あれから私は実家に向かった。
妹にカラオケボックスまで送ってもらう事にした。
父はいよいよ歩くのもやっとのようで、靴を履くことも、車に乗る事さえ時間が掛かった。妹は父のシートベルトをつけるが、それも取りたがり「シートベルトをしないと私が捕まっちゃうんだよ」と説明していた。
「最近は後ろもシートベルトはつけなきゃいけないんだっけ?」
「ほんとはね、高速でなきゃ大丈夫だけど。」
「相変わらず運転うまいねぇ・・・冬休み一日レンタルしようかな。無理かなぁ?もう半年乗ってないんだよ。」
「平気じゃない?」
「ガソリンも安くなったからねぇ」
父は目がだいぶ悪くなっているようだった。部屋に入ってもテーブルとソファの間が狭いと、そこを通るのにも杖と足で確認しながら、やっと進む事ができるような感じ。
歌詞は全く見えそうにないから、合いの手で読んでみる。そうすればどうにか歌えそうだ。
でも、だいぶ忘れている。
コーヒールンバも2年位前だったら、2番はよく替え歌で歌っていたのに、もう忘れてしまったようだ。そこまで忘れているのに、メロディーはまだ覚えているようだ。
・カラスの女房(歌詞を言わないとダメっぽい)
・コーヒールンバ(1番を歌ってあげたらどうにか歌える)
・夜よ泣かないで(あれだけ歌っていたが、今では歌詞はちょっと忘れている)
・ああ、グッド(歌詞を読んであげればどうにか)
・アンダルシアに憧れて(同上)
やがて父は「上海ブルース」と言った。検索してみて、ディックミネかなぁと思って入れてみた。するとこれは完璧に歌える。(デイケアで歌っているのだろうか)RUNもほとんど完璧に歌えた。メロディーが衰えてないから、条件反射で歌詞が出てくると歌えるのだ。
そんなこんなで歌って、タクシーで帰った。
申し訳ないくらい近い距離だけど、今の父では歩けない。段差が見えないから、杖をつかないと歩けないのだ。
家に帰ると、妹の名前を呼んで「どこに行ったのか」と言う。
「買い物だよ。」
「何を買いに行ったんだ。」
「夕飯のものとかじゃない?」
今日はこの繰り返しだった。今日はkekeのケの字も出てこない。と思ったら、父は訊いてきた。
「sakeは誰と住んでるのだ?」
「kekeだよ。」
父はやっとkekeの存在を思い出したのか、「今何歳だ?」と言い出した。
でも、今日は妹がどこに行ったのか、をかれこれ20回くらいは繰り返していたように思う。
それから父は「する事がなくて暇だ」と繰り返した。
TVももうあまり見えてないのかもしれない。本が読めるわけではない。
たしかに暇だろう。
やがて暇なので父は歩き出した。そしてうろうろ玄関の方に行った。
玄関に行っても玄関がよく分かってないので、「テレビでも見れば?」と声を掛けると、素直に戻ってくる。
これも3回は繰り返した。
目が見えなければ耳に刺激を与えるしかないと思い、CDを探した。矢沢永吉のCDである。
「何の曲が入ってるんだ」と言うので、「イエスマイラブ」とかだよ、と言うと、聴くと言うのでかけてみた。これは永吉が一緒に歌ってくれるので、歌詞忘れもなく一緒に歌えいい娯楽のように思えた。が、次の曲は父が知らないようで、「これは知らないから他を掛けろ」と言うので、最後のラハイナにした。父はアルバムを買っても、自分の歌う歌以外は聴かなかったのかもしれない。
よく小さな子供に好きなアニメビデオを見させておき、その合間に家事をする、と言う子育てのコツがあるが、同様に父の歌を流しておいて、その合間に他の事をするという作戦もありかもしれない。と思って、父のテープ(父は自分のカラオケを録音したテープを何本も持っていたのである)を探して掛けようとするが、ケースと中身が違う事が多くてなかなか探し出せない。
やがて妹が帰ってきた。
妹によると、このCD作戦はちょっと心配が残ると言う。こうして歌でテンションを上げてしまうと、また勝手に外に出て徘徊するのが心配だと言う。玄関の鍵も偶然開けているのを何回か見たのだそうだ。
「そう言えば(妹の名前)がどこに行ったのかって何回も言われたよ」と言うと、妹は驚いて「私の名前を覚えていたの?」と言う。この前、病院だかデイケアだかで、先生がわざと「この方どなたでしたっけ?」と妹を指差しても、父は名前が出てこなかったらしい。
「いやぁ、何度も名前を呼んでたよ。kekeの事は忘れてたみたいだけど。私に誰と住んでるんだっけ?って言ってたから。」
と言うと、隣の部屋から父の鼻歌が聞こえてきた。コーヒールンバの自作替え歌2番である。
何かの拍子で思い出したり忘れたりするのだろう。
歌はなかなか名案だと思うが、年中あの歌を一日中聴かされる家族もたまったもんじゃないか。
父とこうして過すたびに、「人生とは何ぞや」と言う哲学的心境になる。
どんなに出世しても、財産があっても、自慢しいでも、最後にはみなこうなる。
