きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

父とカラオケ、その後

2008-12-21 | 父の記録と母の思い出
あれから私は実家に向かった。
妹にカラオケボックスまで送ってもらう事にした。

父はいよいよ歩くのもやっとのようで、靴を履くことも、車に乗る事さえ時間が掛かった。妹は父のシートベルトをつけるが、それも取りたがり「シートベルトをしないと私が捕まっちゃうんだよ」と説明していた。

「最近は後ろもシートベルトはつけなきゃいけないんだっけ?」
「ほんとはね、高速でなきゃ大丈夫だけど。」
「相変わらず運転うまいねぇ・・・冬休み一日レンタルしようかな。無理かなぁ?もう半年乗ってないんだよ。」
「平気じゃない?」
「ガソリンも安くなったからねぇ」

父は目がだいぶ悪くなっているようだった。部屋に入ってもテーブルとソファの間が狭いと、そこを通るのにも杖と足で確認しながら、やっと進む事ができるような感じ。
歌詞は全く見えそうにないから、合いの手で読んでみる。そうすればどうにか歌えそうだ。
でも、だいぶ忘れている。
コーヒールンバも2年位前だったら、2番はよく替え歌で歌っていたのに、もう忘れてしまったようだ。そこまで忘れているのに、メロディーはまだ覚えているようだ。

・カラスの女房(歌詞を言わないとダメっぽい)
・コーヒールンバ(1番を歌ってあげたらどうにか歌える)
・夜よ泣かないで(あれだけ歌っていたが、今では歌詞はちょっと忘れている)
・ああ、グッド(歌詞を読んであげればどうにか)
・アンダルシアに憧れて(同上)

やがて父は「上海ブルース」と言った。検索してみて、ディックミネかなぁと思って入れてみた。するとこれは完璧に歌える。(デイケアで歌っているのだろうか)RUNもほとんど完璧に歌えた。メロディーが衰えてないから、条件反射で歌詞が出てくると歌えるのだ。

そんなこんなで歌って、タクシーで帰った。
申し訳ないくらい近い距離だけど、今の父では歩けない。段差が見えないから、杖をつかないと歩けないのだ。

家に帰ると、妹の名前を呼んで「どこに行ったのか」と言う。

「買い物だよ。」
「何を買いに行ったんだ。」
「夕飯のものとかじゃない?」

今日はこの繰り返しだった。今日はkekeのケの字も出てこない。と思ったら、父は訊いてきた。
「sakeは誰と住んでるのだ?」
「kekeだよ。」

父はやっとkekeの存在を思い出したのか、「今何歳だ?」と言い出した。
でも、今日は妹がどこに行ったのか、をかれこれ20回くらいは繰り返していたように思う。

それから父は「する事がなくて暇だ」と繰り返した。
TVももうあまり見えてないのかもしれない。本が読めるわけではない。
たしかに暇だろう。
やがて暇なので父は歩き出した。そしてうろうろ玄関の方に行った。
玄関に行っても玄関がよく分かってないので、「テレビでも見れば?」と声を掛けると、素直に戻ってくる。
これも3回は繰り返した。

目が見えなければ耳に刺激を与えるしかないと思い、CDを探した。矢沢永吉のCDである。
「何の曲が入ってるんだ」と言うので、「イエスマイラブ」とかだよ、と言うと、聴くと言うのでかけてみた。これは永吉が一緒に歌ってくれるので、歌詞忘れもなく一緒に歌えいい娯楽のように思えた。が、次の曲は父が知らないようで、「これは知らないから他を掛けろ」と言うので、最後のラハイナにした。父はアルバムを買っても、自分の歌う歌以外は聴かなかったのかもしれない。

よく小さな子供に好きなアニメビデオを見させておき、その合間に家事をする、と言う子育てのコツがあるが、同様に父の歌を流しておいて、その合間に他の事をするという作戦もありかもしれない。と思って、父のテープ(父は自分のカラオケを録音したテープを何本も持っていたのである)を探して掛けようとするが、ケースと中身が違う事が多くてなかなか探し出せない。

やがて妹が帰ってきた。
妹によると、このCD作戦はちょっと心配が残ると言う。こうして歌でテンションを上げてしまうと、また勝手に外に出て徘徊するのが心配だと言う。玄関の鍵も偶然開けているのを何回か見たのだそうだ。

「そう言えば(妹の名前)がどこに行ったのかって何回も言われたよ」と言うと、妹は驚いて「私の名前を覚えていたの?」と言う。この前、病院だかデイケアだかで、先生がわざと「この方どなたでしたっけ?」と妹を指差しても、父は名前が出てこなかったらしい。

