾取するものにほかならない。
沖島の子どもたちのあのさわやかな笑顔が絶えないように祈るのみだ。