一体それが何なんだ。
妹にカラオケボックスまで送ってもらう事にした。
父はいよいよ歩くのもやっとのようで、靴を履くことも、車に乗る事さえ時間が掛かった。妹は父のシートベルトをつけるが、それも取りたがり「シートベルトをしないと私が捕まっちゃうんだよ」と説明していた。
「最近は後ろもシートベルトはつけなきゃいけないんだっけ?」
「ほんとはね、高速でなきゃ大丈夫だけど。」
「相変わらず運転うまいねぇ・・・冬休み一日レンタルしようかな。無理かなぁ?もう半年乗ってないんだよ。」
「平気じゃない?」
「ガソリンも安くなったからねぇ」
父は目がだいぶ悪くなっているようだった。部屋に入ってもテーブルとソファの間が狭いと、そこを通るのにも杖と足で確認しながら、やっと進む事ができるような感じ。
歌詞は全く見えそうにないから、合いの手で読んでみる。そうすればどうにか歌えそうだ。
でも、だいぶ忘れている。
コーヒールンバも2年位前だったら、2番はよく替え歌で歌っていたのに、もう忘れてしまったようだ。そこまで忘れているのに、メロディーはまだ覚えているようだ。
・カラスの女房(歌詞を言わないとダメっぽい)
・コーヒールンバ(1番を歌ってあげたらどうにか歌える)
・夜よ泣かないで(あれだけ歌っていたが、今では歌詞はちょっと忘れている)
・ああ、グッド(歌詞を読んであげればどうにか)
・アンダルシアに憧れて(同上)
やがて父は「上海ブルース」と言った。検索してみて、ディックミネかなぁと思って入れてみた。するとこれは完璧に歌える。(デイケアで歌っているのだろうか)RUNもほとんど完璧に歌えた。メロディーが衰えてないから、条件反射で歌詞が出てくると歌えるのだ。
そんなこんなで歌って、タクシーで帰った。
申し訳ないくらい近い距離だけど、今の父では歩けない。段差が見えないから、杖をつかないと歩けないのだ。
家に帰ると、妹の名前を呼んで「どこに行ったのか」と言う。
「買い物だよ。」
「何を買いに行ったんだ。」
「夕飯のものとかじゃない?」
今日はこの繰り返しだった。今日はkekeのケの字も出てこない。と思ったら、父は訊いてきた。
「sakeは誰と住んでるのだ?」
「kekeだよ。」
父はやっとkekeの存在を思い出したのか、「今何歳だ?」と言い出した。
でも、今日は妹がどこに行ったのか、をかれこれ20回くらいは繰り返していたように思う。
それから父は「する事がなくて暇だ」と繰り返した。
TVももうあまり見えてないのかもしれない。本が読めるわけではない。
たしかに暇だろう。
やがて暇なので父は歩き出した。そしてうろうろ玄関の方に行った。
玄関に行っても玄関がよく分かってないので、「テレビでも見れば?」と声を掛けると、素直に戻ってくる。
これも3回は繰り返した。
目が見えなければ耳に刺激を与えるしかないと思い、CDを探した。矢沢永吉のCDである。
「何の曲が入ってるんだ」と言うので、「イエスマイラブ」とかだよ、と言うと、聴くと言うのでかけてみた。これは永吉が一緒に歌ってくれるので、歌詞忘れもなく一緒に歌えいい娯楽のように思えた。が、次の曲は父が知らないようで、「これは知らないから他を掛けろ」と言うので、最後のラハイナにした。父はアルバムを買っても、自分の歌う歌以外は聴かなかったのかもしれない。
よく小さな子供に好きなアニメビデオを見させておき、その合間に家事をする、と言う子育てのコツがあるが、同様に父の歌を流しておいて、その合間に他の事をするという作戦もありかもしれない。と思って、父のテープ(父は自分のカラオケを録音したテープを何本も持っていたのである)を探して掛けようとするが、ケースと中身が違う事が多くてなかなか探し出せない。
やがて妹が帰ってきた。
妹によると、このCD作戦はちょっと心配が残ると言う。こうして歌でテンションを上げてしまうと、また勝手に外に出て徘徊するのが心配だと言う。玄関の鍵も偶然開けているのを何回か見たのだそうだ。
「そう言えば(妹の名前)がどこに行ったのかって何回も言われたよ」と言うと、妹は驚いて「私の名前を覚えていたの?」と言う。この前、病院だかデイケアだかで、先生がわざと「この方どなたでしたっけ?」と妹を指差しても、父は名前が出てこなかったらしい。
「いやぁ、何度も名前を呼んでたよ。kekeの事は忘れてたみたいだけど。私に誰と住んでるんだっけ?って言ってたから。」
と言うと、隣の部屋から父の鼻歌が聞こえてきた。コーヒールンバの自作替え歌2番である。
何かの拍子で思い出したり忘れたりするのだろう。
歌はなかなか名案だと思うが、年中あの歌を一日中聴かされる家族もたまったもんじゃないか。
父とこうして過すたびに、「人生とは何ぞや」と言う哲学的心境になる。
どんなに出世しても、財産があっても、自慢しいでも、最後にはみなこうなる。
一体それが何なんだ。