「いやぁ、何度も名前を呼んでたよ。kekeの事は忘れてたみたいだけど。私に誰と住んでるんだっけ?って言ってたから。」

と言うと、隣の部屋から父の鼻歌が聞こえてきた。コーヒールンバの自作替え歌2番である。

何かの拍子で思い出したり忘れたりするのだろう。
歌はなかなか名案だと思うが、年中あの歌を一日中聴かされる家族もたまったもんじゃないか。

父とこうして過すたびに、「人生とは何ぞや」と言う哲学的心境になる。
どんなに出世しても、財産があっても、自慢しいでも、最後にはみなこうなる。

一体それが何なんだ。

父とこれからカラオケ・・・かも

2008-12-21 | 父の記録と母の思い出
最近の父の様子はどうなっているか、もうあまり聞きたくないという気持もありつつ、長女としてこのままで良いものだろうかと言う、心の片隅にある良心の呵責に耐え切れず、妹に電話する。
そして、今度の日曜にちょっと爺さんを見ててもいいよ、と言ってみた。

妹は最初は、午前中に町内会の用事があって午後は姪が髪を切りに行く予定だからパパに見てもらうからいいよ、と言ったのだが、後からもう一度電話が掛かってきて、それだったら家族でちょっとだけ出かけてきてもいい?と言う。

私は「あぁいいよいいよ」と言いつつ、心のどこかで早く帰ってきてほしいと思うので、「何時ごろに帰ってくるのかなぁ」と訊いた。

「お姉ちゃんの用事があるなら合わせるよ?」
「あー別にいいんだよ・・・でも何時ごろかなぁと思って。」

この会話・・・ちょっと変だよな。

私だって、親孝行したい、せねばあかん、するべきだろう、と言う気持もあり、妹に対してもどうにか手伝いたい、と言う気持はあるのだが、月~土は仕事から帰って飯作ってそれでイッパイイッパイの毎日、日曜くらい自由気ままに過したいという思い=欲望があるのであった。
どうすればこの気持を突破できるか?

これを言ってはオシマイだと思う。
思うが、ぶっちゃけてしまえば、親の介護なんて誰かから愛し愛されシアワセに暮らしている人がすればいいのに・・・と思う。
心のどこかに巣食っている僻み根性が、そう吼える。

私だって、あんなに旦那から愛し愛されシアワセに暮らしていたら、親の介護なんて屁でもないさ。。。と心のどこかで思ってるのだ。

でも、世の中ではそれは認められない。
私の離婚は自己責任で、これからも「お1人さま」であるのも自己責任で、年金が人並みにはもらえないのも自己責任で、ケッコウ不幸な出来事が多いけれども、親の介護もシアワセに暮らしている人と平等にせねばあかんのですか。(実際は妹の方が負担を強いられているのだけど)

でも、しょうがないから行って来よう。
しょうがないと言ってしまうのは倫理的道徳的にどうかと思うが、本当にそう思うのだから仕方ない。

せめてどうせなら楽しく行ってこようと思い、妹に「じいさんとカラオケに行くのはどうかねぇ」と言ってみた。

「あまりに最近度が進んでしまっているので、もう歌うのは無理かねぇ。」
「いや、この前のデイからのカードに【とんぼ】の歌詞が書いてあったから、たまに歌ってるんじゃないかしら。」
「歩くのは無理だから、行きだけ送ってくれる?帰りはタクシー呼ぶよ。」
「それはかまわないよ。ただ階段は無理だから1階の部屋でないとダメだよ。」
「それは分かった。あと・・・シモ関係はどうかねぇ。」

妹はう~んと言って、小の方はオムツにしても大丈夫だと思うけど、大の方をされちゃうと大変かもね、でも、昨日してたからローテーション的にはまだ平気そうだけど、と言う。

「トイレは一緒に中まで入らないとできないかねぇ。」
「う~ん・・・どうだろう。」
「今までは入り口で待っていれば大丈夫だったんだけど。・・でも、やってみなきゃ分からないか。ヘルパーさんだと思えば一緒にトイレに入ってみてもおかしくないし。」

そんなこんなでこれから実家に行ってくる。
本当に父がカラオケをしたいと今でも思うのか、カラオケボックスを覚えているのかも分からない。それも含めて私はこれから一つ体験を増やして来ようと思う。

父がカラオケに行く気がなければ、もちろん行く事はない。
今の父にその意志さえあるかどうか分からないのだ。