昨日、kekeの小学校時代の恩師を招いた飲み会の連絡がきた。
行こうと思えば行けない時間ではないけれど、この前ジャケットを買った上に4000円の出費はキツイ。申し訳ないけれど、「欠席」と書いて「仕事の都合で行けそうにありません。子供は小学校時代と変わらず真面目で通学してます、先生と皆さんによろしくお伝えください」と返事した。
顰蹙かもしれないと思いながらここだけの話、正直に申告すると、この手のお付き合いは2回に1度は欠席する事に決めた。理由はお金が掛かるからである。うちは一般世帯の1/3の年収しかないのに、普通に人並みのお付き合いをしていたら、そのうち破産してしまうよ、と考えたからである。
厳密に言うと、そう思って開き直る事が可能になったと言うか。
それまでの私は、こう言う誘いがあると断りきれないまま、返事をギリギリまで引き延ばし、欠席にしたらしたで負い目を感じ、出席しても(もともと性格がおとなしくて居ても居なくても構わないキャラクターなので)、ご飯を黙々と食べながらたまに隣の人をヨイショして疲れて終わると言うパターンがほとんどであった。
そして後で「私は一体何しに行ったんだろう」となるのだった。
しかし、この「2回に1度は欠席作戦」を実行してからは、この「一体何しに行ったんだろう」と言うのは無くなった。
何しに行くんだか分からないような飲み会は欠席する。残りの出席すべく飲み会は、「彼女なら飲むのが楽しいから。」「会いたいから。」「ここは行っといて交友を広めておこう。」「これは行かない訳にはいくまい。」と理由はまちまちだが、そこには理由があり、私には必要な事なのだと腹を括る。そうすれば「何しに行ったんだろう」と言う結果にはならない。
これは心から人付き合いが好きで、その場を自分の思うように持って行けるオーラのある人にはお呼びでない話だと思う。しかし、私のように小心者で人目ばかりが気になって、あのような人混みに行くと隣の人をヨイショするだけで疲れて終わる人には、ぜひこの「2回に1度は欠席作戦」をお勧めしたい。
これで、人付き合いのストレスは半分以下になるだろう。
やはり人がある行動を起こす時には、その人の意思がなくてはならない。
「周りから言われて」「何となく」だから後悔するのだ。自分なりの目的や打算があってこそ行動する意味があるのだと思う。それは汚いことじゃない。
そして、これは私の性格ゆえんなのだろうが、行った後で「一体何しに行ったんだろう」と思う事はあっても、逆に欠席した後で「やっぱり飲みに行けば良かった」と後悔する事は一度も無いのだった。
そしてそこから私は、「人と群れるより、私は一人で居る方が好きなのでは?!」という結論に至った。
今までずっとその事に気付かなくて、それは「社交性がない」と言うダメージに摩り替わっていたけれど、これは短所ではなくて個性ではないのだろうか、と考えるようになったのだ。それまで「自分は社交性が無いから、なるべく人の居る所に出るようにしなくては」と思ってイヤイヤ付き合っていたものを「私は一人が好きだから、ムリに人と付き合わなくてもいいんだよ」と切り替える事で、何故か逆に人と付き合うのが楽になったわけだ。
ちなみにあの大好きなカラオケさえも、私は大勢で盛り上がるよりもスナックでパチパチ拍手して聴いてもらうよりも、今は「ヒトカラ」(一人カラオケの略)が一番気に入っている。変かもしれないけれど、本当に気持がそうなんだから仕方がない。
「この場は何の歌がいいんだろう?」と悩むことも無いし、人が居ると聴かれてても聴かれてなくてもドキドキしてしまうが、誰も居ないんだから自由のびのび歌えて恥をかかない。それから飲み物一つ頼むだけなら金も掛からない。ビンボウ人のストレス発散には丁度いい。
カラオケが嫌いな人は、歌が嫌いなのではなく、人に聴かれるのがイヤなのではないだろうか。それなら私もよく分かる。
と言う事で、「社交性がない」→「一人が好き」と言い変えようとしている今日この頃である。世の中にはこう言う人間もいると言う事を書いておこう。もしかして、同じように「一人が好き」なのに、まだ気が付いていない人が居るかもしれないから。
この考えに遺憾を持つ方もいるかもしれないけれど、私は当面この行動パターンを変える気はない。
だって、それが好きなんだから。
【写真】日曜日にやっと網戸を掃除しました。ウエットタイプの取替えシートがカラカラに乾燥するほど久しぶりです。ひと吹きするだけで真っ黒!
