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きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

天命にしたがえ

2015-09-01 | 日記
そうそう、一昨日妹を見たのだった。

スーパーの違うレジの所で、お金を払い、先に待っている旦那さんと一緒にレジ袋につめて、帰っていく姿を見た。

久しぶりだったら声をかけるのだけど、昨日もここで偶然会ったばかりだし、目があったら手を振ろうと思っていたがそんなこともなく、旦那さんとごく普通に歩いて帰って行った妹。
もう娘たちも大きくなってそれぞれの用事があり、夜の8時のこの時間にこうして夫婦二人でスーパーで買い物をしているのだなぁ何だかいいなァ、と思う。

にぎやかだった姪達がそれぞれの世界を作り、夫婦ふたりでゆっくりとしてるんだ。


私はこの前もらったレジ袋をマイバッグ代わりにして、いつものように買ったものをボカスカ入れて、手にして帰る。

今日はkekeは仕事に行って、これからはひとりで晩酌だよ。


前に40になった頃、「40は惑わず」とブログに書いた。これからは惑わず落ち着いた40代を迎えるのだ、と私は書いた。

そして10年後、私は50になった。今度は「50にして天命を知る」そうである。

私はこんな風にこれから生きて行くのだな、と言う覚悟をした。

40代の時は心のどこかで「何かをきっかけにこの先で人生が変わるかも」という期待(?)があったが、たぶん妹のような連れあいの居る人生は考えられない。
でも、それは悲しいとか、淋しいとか言うものでもないのだ。
そう言う人生もあるし、私のような生き方もある。そのどちらも同じように尊重されていいものだ、という自負だった。


私は、両親の「結婚しないで一人で暮らすことは淋しいこと。」と言う価値観を無意識に受けていた気がする。
もちろん、20代や30代の頃は、ボーイフレンドのことや結婚を含めてかけがえのない相手と沿って生きて行くことは重要なことだろう。そう言う風に私達は生理的にも否応なく仕組まれているから。

でももう50にもなったら、どんな生き方であろうが、いいのではないか。逆にどんな生き方でも尊重できるのではないか。
そんな気がする。


私はこのまま、一人で本を読んだり、ご飯を作ったりして生きて行こう。
もちろん息子がここにいるうちは一緒に、でも離れて行っても自分一人で。

今あるものに囲まれながら、それ以上を求めようともせず、ありのままの自分を大切に。
そんな自分を誇りに。

そんな小さな決意をしたのだった。




おそばのかきあげは、ゴーヤと玉ねぎ。
この日の朝、コロッケを作った衣の卵と小麦粉が余っていたので、それを混ぜて水を足して天ぷらの衣にしてみた。
思ったよりうまくできてきれいに揚がって満足した。

このままでもかまわない、私はそれでも平気だろうと思えて、少しだけ強くなった。