掃除した後は何気に風通しが良くなったような気がします。
行こうと思えば行けない時間ではないけれど、この前ジャケットを買った上に4000円の出費はキツイ。申し訳ないけれど、「欠席」と書いて「仕事の都合で行けそうにありません。子供は小学校時代と変わらず真面目で通学してます、先生と皆さんによろしくお伝えください」と返事した。
顰蹙かもしれないと思いながらここだけの話、正直に申告すると、この手のお付き合いは2回に1度は欠席する事に決めた。理由はお金が掛かるからである。うちは一般世帯の1/3の年収しかないのに、普通に人並みのお付き合いをしていたら、そのうち破産してしまうよ、と考えたからである。
厳密に言うと、そう思って開き直る事が可能になったと言うか。
それまでの私は、こう言う誘いがあると断りきれないまま、返事をギリギリまで引き延ばし、欠席にしたらしたで負い目を感じ、出席しても(もともと性格がおとなしくて居ても居なくても構わないキャラクターなので)、ご飯を黙々と食べながらたまに隣の人をヨイショして疲れて終わると言うパターンがほとんどであった。
そして後で「私は一体何しに行ったんだろう」となるのだった。
しかし、この「2回に1度は欠席作戦」を実行してからは、この「一体何しに行ったんだろう」と言うのは無くなった。
何しに行くんだか分からないような飲み会は欠席する。残りの出席すべく飲み会は、「彼女なら飲むのが楽しいから。」「会いたいから。」「ここは行っといて交友を広めておこう。」「これは行かない訳にはいくまい。」と理由はまちまちだが、そこには理由があり、私には必要な事なのだと腹を括る。そうすれば「何しに行ったんだろう」と言う結果にはならない。
これは心から人付き合いが好きで、その場を自分の思うように持って行けるオーラのある人にはお呼びでない話だと思う。しかし、私のように小心者で人目ばかりが気になって、あのような人混みに行くと隣の人をヨイショするだけで疲れて終わる人には、ぜひこの「2回に1度は欠席作戦」をお勧めしたい。
これで、人付き合いのストレスは半分以下になるだろう。
やはり人がある行動を起こす時には、その人の意思がなくてはならない。
「周りから言われて」「何となく」だから後悔するのだ。自分なりの目的や打算があってこそ行動する意味があるのだと思う。それは汚いことじゃない。
そして、これは私の性格ゆえんなのだろうが、行った後で「一体何しに行ったんだろう」と思う事はあっても、逆に欠席した後で「やっぱり飲みに行けば良かった」と後悔する事は一度も無いのだった。
そしてそこから私は、「人と群れるより、私は一人で居る方が好きなのでは?!」という結論に至った。
今までずっとその事に気付かなくて、それは「社交性がない」と言うダメージに摩り替わっていたけれど、これは短所ではなくて個性ではないのだろうか、と考えるようになったのだ。それまで「自分は社交性が無いから、なるべく人の居る所に出るようにしなくては」と思ってイヤイヤ付き合っていたものを「私は一人が好きだから、ムリに人と付き合わなくてもいいんだよ」と切り替える事で、何故か逆に人と付き合うのが楽になったわけだ。
ちなみにあの大好きなカラオケさえも、私は大勢で盛り上がるよりもスナックでパチパチ拍手して聴いてもらうよりも、今は「ヒトカラ」(一人カラオケの略)が一番気に入っている。変かもしれないけれど、本当に気持がそうなんだから仕方がない。
「この場は何の歌がいいんだろう?」と悩むことも無いし、人が居ると聴かれてても聴かれてなくてもドキドキしてしまうが、誰も居ないんだから自由のびのび歌えて恥をかかない。それから飲み物一つ頼むだけなら金も掛からない。ビンボウ人のストレス発散には丁度いい。
カラオケが嫌いな人は、歌が嫌いなのではなく、人に聴かれるのがイヤなのではないだろうか。それなら私もよく分かる。
と言う事で、「社交性がない」→「一人が好き」と言い変えようとしている今日この頃である。世の中にはこう言う人間もいると言う事を書いておこう。もしかして、同じように「一人が好き」なのに、まだ気が付いていない人が居るかもしれないから。
この考えに遺憾を持つ方もいるかもしれないけれど、私は当面この行動パターンを変える気はない。
だって、それが好きなんだから。
【写真】日曜日にやっと網戸を掃除しました。ウエットタイプの取替えシートがカラカラに乾燥するほど久しぶりです。ひと吹きするだけで真っ黒!
掃除した後は何気に風通しが良くなったような気がします。